『虹のかなたに』 -6ページ目

『虹のかなたに』

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 往年の名優、沢村貞子は、立ち上がるときに「どっこいしょ」と言った自分に衰えを覚え、女優引退を決意したのだという。方や、座るときに「よいしょっ」と言ってしまう私は、自らの去り際を見出すこともできず、死に後れた老兵よろしく、怠惰の日々を重ねている。
 
 最早、自身の年中行事と化してしまったので、周囲には「今年もまたか」と呆れられるのであるが、この時期、去りゆく仲間たちの門出を見送っては、正に死に後れた老兵のような思いに駆られ、鬱屈した気持ちになるのでよろしくない。いや、彼らは戦場に散っていった訳では勿論なく、むしろ次のステージに向かって力強く羽ばたいていくのであるが、別れの哀しみや淋しさを覚えるとともに、戦場に取り残された不安や、のうのうと居座り永らえているのが正しいのかという逡巡に、どうしても苛まれるのである。
 
 例えば、定年退職でご勇退した御大。名実ともに「老兵」であったし、「まあええがな」「細かいことをやいやい言うな」「どないかなる」が口癖の、植木等を彷彿とさせる与太郎であったが、この方に窮地を救っていただいたことは数知れず、御大一人の存在を失うだけで、私は明日からどうやって切り盛りしてゆけばよいのかと、途方に暮れるばかりである。
 
 与太郎なのは無論仮の姿で、判断力、先見力は燻し銀の如く研ぎ澄まされたものを持っていた。とにかく、嘘や曖昧な答弁は即座に見抜くのである。出世や栄達に全く頓着のないこの方は大層な遅咲きで、私が事業部門の管理職に着任したとき、私より20歳上にもかかわらずまだ平社員であったのだが、飲み会の席で、「お前は虚勢ばかり張って、ビジョンというものを全然持っていない」とこっ酷く叱られたことがある。与太郎が突然何を言い出すのかと周章狼狽するばかりで、二の句がつなげなかった。この上ない無力感に苛まれた。
 
 あれから9年が経ち、ビジョンを持たない男がビジョンを描き、何とか部門を守り続けられてきたのは、この御大の教えと支えがあったおかげなのである。面倒臭い仕事、ややこしい揉め事の解決も厭わずやってくれ、その度に救われた。ポジションを下りたいと相談したこともあるが、「お前なら大丈夫」、そして「どないかなる」といつもの調子で宥められた。でも、その「どないかなる」を聞くことは、もうできない。あなたがいなくなったこれからが私の正念場なのですよ。ホンマに「どないかなる」んかなぁ……。
 
 一方で、自分の後進が去ってゆくのを見るのも辛いものである。かつて、新卒内定者育成の責任者をやっていたことがあって、一流と呼ばれる大企業に較べれば大した数ではないかもしれないが、それでも4年間で送り出した数は120名ほどに上った。新卒採用という「社会への入口」に立つ私は、学生と社会人の違いを叩き込みながらも、できるだけ希望を持たせて現業に出したい、その思いで彼らや彼女たちに接してきた。だが、今も残っている者は半分にも満たない。確かに、理想と現実は往々にして違うものである。社会の厳しさに堪えかねた者もいたことだろう。しかし、去っていった若者たちの数を思うとき、そして、去っていくときの憔悴した表情を見るとき、彼らや彼女たちに「こんなはずではなかった」と思わせた責任の一端を感じずにはおれない。
 
 「研修のお兄さん」として、それなりに慕われてきたつもりである。人材育成部門から、今の事業部門に異動になるとき、“最後の教え子”たちは、寄せ書きを認(したた)めてくれ、入社式の末席で見守っていた私を見つけて、胴上げまでしてくれた。この会社でやってきた仕事には、「使命感」で取り組んだことと、「やり甲斐」を感じながらやってきたこととがあるが、人を育てる仕事は圧倒的に後者であった。だのに、その“教え子”たちの多くは、私に何も言わないで去ってゆく。私は「去る者は追わず」が主義なので、辞意を伝えられても、余程のことがない限り慰留はしない。でも、話くらい聞いてやりたいとは思う。合わせる顔がないのか、はたまた、慕われてきたというのは手前勝手な思い込みだったのか。
 
 そんな私も、あるとき、自らの能力に限界を感じ、一度辞表を提出したことがある。転職活動もしていて、名のある企業の一次選考まで通過した。上司には慰留され、他の部門の部長まで出てきて「早まってはいけない」と説き伏せられた。「人から必要とされる」実感だけが、自分の仕事をする上での動機であるから、こうしていろんな人に話をしてもらえるのはありがたかったが、最終的に思い止まる決意をしたきっかけは、他ならぬ、既に退職していた“教え子”から「辞めないでください」と言われたことであった。辞めた子から「辞めるな」と言われるのも何だか滑稽な感じがするが、逆にだからこそ、真に迫って自分の心に響いたのかもしれない。
 
 今年は特に、例年にも増して多くの盟友が去ってゆく。送別会も方々で企画され、そのいずれにも万障を繰り合わせて出席するつもりであるが、行くごとに陰鬱の度を深めるのではないかと、今から憂慮されてならない。旅立ってゆく先すら見出せない私は、溢れる哀しみや淋しさを押し殺しながら、彼らを見送るばかりであるが、それでもいつぞやの“教え子”の「辞めないでください」を心の支えとして、頑張れるところまで頑張ってみようと思う。こちらの「よいしょっ」は、立ち上がるときではなく、座るときですからね。
 
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 随分前のことだが、勤務先で、ある幹部が1枚の書面を手にして嘆きの溜め息をついていた。「どうされたのですか?」と訊くと、「これを見てみて」とその書面を差し出された。始末書のようであったが、内容よりも、その見た目に絶句してしまった。フォントが全文、「丸ゴシック体」だったのである。
 
 何が問題なのかと訝られる向きもあるかもしれない。しかし、実際を見ていただきたいのである。
 


 これが普通の始末書である。これを丸ゴシック体で表すと、こうなるのだ。
 

 
 如何であろう。あくまで個人の主観ではあるが、私にはここから、書き手の「にやけた笑顔」がイメージされてならず、およそ反省の色など感じられないのである。
 
 フォント選びにおいて、視認性は第一義的に重要ではあろう。しかし、それと同時に「文面や内容に相応しいかどうか」の視点でも書体が選ばれて然るべきだと思うのである。
 
 汎用性が高いのは何と言ってもゴシック体で、街中の看板や、パンフレットやチラシのなどの印刷物は、大概がこれである。この安定感は、画の幅が縦横ともに一定であり、かつ、角がしっかり張っている堅実さに依るところが大きいと思われる。ところが、海外、特に漢字文化圏のアジア諸国に行くと、公共交通機関のサインシステムが軒並み明朝体なのに驚かされる。シャープでよいという意見もあるかもしれないが、明朝体というのはご承知の通り、縦画が太く、横画が細い。この横画の細さが何とも冷たい感じを醸し出し、だからこそ逆に、感情を抑え、事務的に何事かを伝えたり、反省や謝罪を述べたりするのには最も適したフォントなのである。
 
 因みに、縦横で太いと細いを入れ換えた「雅芸体」というフォントがあるが、あれのアンバランスは不安を通り越して一種の恐怖さえ駆り立てられ、誠によろしくない。先ほどの始末書をこれで表現するとこうなる。
 

 
 反省を装いながらその実、逆上して刺されそうである。
 
 また、ゴシック体にもさまざまなバリエーションがあって、街中でもよく見かける「新ゴ」と呼ばれる書体は少しポップな感じを受ける。Windowsのシステムフォントとして、MSゴシック系に代わって用いられるようになった「メイリオ」というフォントも同じようなテイストであるが、どうも軽い感じがして好きになれない。汎用性の高いフォントは、ユーザーの嗜好を左右してはいけないと思うのである。見出しなどに使うのはよいだろうが、例えば世間を騒がせたお詫びのプレスリリースを出すようなときには、真剣みが足りないような気がするのだ。
 
 そんな訳で、活字にもまた「TPO」というものがあるのではないかと考えるのだ。さまざまな状況に適したフォント遣いを、例を挙げながら考察してみたい。
 

 これはゴシック体でも明朝体でも違和感はないと思うが、右のような篆書体で書かれると、何だか便器の中から手が伸びてきそうで怖いのである。
 

 特売の常套句であるが、これは客の目を引くインパクトが重要であるから、右のようなファンシーなフォントでは如何にも力不足である。病院や薬局の前にこの幟が立っていたら尚更問題だ。
 

 子ども相手なら丸っこい字の方が親しみがあってよいだろう。極太明朝体では「泣く子も黙る」印象を与えるイメージだが、ビビって却って言うことを聞いてくれるかもしれない。
  

 今日日あまり見ないような気もするが、かつてのヤンキーどもに最も膾炙したと思われる四字熟語である。両者がタイマンを張っても、勝敗結果は論ずるまでもないだろう。
 

 希望に満ちた表現に、ポップな書体はよく似合う。右のような古印体では、むしろ「夢破れて」という感じで、絶望する若者に早まるなと制止せねばならぬかもしれない。
  

 しかし、同じ若者へのメッセージでも、詩的要素が加わると俄然、明朝体の勝利である。そういえば、印象に残る広告コピーのほとんどは明朝体であるような気がする。
 
 甚だ主観に偏ったことを述べてしまったけれども、満更的外れなことを言っている訳でもなかろう。表現者たるもの、読む(見る)人の印象を慮り、それぞれの内容やシチュエーションにフィットしたフォント選びを心掛けたいものである。
 
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 「来年の話をすると鬼が笑う」と言うが、去年の話をいつまでもやっていたら鬼は怒るのだろうか、それとも深く悲しむのであろうか。何にせよ今になって昨年末の話をして申し訳ないのだが、第65回紅白歌合戦における『あまちゃん』特別編があまりに素晴らしくて再び「あまロス」を発症し、年が明けて2ヶ月あまりが経とうというのに、未だに寛解の兆しすらないのである。
 
 私は大晦日まで仕事だったので録画をしていたのだが、末代まで残さんとする部分だけをトリミングして編集し、繰り返して見た回数はおそらく既に100回を超えている。そして、同じ箇所で笑い、同じ箇所で涙を流す。
 
 アメ横の奈落で臥薪嘗胆を重ねてきたGMTたちが、NHKホールのステージで晴れやかに歌っていることに感涙。15歳未満ということで出場が叶わなかった小野寺ちゃんたちの無念を思って感涙。ユイちゃんがアキに向かって「すぐ行くからね、待っててね」と言って飛び出し、北三陸の人たちが「じぇじぇじぇ!」と呆気にとられる中、お馴染みのオープニングが始まり、「第157回 おら、紅白に出るど」のタイトルが出たのを見て感涙。あれだけ上京してアイドルになることを夢見続けてきたユイちゃんが、ようやくその願いを叶えたことに感涙。「2番は、おらの大好きなママが歌います!」とアキの紹介を受け、鈴鹿ひろ美の影武者だった春子が四半世紀近くの時を経て、やっと自分の名前で人前に立てたことに感涙。その鈴鹿がセリから上がって着物姿で登場し、“移ろいやすい歌声”ではない美声で「三代前からマーメイド」を歌い上げ、宮本信子のアップとなったところで感涙。そして、全員が登場しての『地元に帰ろう』の大合唱に感涙。でもそこには、美寿々さんと磯野先生(いっそん)と種市先輩(ずぶん先輩)と足立夫妻と栗原ちゃんがいなくて落胆。それなら太巻や水口だって出ていないではないかという意見もあろうが、いや、二人は舞台の袖で万感の思いを抱きながら見ているのだという解釈を聞いて感涙。
 
 という訳で一々涙腺が決壊し、それは何度繰り返して視聴しても同じなので、後作『ごちそうさん』は残り1か月を切ったというのに、「あまロス」はますます重篤の様相を深めるばかりなのだが、ここまで引き摺る『あまちゃん』の魅力って、一体何なのだろうか。
 
 随分前だが、横山やすし・西川きよしのマネージャーを務めたことで知られる、元吉本興業常務の木村正雄が現職当時に著した、『笑いの経済学』(集英社新書)という本を読んだことがある。うろ覚えなので正確でないかもしれないが、関西の二大新喜劇である、吉本新喜劇と松竹新喜劇を比較するくだりが印象に残っている。松竹新喜劇は、藤山寛美という一枚看板が全てであったのに対し、吉本新喜劇は、誰かのボケに対して舞台上の一同でコケるという「全員野球」であり、その違いがそのまま人気の差になった、というものである。
 
 両者には、純然たる人情喜劇(松竹)と、ギャグを基軸にしたドタバタ喜劇(吉本)という、そもそものテイストの違いがあるので一概に比較はできまいが、それでも子どもの頃から馴染んできた私には、なるほどと思える内容であった。しかし、その吉本新喜劇も、1980年代の漫才ブームと反比例するかのように、人気が下火になってゆく。重鎮を中心とする旧態依然の芝居は次第にマンネリ化し、客足が減っていった。そこで、当時制作部次長だった木村は、一定の期間内に目標の観客数に達しなかった場合は、吉本新喜劇をやめるという、「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」なる大胆な改革に着手する。同時に、座員全員に解雇を宣告し、一人ひとりと面談を行って、新旧の世代交代の方針を告げ、それでも残留したいという者のみが再入団するシステムを採った。花紀京、岡八郎といった、それまでの「新喜劇の顔」はこれを機に勇退し、新生・吉本新喜劇は、若手を中心としたキャスティングに転換する。そして桑原和男、池乃めだかといった重鎮は、今もなお存在感を示しつつ、後進たちを支え続け、全体を盛り上げている。
 
 これを読んだ当時、私は現業のマネージャーを任されたばかりで、部下のまとめ方に苦慮していたところだったのだが、組織をマネジメントしていくヒントを得た思いで、ちょっとした開眼となったのを覚えている。
 
 翻って『あまちゃん』を顧みたとき、やはりその魅力は、吉本新喜劇のような「全員野球」にあったのだと思う。春子を演じた小泉今日子も、読売新聞の寄稿で「宮藤さんの脚本には愛と尊敬の念があると思う。一人一人の役者さんに与える台詞は他の誰が言ってもきっと面白くならない。その人にしか絶対に言えない言葉だ。だから割り当てられた台詞を役者が発した時、いるいる、そういう人!と愛すべきキャラクターが出来上がってしまう」と述べていた。キャストの一人ひとりに立った個性があって、それが喧嘩することなくむしろ相乗効果を生んで、ドラマを盛り上げたのだと思う。
 
 チームにヒーローやヒロインは確かに必要だ。だが、その人がいなくなるとたちまちに精彩を欠いてしまうチームはあまりに脆弱である。メンバーの誰もがその時々のリーダーとなり、その人でなくてはならない役割とパワーを持ち、それが一つとなって、最大のパフォーマンス性を発揮する。そこには「俺が、私が」という唯我独尊もなければ、日蔭の花なんて慎ましさも不要である。会社でも何でもよいのだが、私はそういうチームに身を置きたい。そして、「あなたがいてくれて、ありがとう」と言ってもらえるような光を放ちたいのである。
 
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 『リーガル・ハイ2』が先日フィナーレを迎えた。最終回の視聴率は18.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、同じ堺雅人が主演の『半沢直樹』のそれが40%を超えたことを思うと敗北感がなくもないのだが、個人的な面白さは本作の方が明らかに、「倍返し」ならぬ「倍以上」であった。堺雅人の長尺の台詞回しには毎回舌を巻いたが、とりわけ最終回における、岡田将生演じる羽生晴樹と対峙する法廷での弁舌は、演者が役柄に入り込んだというより、「古美門研介」という役柄が演者に憑依したと言って差し支えのないものであり、これにはもう、圧倒される他なかった。ただ、それ以上に度肝を抜かれたというか椅子から落ちそうになったのは、羽生晴樹のあの“衝撃の結末”である。
 
 その羽生晴樹は、「ウィンウィンでいこう」、「つながってるよね」を口癖とし、「天性の人たらしで、誰とでもボーダーレスに付き合うことのできる“最強のゆとり世代”」(公式サイトより)として描かれた。今シリーズで、彼の言動の一々にいらっとしてしまった私は、製作サイドの術中、あるいは岡田将生の演技力にまんまと陥落されたということだろうが、この“最強のゆとり”というキャラクター付けは、巷間で揶揄的に言われる「ゆとり世代」というラベリングに一石を投じたと解釈するのは些か付会が過ぎようか。
 
 そういえば最近、興味深い記事を目にした。「大学生意識調査プロジェクト FUTURE2013」(公益社団法人東京広告協会主催)が発表した、「大学生のゆとり教育」に関する意識調査である。駒沢・上智・専修・東洋・日本の各大学3年の有志からなるこのプロジェクトが、それぞれの大学で160名ずつ、計800名の学生を対象に行った調査結果は、『「ゆとり」の現実 「さとり」の真実』と題した報告書にまとめられた。これによると、「ゆとり世代」は、「ゆとり」の自覚と、そう呼ばれることへの抵抗感の有無とでマトリックス化することで、4つのタイプに分類されるとしている。詳細はこちら をご覧いただければと思うが、自らを「ゆとり」と認めて抵抗も覚えない『真性ゆとり層』が全体の3分の1を超える285人に上った一方で、自覚しつつも抵抗感がある『あせり層』、「ゆとり」呼ばわりを気にかけない『つっぱしり層』、自分がそうだとは思わないが言われると抵抗を感じる『きっちり層』もいるのだとし、「ゆとり世代」の多様性を示した。そして、そうした結論を踏まえて「ゆとり、ひとくくり、もううんざり」というフレーズでまとめ上げたのには、なるほどと唸らされた。
 
 第59回でも記したように、勤務先の私が所属する部門には、この春から3名の新卒を迎えている。数年前には「すわ、いよいよ平成生まれの新卒が入ってくる」と慄いたものであるが、昨今では「どうやら、とうとうゆとり世代が入ってくる」という構えへとシフトしている。この3名は正にその「ゆとり世代」である。入社して早や9カ月を経ようとしているが、夏頃、面白いことに(と言っては彼らには気の毒なのだが)、3人が3人、全く同じ壁にぶち当たったのである。ところがもっと面白かった(無礼がしつこい)のは、壁にぶち当たったときの処し方が、それぞれに全く異なったのである。
 
 1人目は、旧帝大出のイケメン男子。流石に頭の回転は速く、原因分析とその対処法を、極めて冷静に考え、自分の考えを述べた。およそ「ゆとり世代」とは思えぬ明晰さである。ただ、理論と実践はまた違うのであって、そうやすやすと青写真どおりには解決しない。2人目は、私大出の女子。毎晩米3合を炊いてはぺろりと平らげるバリバリの体育会系だけあって、壁は「乗り越えるもの」というよりは「ぶち破るもの」と思っているらしく、ぶつかり稽古を何度も試みる。しかしそこはやはり女の子。厚い壁に当たって砕けて満身創痍、最後にはよよと泣いてしまった。3人目は、地元の公立大を出た男子。飄々として危機感もなく、「それの何が問題なのか」といった風である。つまり、壁にぶち当たるどころか、壁の10メートル手前で座り込んでいるような感じなのである。
 
 おそらく、『真性ゆとり層』に当たるのは3番目で、1人目は『きっちり層』、2人目は『つっぱしり層』なのだろう。先の報告書を読みながら、この3人の姿がまざまざと想起されて、思わずほくそ笑んでしまった。たった3名の新卒ではあるが、それでも三者三様、「ゆとり世代」の多様性を実感した次第だ。
 
 そもそも、「ゆとり教育」を推進したのは大人たちで、彼らや彼女たちは好きこのんでその時代を生きた訳ではない。その意味では「ゆとり世代」である彼らや彼女たちは“被害者”である、という考え方もできる。もとよりこれを提唱した人たちは、まさか10年後、「ゆとり」という言葉が揶揄的に用いられ、その世代が社会に出てひとくくりの嘲りの対象になろうとは夢にも思っていなかっただろうが、なればこそ、彼らや彼女たちから「ゆとり」のレッテルを剥がしてやるのは、大人というか年長者の務めであろうと思えてくるのだ。
 
 そこで私は、件(くだん)の3人には、一律ではなく、それぞれに合った育成を施した。1人目の『きっちり層』にはPDCAサイクルに基づく実践を促し、2人目の『つっぱしり層』には冷静に物事の本質を見極めることの必要性を説く。そして3人目の『真性ゆとり層』には、とりあえず立ち上がって、壁のあるところまで走っていけと尻を叩いた。いずれにしても、古びた徒弟制度よろしく、「俺の背中を見て学べ」なんて居丈高なことを言っても何の進歩にもつながらないことだけは確かであるから、各々のタイプにフィットした、「構ってあげる育成」を心掛けている。
 
 「ゆとり世代」を作ったのは我々より一回りかもっと上の世代であるが、20代を「失われた10年」の中で過ごし、それに何の楔を打ち込むこともできないまま壮年期を迎えた結果、もしかしたら「失われた30年」にしてしまうかもしれない我々にだって負うべき責任はあるだろう。そんなことを考えながら『リーガル・ハイ』を見ていると、羽生が言うところの「ウィンウィンな関係」って、もしかしたらこういうことを言うのかもしれないと思えてくる。私は自身の職責を全うしながら、しかし一方でこの「ゆとりちゃん」たちに、「『ゆとり』の矜持」というものを、いつか抱かせてやりたいと思うのだ。
 
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 2015年春に開業予定の、北陸新幹線の長野~金沢間について、6月に途中駅の駅名が、そして先頃10月には列車名が、それぞれ発表された。北陸新幹線の基本計画が決定されたのは1970年のことであるから、星霜ここに45年、漸く名実ともに北陸の地まで新幹線が走ることになる。地元の期待感は如何ばかりかと推察されるのだが、新駅となる「上越妙高」「黒部宇奈月温泉」「新高岡」の決定した駅名を見て、私は嘆息を漏らしてしまった。「新黒部」の仮称が「黒部宇奈月温泉」となったのが、どうにも腑に落ちないのである。長くて言い難いのは勿論であるが、引っ掛かるのはそれだけではない。
 
 「黒部」と言って一般的に想起される「立山黒部アルペンルート」は通常なら富山から向かうものなので、誤って降りる客がいるという憂慮や、宇奈月温泉へ行くならこの駅で降りるのが最も便利であるから、それを駅名に加えた方が分かりやすいという判断があってのことだろう。ただ、観光客というのは、普通は事前に旅行計画を立て、切符や宿の手配を済ませてから出立するものである。「『新黒部』なんて駅名だから降りてみたが黒部ダムへは行けないではないか」とか、逆に「『宇奈月』が新幹線の駅名に入っていないから富山まで乗り過ごしてしまったではないか」などと苦情を申し立てる者がいるとは思えない。
 
 新聞記事などを読んでいると、地元観光業界からは、駅名に「宇奈月温泉」が入ったことを歓迎する声が聞かれる一方で、地元企業の経営者の意見として、「どういう配慮があって決まったかわからないが、駅名としては長い」という指摘もある。大体、ここで接続する富山地方鉄道には「宇奈月温泉」という“本丸”たる駅が既にあるのであり、従って同線の新駅は「新黒部」という名称にせざるを得なかった。そんなことは少し考えれば容易に判断できることであろうし、都市部ではざらに見られる「同じ場所にあるのに駅名が異なる」というのは、それだけで利用者の混乱を招くものであるが、何故その辺に深謀遠慮が及ばなかったのであろうかと小首を傾げてしまう。
 
 新駅の名称が、「観光客誘致」「地域活性化」の名の下にさまざまな思惑が複雑に絡み合って決定するのは世の常であるし、それに理解を示さない訳ではないが、だからと言って、他力本願よろしく安直な駅名をつけるというのもどうかと思うのである。
 
 最近では、地方の空港でも正気の沙汰とは思えぬ奇怪な愛称があちこちでつけられている。釧路空港の「たんちょう釧路空港」、帯広空港の「とかち帯広空港」、花巻空港の「いわて花巻空港」、大館能代空港の「あきた北空港」、富山空港の「富山きときと空港」、松本空港の「信州まつもと空港」、静岡空港の「富士山静岡空港」、神戸空港の「マリンエア」、但馬飛行場の「コウノトリ但馬空港」、出雲空港の「出雲縁結び空港」、石見空港の「萩・石見空港」、美保飛行場(米子空港)の「米子鬼太郎空港」、岩国飛行場の「岩国錦帯橋空港」、徳島飛行場(徳島空港)の「徳島阿波おどり空港」、高知空港の「高知龍馬空港」、佐賀空港の「有明佐賀空港」、対馬空港の「対馬やまねこ空港」、熊本空港の「阿蘇くまもと空港」、種子島空港の「コスモポート種子島」、徳之島空港の「徳之島子宝空港」、新石垣空港の「南ぬ島石垣空港」とまあ、絶賛急増中で、こうして書き並べてみたのを見るだけで眩暈がしそうなのである。
 
 平仮名でないと読んでもらえぬマイナーな地名なのですかとか、大館や能代では客は集まらないという自己否定ですかとか、富士山はお宅の県の占有物ですかとか、「きときと」って何ですかとか、「縁結び空港」には既婚者は降り立ったらダメなんですかとか、「子宝空港」ってあらぬ誤解を招きませんかとか、それはもう、いろんなツッコミが思いつくし、この風潮に乗っかって、よしや「大阪たこ焼き空港」とか「関西だんじり空港」なんて愛称が付けられるようなことがあったら、終生飛行機を利用するまいという決意さえ沸き起こる。
 
 そんなツッコミを並べ立てながら思い出す一つの出来事がある。2012年に、香川県の「うどん県」キャンペーンに合わせて、県の玄関口である高松駅に「さぬきうどん駅」の愛称をつけることになった。ところが高松市や地元の人たちから、市民への意見聴取のないまま決定されたことや、同市にはうどん以外の特産物もあることなどを理由として、強い反発が起こった。JR四国の社長と県知事による協議がなされた結果、「さぬき高松うどん駅」とすることになった――という一件である。
 
 落ち着いて考えよう。「うどん県」というネーミングもどうかと思うが、「さぬきうどん駅」って、例えば鶴橋駅を「焼肉駅」、伊勢市駅を「赤福駅」、篠山口駅を「黒豆駅」、播州赤穂駅を「塩駅」と言うようなものではないか。さらにここへ強引に「高松」を入れたことでますますおかしなネーミングになってしまい、出張で高松駅には何度か降り立ったことがあるが、あの駅名標をみるだけで毎度げんなりするのだ。
 
 それはさて措くとしても、高松市の意見である、「うどん以外の特産物もある」というくだりに私は深く思いを致したい。「香川県のアイデンティティはうどんだけではない」という地元の人たちの主張は、蓋し、こうしたおかしなネーミングに一石を投じる極めて重要な示唆であろうと思うのだ。昨今では「ゆるキャラ」が大ブームであるが、その筆頭格である「くまモン」は、阿蘇でも天草でも太平燕でも馬刺しでもなく、「熊本」そのもので勝負している。また、『おしい!広島県』キャンペーンも、「広島」の魅力を逆説的に訴求するというその手法が秀逸だ。つまり、いずれも、「熊本」や「広島」それ自体を売ろうとしているのだ。
 
 かつて岡山に住んでいた頃、社会科の授業で先生が、「観光客の多くは、『岡山』は知らなくても『倉敷』なら知っているものである」という話をしたことがあって、県都の価値ってそんなもんかと悲しくなった。しかし確かに、駅前の目抜き通りを「桃太郎大通り」と名付けるセンスに辟易したもので、桃太郎を取り上げたら岡山からは何もなくなるのかと当時は訝った。それから四半世紀を経て、やっと『伝説の岡山市』というキャンペーンを張り出した。観光客はきびだんごに釣られてほいほいとやってくるのではない。桃太郎さんの力を借りずとも、「岡山」という名で勝負してこそ、岡山という街のステイタスが上がるというものではないだろうか。
 
 地方のアイデンティティというのは、一つの著名な観光地や物産品などに収斂されるものではなく、当地そのもののブランド化にこそ、その要諦があると言えよう。それにもう一つ大切なのは、地元の人々が地元を愛していなければ、地元の人々が地元を魅力に感じていなければ、余所から人がやってくるはずもないのである。たかがネーミングであるが、されどネーミング。まずは、それが当地のアイデンティティを的確に表現しているのか、地元の人々に問うてみるところから始めてみてはどうだろう。
 
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