先般、桑名正博が死去し、その悲しみも乾かぬ間に今度は藤本義一の訃報である。「お笑いの大阪」とは言われるが、こういうダンディズム溢れる文化人だって大阪にはいるのであって、その意味においても、またしても惜しい人を亡くしてしまった。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
藤本義一の本職は申すまでもなく作家であるが、よく考えてみたら、氏の文芸作品を一冊として読んだことがない。芥川賞や直木賞の受賞作全てを読破している訳では勿論ないから、別段周章狼狽に及ぶ話でもないが、しかしこうした訃報に接して初めて著書を手にするというのも、故人に対して失礼な気がする。
では、氏の死を何故かくも悼むかというと、やはりテレビの影響であろうと思う。「著作は読んだことはないが、テレビ番組での馴染みは深い」という人は恐らく少なからずおられるのではと察せられる。そして、何が最も印象に残るかと問えば、多くの人が『11PM』を挙げるに違いがないのだ。
『11PM』は申すまでもなく、かつて月~金曜にやっていた、深夜番組の金字塔である。そして当時まだ子どもだった我々にとって、目くるめく禁断のお色気番組であった。既に眠りに就いている親の目を盗んで密かにチャンネルを回した人はきっと多いはずである。しかるにこれがただの低俗番組に成り下がらなかったのは偏に制作サイド、そして司会者たちの力量なのであって、「この人たちが番組を支えているのだから」という安心感が番組への支持を得たのであろう。大橋巨泉然り、愛川欽也然り、そして関西からはこの藤本義一然りなのである。
我々の世代にとって、子ども時代の禁断の番組としてはもう一つ、土曜の『ウィークエンダー』が挙げられよう。泉ピン子や桂朝丸(現・ざこば)の出世作としても知られる“名番組”であるが、何といってもこの番組の真骨頂は「再現フィルム」であろう。今のご時世ではとても放送できるようなものではないが、そんなものを今で言うところの「プライムタイム」である22時台にやっていたのだから、時が時なれば、といったところである。裏では名門番組、『土曜ワイド劇場』をやっていたが、『ウィークエンダー』に対抗するために、当時は22時前後に必ず濡れ場シーンを入れていたほどであるから、これの“怪物番組”ぶりが偲ばれよう。
ところで、私の通った小学校は公立であるが、家庭生活の起床から就寝に至るまで、徹底した管理教育がなされており、「生活調べ」というのと「テレビ調べ」というのがあった。今にして思えばこの「調べ」という転成名詞が何とも間が抜けている感じがするし、自らの行動を申告するのに「調べ」ということばを用いるのもおかしな気がするが、要するに、1週間を規則正しく過ごしているか、あるいは良からぬテレビ番組を見てはいないかを「調べ」るというものである。
「生活調べ」は、起床時刻、朝食の摂取、排便、勉強時間、テレビの視聴時間、就寝時刻などについて、「よくできた」が2点、「できた」が1点、「できなかった」が0点で点数化するものである。例えば、排便の項目は「うんこ」というタイトルで、「朝した」のであれば2点、「した(=午後以降にした、の意)」は1点、「しなかった」は0点である。うんこを怠った者は落第生ということである。小学生から便秘に悩む者というのもあまり聞かないが、しかしこの小学校では、本人の意思とは無関係に、体調の問題で便通がなかったとしても「0点」扱いである。週の終りには本人の振り返りを記入し、担任教諭からのコメントが返されるのであるが、児童は「うんこがあまり出なかったので来週はがんばります」と記し、担任は「毎日うんこが出るようにしっかりがんばりましょうね」と返事を書くのである。モンスターペアレントなるものが存在しない平和で牧歌的な時代であったからこそできた、狂気の沙汰とでもいうべき教育であった。
もう1つの「テレビ調べ」は不定期の実施であったが、文字通りに、1週間に視聴したテレビ番組とその時間を記入して提出するものである。下らないアニメやバラエティばかり見ている者は注意を受け、同じアニメ番組でも『まんが日本昔ばなし』や『ハウス世界名作劇場』などを主体に視聴している者はお褒めに与るというのは想像に難くないと思われるが、単細胞な私は、叛骨心とかそういうものではなく、ただ単純に、大人の顔色を窺ったり迎合したりといったことができない子どもであったので、馬鹿正直に、1週間に視聴した番組を書き連ね、提出した。
翌日、私と、もう1人の女子が担任に呼び出された(余談であるがこの女子には以前記した今夏の同窓会で26年ぶりに再会したのであるが、「面影」というレベルを通り越して、小学校時代からあまりに変わっていないので爆笑してしまった)。理由はその「テレビ調べ」にあるのだが、この2人は、土曜の欄に揃いも揃って、『ウィークエンダー』を記入していたのだ。当然、担任からは苛烈な叱責を受け、お決まり文句の「子どもが見る番組ではありません!」のお小言を頂戴したのであるが、女子でこれを見ている人が同級生にいたということに吃驚した。
社団法人日本PTA全国協議会が毎年発表する「子どもに見せたくない番組」、最近の常連は『ロンドンハーツ』、『めちゃ²イケてるッ!』、『クレヨンしんちゃん』が御三家であるが、アンケートの選択肢には最初からトップ2が「例」として記されているなど、多分に恣意的なものである。我々が小学校の時代は『8時だョ!全員集合』がその筆頭であったが、これを見て育った者のうち、どれくらいの割合で人格形成に破綻を来しているのか、そんな懐疑を抱く者は少なくあるまい。いかりや長介がこの世を去ったとき、通夜会場の周辺には多くのファンが訪れていたが、午後8時になると同時に数ヶ所で、ファンが持ち込んだテープによりいかりやの「8時だョ!」という掛け声が流れ、即座に周囲のファンが「全員集合!」と合わせた。息子の浩一氏は、ファンの愛に感動したという、こんな美談まであるのである。
先述の『11PM』にしても『ウィークエンダー』にしても、当時は「超ワースト番組」の烙印を押されたものであるが、職場の同世代の同僚とはしばしば「懐かしの番組ネタ」で盛り上がるし、今やお互い、上場企業の管理職を張っているのである。俗悪番組と、少年犯罪をはじめとする諸問題との因果関係は無論否定し切れないが、「臭いものに蓋をする」で解決することでもあるまい。断片的な部分のみに注視するあまり、子どもの育成の本質を見失わないでほしいと、今も昔もテレビっ子の私は思うのである。
勤務先の喫煙所にいつも屯(たむろ)している社外の人間がいる。最近は、ビル内は完全禁煙で締め出されるとか、御堂筋で喫煙したら罰金を取られるとか、確かに愛煙家には世知辛い世の中であるから、こういう喫煙所を「都会のオアシス」よろしく見つけて一服しようという気持ちは分からなくもないが、社外の人間だから本当は立ち入ってはいけないのである。隣の会社の人間と思われる、中間管理職風情の男性と30歳前後と思しき女性の、一見不倫関係ではないかと思ってしまう2人連れがいつも仲良く入ってくるのであるが、清掃クルーのおばちゃんがそれを見ては、「余所の会社の人なのに許せない!」と怒る。すると、ペアのおっちゃんが「たばこくらい大目に見たってもええがな」と宥める。そんな様子が日常の風景となって久しい。
それより何より、最近気になっているのは、毎日、ウチの喫煙所に入り浸っている、郵便配達のおっさんである。制服着用で堂々とサボっていて大丈夫なんかいな、と余計な心配をしてしまうのだが、一度入ったら何本もたばこを吸い続け、しかもその間、何かに取り憑かれたかのように、ずっとケータイを弄っているのである。その鬼気迫る様子は、一時でもケータイを手放せば発作を起こして事切れてしまうかのようでもあり、大の大人がかかる醜態を晒して情けないことよ、とも思う。
よく観察していると、喫煙所で一人たばこを燻らせている人は、大概、同時にケータイやスマホを弄っている。例えば弊社の社員でも、喫煙中、一心不乱に画面と向き合っている人がいる。何を見ているのかを当人に問うことは何人たりとも能わず、さまざまな憶測のみが流れる。「ケータイで株をやっているのだ」「いや、あれは小説を書いているのだ」「いやいや、ええ歳して意外にロマンスに溺れているのやも知れぬ」等々、一介の社員の行動が最早都市伝説化していて物凄いことだと思うのだが、それほどまでに通信機器と不可分の生き方をする、蓋し、これは現代における重篤な病理ではないかと、背筋が寒くなる。
では自分はどうなのかというと、やっぱり、そうしたものがないと生きていけないのかもしれない。
7月に、ケータイの調子がおかしくなった。充電ランプは点灯しているのに、一向に電池の残量が増えないのである。出先にいて、職場からじゃんじゃん電話が掛かってくるのに、「残量1%」では取ることもできず、それでは困るので慌ててドコモショップに行き、その旨を訴えた。電池パックは4ヶ月前に替えたばかりだし、どのアダプタで充電を試みても同じなのでアダプタにも問題はない。とすれば、電話本体の問題であろうとのこと。修理に出してもよいが10日間ほど掛かる。ということで意を決して、スマホに替えることにした。
たまたま翌日発売の新機種があるそうで、それを予約したのだが、充電の効かないケータイで1日を凌ぐのも大変困るというか、この間に重要なメールが届いたらどうしよう、職場で斃れたら如何にして家人と連絡を取ればよいのだろう、よしや誰かから愛の告白をされていたらどうやってそれを受けよう――さまざまなことが頭を擡(もた)げ、ケータイがないと、もしかしたら自分の生死に関わるのではないかという強迫観念さえ覚えたのである。
そんな次第で私も立派なケータイ依存症なのだが、私がケータイというものを所持したのは人よりも相当に遅くて、確か2000年、20世紀の終わりギリギリのことである。「社会人にもなってケータイ持ってへんとかありえへんわ。大体、仕事にならんがな」と上司から指示命令を受けて、しゃあないなあと、やっと重い腰を上げて買いに行った。当時はほぼ終日内勤であったし、自宅も固定電話があるのだから、「仕事にならん」ことはないと思うのだが。
さらに昔、学生時代には『ポケベルが鳴らなくて』というバブル期の象徴のような歌とドラマもあったが、自分はそんなもの持ってすらいなかったから、鳴るも鳴らぬも、緒形拳と裕木奈江の不貞ロマンスを物憂そうに眺めていただけである。駅の公衆電話で女子高生がこの世のものとも思えぬ速度で電話機を連打しているのを見たときには、よくもあんな曲芸のようなことができるものよと吃驚したものであるが、とにもかくにも、時代についていけていなかったよなあ、と思う。いや、「ついていけていなかった」のではなく、「ついていかなかった」というのが正しいかもしれない。四六時中、他人から束縛されるのは嫌ではないか。今でも休日に、会社から電話やメールが来るのだが、火急の用件なら致し方ないとしても、明日でも構わない用件で鳴らされたら、折角の現実逃避の時間が台無しというものである。人と交わるのは勿論嫌ではないけれども、一人の時間だって大切にしたいのだ。
そんな私が一度(ひとたび)ケータイなりスマホなりを所持してしまうと、片時も手放せなくなってしまっているのだから、この文明の利器の中毒性は、ちょっとした麻薬などより余程重いのではないかと思う。しかも最近では、大阪の地下鉄でもトンネル内での通信が可能になったものだから、そうした中毒症状には拍車がかかる一方である。我が事ながらこれは一体、どうしたものであろうか。
子どもの頃にも「携帯電話」のようなものはあったが、それは自動車電話などのように、ごく一部の上流階級のみが所持しているものであり、我々一般大衆が普通に手にする日が来るなど夢にも思わなかった。かつて描かれた「21世紀の未来の姿」は、現実のそれとは随分と違うけれども、しかし「未来」は当時より確実に進歩していた。自分がそれに追従するのは常に人より一歩遅れてはいるのだが、それでも使いこなしたいと思う心情の根底には、情報への渇望、そして人とのつながりへの希求があるのだろうと思う。こうしたコミュニケーションに依存してしまうと、本来の対人関係能力が脆弱になるという意見もあるが、しかしこうした利器のおかげで、長らく疎遠だった懐かしい人たちとの再会を果たせたのもまた事実である。
スマホに変えて約3ヶ月、未だに操作法に慣れず、電車の中で画面をぴゃーんぴゃーんとやっている(これを「フリック」と呼ぶことを知ったのはついこの間である)と酔ってしまって吐き気を催すなど、命懸けで握り締めているスマホではあるが、その中毒性に溺れぬように気をつけながら、大切に使っていきたいと思う。
それより何より、最近気になっているのは、毎日、ウチの喫煙所に入り浸っている、郵便配達のおっさんである。制服着用で堂々とサボっていて大丈夫なんかいな、と余計な心配をしてしまうのだが、一度入ったら何本もたばこを吸い続け、しかもその間、何かに取り憑かれたかのように、ずっとケータイを弄っているのである。その鬼気迫る様子は、一時でもケータイを手放せば発作を起こして事切れてしまうかのようでもあり、大の大人がかかる醜態を晒して情けないことよ、とも思う。
よく観察していると、喫煙所で一人たばこを燻らせている人は、大概、同時にケータイやスマホを弄っている。例えば弊社の社員でも、喫煙中、一心不乱に画面と向き合っている人がいる。何を見ているのかを当人に問うことは何人たりとも能わず、さまざまな憶測のみが流れる。「ケータイで株をやっているのだ」「いや、あれは小説を書いているのだ」「いやいや、ええ歳して意外にロマンスに溺れているのやも知れぬ」等々、一介の社員の行動が最早都市伝説化していて物凄いことだと思うのだが、それほどまでに通信機器と不可分の生き方をする、蓋し、これは現代における重篤な病理ではないかと、背筋が寒くなる。
では自分はどうなのかというと、やっぱり、そうしたものがないと生きていけないのかもしれない。
7月に、ケータイの調子がおかしくなった。充電ランプは点灯しているのに、一向に電池の残量が増えないのである。出先にいて、職場からじゃんじゃん電話が掛かってくるのに、「残量1%」では取ることもできず、それでは困るので慌ててドコモショップに行き、その旨を訴えた。電池パックは4ヶ月前に替えたばかりだし、どのアダプタで充電を試みても同じなのでアダプタにも問題はない。とすれば、電話本体の問題であろうとのこと。修理に出してもよいが10日間ほど掛かる。ということで意を決して、スマホに替えることにした。
たまたま翌日発売の新機種があるそうで、それを予約したのだが、充電の効かないケータイで1日を凌ぐのも大変困るというか、この間に重要なメールが届いたらどうしよう、職場で斃れたら如何にして家人と連絡を取ればよいのだろう、よしや誰かから愛の告白をされていたらどうやってそれを受けよう――さまざまなことが頭を擡(もた)げ、ケータイがないと、もしかしたら自分の生死に関わるのではないかという強迫観念さえ覚えたのである。
そんな次第で私も立派なケータイ依存症なのだが、私がケータイというものを所持したのは人よりも相当に遅くて、確か2000年、20世紀の終わりギリギリのことである。「社会人にもなってケータイ持ってへんとかありえへんわ。大体、仕事にならんがな」と上司から指示命令を受けて、しゃあないなあと、やっと重い腰を上げて買いに行った。当時はほぼ終日内勤であったし、自宅も固定電話があるのだから、「仕事にならん」ことはないと思うのだが。
さらに昔、学生時代には『ポケベルが鳴らなくて』というバブル期の象徴のような歌とドラマもあったが、自分はそんなもの持ってすらいなかったから、鳴るも鳴らぬも、緒形拳と裕木奈江の不貞ロマンスを物憂そうに眺めていただけである。駅の公衆電話で女子高生がこの世のものとも思えぬ速度で電話機を連打しているのを見たときには、よくもあんな曲芸のようなことができるものよと吃驚したものであるが、とにもかくにも、時代についていけていなかったよなあ、と思う。いや、「ついていけていなかった」のではなく、「ついていかなかった」というのが正しいかもしれない。四六時中、他人から束縛されるのは嫌ではないか。今でも休日に、会社から電話やメールが来るのだが、火急の用件なら致し方ないとしても、明日でも構わない用件で鳴らされたら、折角の現実逃避の時間が台無しというものである。人と交わるのは勿論嫌ではないけれども、一人の時間だって大切にしたいのだ。
そんな私が一度(ひとたび)ケータイなりスマホなりを所持してしまうと、片時も手放せなくなってしまっているのだから、この文明の利器の中毒性は、ちょっとした麻薬などより余程重いのではないかと思う。しかも最近では、大阪の地下鉄でもトンネル内での通信が可能になったものだから、そうした中毒症状には拍車がかかる一方である。我が事ながらこれは一体、どうしたものであろうか。
子どもの頃にも「携帯電話」のようなものはあったが、それは自動車電話などのように、ごく一部の上流階級のみが所持しているものであり、我々一般大衆が普通に手にする日が来るなど夢にも思わなかった。かつて描かれた「21世紀の未来の姿」は、現実のそれとは随分と違うけれども、しかし「未来」は当時より確実に進歩していた。自分がそれに追従するのは常に人より一歩遅れてはいるのだが、それでも使いこなしたいと思う心情の根底には、情報への渇望、そして人とのつながりへの希求があるのだろうと思う。こうしたコミュニケーションに依存してしまうと、本来の対人関係能力が脆弱になるという意見もあるが、しかしこうした利器のおかげで、長らく疎遠だった懐かしい人たちとの再会を果たせたのもまた事実である。
スマホに変えて約3ヶ月、未だに操作法に慣れず、電車の中で画面をぴゃーんぴゃーんとやっている(これを「フリック」と呼ぶことを知ったのはついこの間である)と酔ってしまって吐き気を催すなど、命懸けで握り締めているスマホではあるが、その中毒性に溺れぬように気をつけながら、大切に使っていきたいと思う。
残業帰りの23時台の地下鉄御堂筋線で、聞き捨てならぬ会話を耳にした。喋り方から察するに関東の人ではないかと思うが、大阪駅周辺の百貨店のインフレ状態に対する批判である。先週の10月25日に阪急百貨店の二期棟がオープンし、足掛け7年に亙って工事をしていた梅田阪急がやっとその全容を現したのであるが、鳴り物入りのオープンの割には全然混雑していないではないかというものである。沿線住民としてこれは初日に行っておかねばならぬということで休日というのに朝から家人と2人で出陣したのではあるが、確かに仰る通りで、入場整理をやっているものの入店は極めてスムーズで、覚悟していた待ち時間は皆無、身動きも自由自在であり、拍子抜けだったのは事実である。事実は事実だからそれを云々するのは構わないが、続けて何を言うかと思って聞き耳を立てると、「JR三越伊勢丹も売り上げは全然ダメ、梅田周辺の百貨店の売り場面積合計は、新宿周辺のそれを上回るというのに、売り上げは新宿のそれを大きく下回っているらしい。梅田の分際で新宿に対抗しようなんて不遜も甚だしい」という趣旨のことを、高歌放吟よろしく大音声(だいおんじょう)で語っているではないか。
あのな、いつ誰が梅田を新宿に対抗させようなんて言うたんや。おのれ、天下の御堂筋線の車内でそこまで大阪を扱き下ろすからには相当な覚悟を持って乗ってきてんねやろな、と凄んでみようかと思ったが、実行に移せないのは、自分が紳士であるからか、はたまたただのヘタレである所以なのか。それにしても関東人のくせに、大阪の事情にえらい詳しいものである。
そうした憤懣はさておき、大阪市内の各所で行われているこのような百貨店の新装と連動する形で、それと直結するターミナル駅の改装をやっている。綺麗で便利になるのは大変結構なのだが、一つ困っているのは、待ち合わせ場所の選定に難儀することである。定番とされてきたスポットが、次々にその姿を消しているのだ。
件(くだん)の大阪駅にはかつて、「噴水小僧」という待ち合わせスポットがあった。中央口コンコースの北側付近、それこそJR三越伊勢丹やルクアのエントランスに取って代わられた場所である。新大阪駅の千成びょうたんと並んで、旅行者の待ち合わせ場所としてはあまりに有名なスポットだった。とりわけこの「噴水小僧」は、学生たちが連れ立って旅立つ際の集合場所として定番であり、かく申す私も、大学時代にサークルでどこかに行かんとするときには決まって、ここが集合場所として指定されたものである。定期の夜行列車がほぼ全廃となった今、このような大きな待ち合わせ場所は不要と判断されたのか、それとも新しい大阪駅には似つかわしくないと思われたのか、「噴水小僧」が再びその姿を現すことはなかった。新設された3階連絡橋口の上層部に「時空(とき)の広場」というのが設けられたが、1階に改札口があるのにわざわざ4階まで上がって待ち合わせる酔狂な客もそうはいるまい。聞けばこの「小僧」、1901年から大阪駅に鎮座していた年季物で、小僧を名乗りながら御年111歳の長寿なのだとか。今は弁天町の交通科学博物館の倉庫で眠っているらしい。
南海難波駅の「ロケット広場」も著名な待ち合わせ場所で、ミナミに疎い我々北の人間にとっては、取り敢えずここに行けば何とかなるという、便利なスポットであった。北から地下鉄でやってきて、その後戎橋方面に行くのであれば、一旦ロケット広場に集まるというのは全く非効率な迂回に他ならないのであるが、かと言って他に分かりやすい集合場所もなく、それこそ戎橋当りでは人が多過ぎて待ち合わせにならず、迷っているうちに女子の人たちは良からぬ男子の人にナンパされてしまうという危険も孕むことから、遠回りであっても安全な「ロケット広場」がやはり選ばれるのであった。しかるに、高島屋の改装に伴い、いつしかロケットが撤去されてしまったのは誠に残念である。現在は「なんばガレリア」という名前になっているらしいが、そんな小洒落た名称が定着するはずもなく、私に言わせれば、ロケットがなくなった「ただの広場」である。きっとロケットは、遠い宇宙に向けて飛び立っていったのであろう。浪花の誇りとして記憶に止めたい。
天王寺駅の「天女の像」は、既に跡形もなく、無粋な鉄骨が剝き出しのまま、相変わらず改装工事が続いているのだが、未だに待ち合わせの連絡で「天女の下」と指定してくる人がいて、天女様がおわしましたのははてさてどの位置だったかと途方に暮れる。ここで正しく待ち合わせを行おうと思えば、故意に遅刻して、皆が集まっている場所を探し当てるしかない。天王寺周辺も、キューズモールが完成し、あべのハルカスもその威容を現しつつあるが、これらの新装が完了した暁には、JRのコンコースにも再び、天女様が舞い降りてこられるのであろうか。
という訳で、大阪市内の定番待ち合わせスポットで生き残っているのは、阪急梅田駅の「BIG MAN」だけになってしまった。ところが「BIG MANの前」と言われてもその範囲があまりに広くてアバウトであり、また若者たちでごった返す上に、電車の乗客や紀伊国屋書店の客の出入りが錯綜するため、待ち合わせ場所の体を全く為していない。携帯電話が普及していない時代には、全員定刻に集合しているにも拘わらず、連絡の取りようがなくてなかなか回り逢うことができないという、無限回廊の如き難攻不落の地であった。そんなことは、一度行ってみれば誰でも学習することであって、次からはもっとまともな集合場所を指定するものであるが、今なお、人の群れが絶えないところを見ると、やはり「梅田で待ち合わせと言えば、BIG MAN」なのだろう。
間もなく忘年会シーズンを迎え、人との待ち合わせの機会も増えようが、こうした状況にあっては、例えば「地下鉄肥後橋駅の改札を出て右に3本目の柱のところ」とか、「JR京橋駅の北口のおけいはんの大広告の真下」とか、「梅田新道交差点の南西角のおっさんが多数寝転がっているベンチの前」とか、そうした具体的なピンポイントを指定しなければ、迷える子羊が街中のそこらじゅうに溢れ返ってしまうのではないかと、ただ憂慮は募るばかりである。
あのな、いつ誰が梅田を新宿に対抗させようなんて言うたんや。おのれ、天下の御堂筋線の車内でそこまで大阪を扱き下ろすからには相当な覚悟を持って乗ってきてんねやろな、と凄んでみようかと思ったが、実行に移せないのは、自分が紳士であるからか、はたまたただのヘタレである所以なのか。それにしても関東人のくせに、大阪の事情にえらい詳しいものである。
そうした憤懣はさておき、大阪市内の各所で行われているこのような百貨店の新装と連動する形で、それと直結するターミナル駅の改装をやっている。綺麗で便利になるのは大変結構なのだが、一つ困っているのは、待ち合わせ場所の選定に難儀することである。定番とされてきたスポットが、次々にその姿を消しているのだ。
件(くだん)の大阪駅にはかつて、「噴水小僧」という待ち合わせスポットがあった。中央口コンコースの北側付近、それこそJR三越伊勢丹やルクアのエントランスに取って代わられた場所である。新大阪駅の千成びょうたんと並んで、旅行者の待ち合わせ場所としてはあまりに有名なスポットだった。とりわけこの「噴水小僧」は、学生たちが連れ立って旅立つ際の集合場所として定番であり、かく申す私も、大学時代にサークルでどこかに行かんとするときには決まって、ここが集合場所として指定されたものである。定期の夜行列車がほぼ全廃となった今、このような大きな待ち合わせ場所は不要と判断されたのか、それとも新しい大阪駅には似つかわしくないと思われたのか、「噴水小僧」が再びその姿を現すことはなかった。新設された3階連絡橋口の上層部に「時空(とき)の広場」というのが設けられたが、1階に改札口があるのにわざわざ4階まで上がって待ち合わせる酔狂な客もそうはいるまい。聞けばこの「小僧」、1901年から大阪駅に鎮座していた年季物で、小僧を名乗りながら御年111歳の長寿なのだとか。今は弁天町の交通科学博物館の倉庫で眠っているらしい。
南海難波駅の「ロケット広場」も著名な待ち合わせ場所で、ミナミに疎い我々北の人間にとっては、取り敢えずここに行けば何とかなるという、便利なスポットであった。北から地下鉄でやってきて、その後戎橋方面に行くのであれば、一旦ロケット広場に集まるというのは全く非効率な迂回に他ならないのであるが、かと言って他に分かりやすい集合場所もなく、それこそ戎橋当りでは人が多過ぎて待ち合わせにならず、迷っているうちに女子の人たちは良からぬ男子の人にナンパされてしまうという危険も孕むことから、遠回りであっても安全な「ロケット広場」がやはり選ばれるのであった。しかるに、高島屋の改装に伴い、いつしかロケットが撤去されてしまったのは誠に残念である。現在は「なんばガレリア」という名前になっているらしいが、そんな小洒落た名称が定着するはずもなく、私に言わせれば、ロケットがなくなった「ただの広場」である。きっとロケットは、遠い宇宙に向けて飛び立っていったのであろう。浪花の誇りとして記憶に止めたい。
天王寺駅の「天女の像」は、既に跡形もなく、無粋な鉄骨が剝き出しのまま、相変わらず改装工事が続いているのだが、未だに待ち合わせの連絡で「天女の下」と指定してくる人がいて、天女様がおわしましたのははてさてどの位置だったかと途方に暮れる。ここで正しく待ち合わせを行おうと思えば、故意に遅刻して、皆が集まっている場所を探し当てるしかない。天王寺周辺も、キューズモールが完成し、あべのハルカスもその威容を現しつつあるが、これらの新装が完了した暁には、JRのコンコースにも再び、天女様が舞い降りてこられるのであろうか。
という訳で、大阪市内の定番待ち合わせスポットで生き残っているのは、阪急梅田駅の「BIG MAN」だけになってしまった。ところが「BIG MANの前」と言われてもその範囲があまりに広くてアバウトであり、また若者たちでごった返す上に、電車の乗客や紀伊国屋書店の客の出入りが錯綜するため、待ち合わせ場所の体を全く為していない。携帯電話が普及していない時代には、全員定刻に集合しているにも拘わらず、連絡の取りようがなくてなかなか回り逢うことができないという、無限回廊の如き難攻不落の地であった。そんなことは、一度行ってみれば誰でも学習することであって、次からはもっとまともな集合場所を指定するものであるが、今なお、人の群れが絶えないところを見ると、やはり「梅田で待ち合わせと言えば、BIG MAN」なのだろう。
間もなく忘年会シーズンを迎え、人との待ち合わせの機会も増えようが、こうした状況にあっては、例えば「地下鉄肥後橋駅の改札を出て右に3本目の柱のところ」とか、「JR京橋駅の北口のおけいはんの大広告の真下」とか、「梅田新道交差点の南西角のおっさんが多数寝転がっているベンチの前」とか、そうした具体的なピンポイントを指定しなければ、迷える子羊が街中のそこらじゅうに溢れ返ってしまうのではないかと、ただ憂慮は募るばかりである。
10月から、土曜の深夜に、長澤まさみ主演の『高校入試』というドラマをやっているが、これが実に面白い。3話が終わったところでまだ佳境にも何にも入っていないが、それでも面白い。「だからね、高校入試なんて、ぶっつぶしてやる」のキャッチコピーで、県下随一の名門進学校の入試を巡る狂気を描いたミステリーである。これは今後起きる何かの伏線なのだろう、と思えるような描写が随所に散りばめられるのだが、しかし誰が犯人なのかは皆目見当が付かず、あるいは誰もが犯人にも見える訳で、それだけ登場人物の一人ひとりにスポットが当たって、その辺も含めて、さすがは湊かなえ脚本と感心しきりである。因みに小説家である湊かなえは、脚本初挑戦なのだとか。
舞台となる県立橘第一高等学校。この地域では東大に進学するよりもこの高校に合格することが高いステイタスであり、卒業した後も、一流大学を卒業した者より学高学歴と見做される。同窓会長やOBの教師たちの偏愛とも言える母校愛。そうした中、入試の前日に「入試をぶっつぶす!」と大書された紙が各教室の黒板に張られ、ネットの掲示板では「名無しの権兵衛」を名乗る人物が宣戦布告を行い、見えない敵から脅迫を受ける……。
そんな本作の描写を見ていて、自身の高校時代を思い出した。かかる脅迫事件こそないものの、そうした卒業生たちの「母校愛」は大同小異で、親子二代、あるいは孫まで含んだ三代で学ぶことを鼻にかける者も少なくなく、教師たちからは事あるごとに「ここをどこだと思っているんだ!」と、我々のような落第生は罵られるのである。高校の名に「朝日」が含まれることへのアンチテーゼとして、自らを「夕暮れ族」と呼んで自嘲していたものであるが、それでも楽しかった高校生活の3年間であったというのは、以前にも記したとおりである。
そんな母校に今、一大事が起きているのである。毎年この時期に送られてくる同窓会報16ページのうち5ページまでもが割かれて大騒ぎになっているその大事とは、「大講堂使用中止問題」である。昭和29(1954)年に、当時の金額で1,265万円、今の値段にすれば2億円超とも言われる巨費を投じて建築された大講堂は、耐震診断の結果により、昨秋より使用が停止されているのだそうだ。同窓会長のコメントをそのまま引用すると、「高校の歴史と共に歩んできて多くの卒業生の心に残っている大講堂を出来ることならば維持・保存・使用出来るように切望しています。もしそれが不可能であるならば講堂機能の建物を新たに整備していただきたいと願っております(原文のママ)」とのことで、然るべき立場の人が公式にこのような発言をするのだから、関係機関には相当なレベルでの陳情なり要望がなされていくのであろう。
現に、県教委から、大講堂の取り壊しと、体育館へのステージ設置が提案されたものの、同窓会は到底承服できないようで、学校側も「長年にわたる知育と徳育の拠点であり、厳粛な式典や講演、発表の場としてかけがえのない財産」と意見書を提出したそうであるが、同窓生の端くれであるこの私は、少しく疑義を唱えたいのである。なるほど、「高校の歴史と共に歩んできて多くの卒業生の心に残っている大講堂を出来ることならば維持・保存・使用出来るように切望」するのは誤った意見ではなかろう。文化的建造物としての存続の意義もよく理解できるし、その保存を訴えようとする動きに何らの異論もない。しかし、「もしそれが不可能であるならば講堂機能の建物を新たに整備していただきたい」とは一体どういう料簡でこういう発言ができるのであろうか。県教委の言及にもあるとおり、この高校には「体育館」というものが別にあるのである。体育館と講堂が分かれている公立学校というのもそうそう見るものではないのであって、それだけでも大層な特別扱いだと思うのだが、同窓会やPTAからの拠出はあるだろうにしても、巨額の県費を投じて新たな講堂を建設せよという意見に、他の高校出身者は黙っていられるのであろうか。「我が母校は別格である」と言わんばかりのこういう唯我独尊的な考えに、異を唱える者は誰もいないのであろうか。
一方で、青森県立弘前実業高等学校藤崎校舎には、全国で唯一の「りんご科」という学科があり、全国一のりんごの生産高を誇る同県で、後継者を輩出してきた実績があるが、県が発表した県立高校再編計画の中で、同校の廃止が盛り込まれた。当然ながら地元やOBたちからは、「リンゴの特産地なのに理解に苦しむ」「津軽一円から生徒を集め、定員割れもしていないのに、歴史や精神を見ていない」などと猛反発の声が上がっている。同じ陳情にしても、こちらは「学びの意義」に思いを致しているという点で、議論のレベルが違う。
こんなことを述べれば落ちこぼれの僻みと謗りを受けるかもしれないが、名門校に入学したことがステイタスなのではなくて、そこで何を目標に、何を学んだのかが肝要であろう。その辺が曖昧模糊としていると、「入試に合格すること」自体が目的化してしまい、それをゴールとして燃え尽き症候群に陥ってしまうことだってあるだろう。あまつさえ、「この高校のOBであることを語れば、それだけで一流企業に就職できる」と気のふれたことを真顔で放言する者も実際にいて、バブルも弾けて景気は一気に冷え込んだというのにろくな努力もせず安穏と大学生活を送ったようであるが、彼がその後どうなったのかは知る由もなく、同窓会名簿にも「消息不明者」として名を連ねて久しい。いずれにしても、長い人生のたった15年間で人間の価値など決まる訳がなく、そうしたおかしな幻想を抱かせる「母校愛」自体のあり方を、この“一大事”を機に見直すときが来ていると、同窓生の一人として痛切に思う。
舞台となる県立橘第一高等学校。この地域では東大に進学するよりもこの高校に合格することが高いステイタスであり、卒業した後も、一流大学を卒業した者より学高学歴と見做される。同窓会長やOBの教師たちの偏愛とも言える母校愛。そうした中、入試の前日に「入試をぶっつぶす!」と大書された紙が各教室の黒板に張られ、ネットの掲示板では「名無しの権兵衛」を名乗る人物が宣戦布告を行い、見えない敵から脅迫を受ける……。
そんな本作の描写を見ていて、自身の高校時代を思い出した。かかる脅迫事件こそないものの、そうした卒業生たちの「母校愛」は大同小異で、親子二代、あるいは孫まで含んだ三代で学ぶことを鼻にかける者も少なくなく、教師たちからは事あるごとに「ここをどこだと思っているんだ!」と、我々のような落第生は罵られるのである。高校の名に「朝日」が含まれることへのアンチテーゼとして、自らを「夕暮れ族」と呼んで自嘲していたものであるが、それでも楽しかった高校生活の3年間であったというのは、以前にも記したとおりである。
そんな母校に今、一大事が起きているのである。毎年この時期に送られてくる同窓会報16ページのうち5ページまでもが割かれて大騒ぎになっているその大事とは、「大講堂使用中止問題」である。昭和29(1954)年に、当時の金額で1,265万円、今の値段にすれば2億円超とも言われる巨費を投じて建築された大講堂は、耐震診断の結果により、昨秋より使用が停止されているのだそうだ。同窓会長のコメントをそのまま引用すると、「高校の歴史と共に歩んできて多くの卒業生の心に残っている大講堂を出来ることならば維持・保存・使用出来るように切望しています。もしそれが不可能であるならば講堂機能の建物を新たに整備していただきたいと願っております(原文のママ)」とのことで、然るべき立場の人が公式にこのような発言をするのだから、関係機関には相当なレベルでの陳情なり要望がなされていくのであろう。
現に、県教委から、大講堂の取り壊しと、体育館へのステージ設置が提案されたものの、同窓会は到底承服できないようで、学校側も「長年にわたる知育と徳育の拠点であり、厳粛な式典や講演、発表の場としてかけがえのない財産」と意見書を提出したそうであるが、同窓生の端くれであるこの私は、少しく疑義を唱えたいのである。なるほど、「高校の歴史と共に歩んできて多くの卒業生の心に残っている大講堂を出来ることならば維持・保存・使用出来るように切望」するのは誤った意見ではなかろう。文化的建造物としての存続の意義もよく理解できるし、その保存を訴えようとする動きに何らの異論もない。しかし、「もしそれが不可能であるならば講堂機能の建物を新たに整備していただきたい」とは一体どういう料簡でこういう発言ができるのであろうか。県教委の言及にもあるとおり、この高校には「体育館」というものが別にあるのである。体育館と講堂が分かれている公立学校というのもそうそう見るものではないのであって、それだけでも大層な特別扱いだと思うのだが、同窓会やPTAからの拠出はあるだろうにしても、巨額の県費を投じて新たな講堂を建設せよという意見に、他の高校出身者は黙っていられるのであろうか。「我が母校は別格である」と言わんばかりのこういう唯我独尊的な考えに、異を唱える者は誰もいないのであろうか。
一方で、青森県立弘前実業高等学校藤崎校舎には、全国で唯一の「りんご科」という学科があり、全国一のりんごの生産高を誇る同県で、後継者を輩出してきた実績があるが、県が発表した県立高校再編計画の中で、同校の廃止が盛り込まれた。当然ながら地元やOBたちからは、「リンゴの特産地なのに理解に苦しむ」「津軽一円から生徒を集め、定員割れもしていないのに、歴史や精神を見ていない」などと猛反発の声が上がっている。同じ陳情にしても、こちらは「学びの意義」に思いを致しているという点で、議論のレベルが違う。
こんなことを述べれば落ちこぼれの僻みと謗りを受けるかもしれないが、名門校に入学したことがステイタスなのではなくて、そこで何を目標に、何を学んだのかが肝要であろう。その辺が曖昧模糊としていると、「入試に合格すること」自体が目的化してしまい、それをゴールとして燃え尽き症候群に陥ってしまうことだってあるだろう。あまつさえ、「この高校のOBであることを語れば、それだけで一流企業に就職できる」と気のふれたことを真顔で放言する者も実際にいて、バブルも弾けて景気は一気に冷え込んだというのにろくな努力もせず安穏と大学生活を送ったようであるが、彼がその後どうなったのかは知る由もなく、同窓会名簿にも「消息不明者」として名を連ねて久しい。いずれにしても、長い人生のたった15年間で人間の価値など決まる訳がなく、そうしたおかしな幻想を抱かせる「母校愛」自体のあり方を、この“一大事”を機に見直すときが来ていると、同窓生の一人として痛切に思う。
例の問題で「領有権」や「実効支配」などを新たな語彙として増やされた方は結構おられるのではないかと拝察する。第32回
でも同じ趣旨のことを述べたが、利害関係で争うことほど虚無を覚えることはないので、何とか決着と解決を図ってほしいと願うものであるが、国家の対面という、最早問題の本質は何であるかが分からぬところまで来ているのだから、どちらかが折れない限り、一筋縄ではゆくまい。
そんな訳で、憂いは海の向こうにばかり目が向いてしまう昨今であるが、領有権問題は対外的なものばかりにやあらず、国内にも存在するのである。
関西におけるそれの筆頭に挙げられるのは、何と言っても「尼崎問題」であろう。ここが兵庫県であること、すなわち神戸や芦屋や西宮と同列に扱うことに違和感を覚える人は、当の尼っ子にさえも少なからず存在し、とりわけJR神戸線より南においてはその傾向が顕著である。最大の根拠は、兵庫県でありながら、電話番号の市外局番が大阪市と同じ「06」である点にある。これを以て、「尼崎は大阪の植民地」と声高に唱える向きが少なくない。「植民地」などと言うと穏やかではなく、そのうち尼崎の威信に懸けて、大阪相手に独立戦争が勃発するのではないかという懸念が沸いてくるが、JRの新快速に乗れば大阪までわずか1駅5分。県庁所在地の神戸より大阪の方が余程結びつきが強いのであって、よしんば大阪府への割譲が提案されても、賛成多数で可決されるかもしれない。
さすれば、大阪府と兵庫県の府県境を、神崎川や猪名川から武庫川に移すことになるが、その流れで行くと、伊丹市や川西市も大阪府に編入することになる。そこまでやるとさすがに異議が噴出しそうであるが、これにはこれで合理的な理屈が成立する。まず、大阪国際空港のことを「伊丹空港」と通称するが、落ち着いて考えればこれは「うどん風ラーメン」と呼ぶくらいの大変な撞着であり二律背反である。大阪の空港の通り名に兵庫県の地名を用いることは何としてもおかしいと、誰も声を上げないのが不思議でならない。しかし、伊丹市を大阪府に編入してしまえば、この不条理も忽ちに解決するのである。川西市にも同じような不条理があって、例えばJRの「川西池田駅」である。川西のど真ん中にありながら、なぜ川向こうの、しかも大阪府の地名を合成するという奇天烈なことをやるのであろうか。また、大阪府に所在する豊能町や能勢町の住民が、能勢電車を利用して梅田に出ようとするとき、一旦兵庫県に出ることを強いられる。逆に、川西市の住民が、阪急電車を利用して県都である神戸に出るとき、宝塚と西宮北口で2度も乗り継ぐという酔狂なことを考えない限り、一度大阪の十三まで出ねばならぬのだが、そういう屈辱も味わわなくて済む。
こんな話をしていると、「余所者は、甲子園球場は大阪にあると思い込んでますから、この際西宮も大阪に入れちゃいましょう」などと言ってくる者がいるが、いわゆる「西宮七園」あたりの風景を見て、これが大阪だと言う者など誰もいないし、そんなことを言えばお屋敷街にお住まいの皆さまが憤怒の声を上げることは必定である。そんな訳知り顔に語る者こそ余所者なのであって、どうしてもと言うのなら、「甲子園周辺は大阪府の飛び地」とするのが妥当であろう。
大阪府による兵庫県の実効支配についてばかり述べてしまったが、兵庫県による他県の支配話もある。中でも、淡路島がもともと徳島県であったことは、知る人ぞ知る歴史的なエピソードである。当時の徳島藩の内輪揉めである「庚午事変(稲田騒動)」が原因で、政府の意向によって淡路島は徳島から切り離され兵庫県へ編入となったのであるが、こうした歴史的経緯から、淡路島は兵庫県のものであるか徳島県のものであるかという論争が今もなおあるらしい。淡路島の「淡」は徳島県の旧国名である「阿波」を表し、「阿波への路」ということで「淡路」と呼ぶのだから、淡路島は徳島県に属するのが正しい、という尤もらしい意見もある。一方で、徳島弁は関西の訛りが入っていること、また、地デジ化以前は関西の民放各局の番組を普通に視聴できたことに加え、明石海峡大橋や大鳴門橋の開通により、淡路島を介して本州と徳島県が密接につながったことから、「淡路島はおろか、徳島県すらも兵庫県の支配下にある」と唱える者まで出てくる始末である。このような侃々諤々の議論がなされる中で、しかし最後にはこの言葉で必ず決着がついてしまう。すなわち、「淡路島は、上沼恵美子のものである」。
何となれば府内にも領有権争いが存在する。有名なのは、「生駒山は誰のものか」という議論であろう。東大阪市と大東市による、骨肉の争いなのだが、お互いが相容れない根本的な背景として、どちらも「大阪市の東」を市名として名乗っていることが挙げられる。どちらが、大阪を守る東の砦であるか、という諍いなのだろう。東大阪市は人口50万、大阪・堺という2大政令指定都市に次ぐ府下第3位の人口を誇る。方や大東市は人口12万。「高々4分の1の人口で東大阪に楯突こうとは如何にも不遜である」と大東市は罵られるのであるが、大東市も透かさず、「人口50万て言うたかて、布施・河内・枚岡の3市が合併してできた寄せ集めやないかい!」と反論する。すると東大阪市は「自前で警察署も持たんと四條畷の脛齧ってる分際で何言うてけつかるねん」と捲し立てる。黙っていられぬ大東市は「やかましいわい! 四條畷警察を名乗ってるけど、建ってる場所は大東市内や言うねん! ついでに言うたら、JRの四条畷駅も、私立の四條畷学園も、皆場所は大東市やっちゅうねん! 四條畷はワシら大東の属国や!」とがなり立て、生駒山を巡る東大阪VS大東の扞格だったはずが、大東による四條畷の領土支配に話が飛んでしまい、収拾がつかない。そうこうしているうちに、山の向こうの生駒市がぼそっと呟く。「生駒山は、生駒市のものです」。
その他、泉北郡忠岡町や、泉南郡熊取町や田尻町を、周辺の泉大津市や岸和田市、泉佐野市などが虎視眈々と狙っているとかいないとか、そんな話も耳目にするが、狙っている各市の財政状況が厳しく、特に泉佐野に至ってはネーミングライツで市名を売りに出すという世も末なことをやっているくらいだから、この辺は当面、領地安堵というところであろう。
まあ、これらはいずれも外野の下らぬ反駁であり悶着であるのだが、こうした論戦を、当地の人たちはどんな風に見ているのであろうか。その土地にはそこに固有のアイデンティティがあるのだから、そうした孤高を持して、民衆自らの手による平和的解決を切に願うばかりである。
そんな訳で、憂いは海の向こうにばかり目が向いてしまう昨今であるが、領有権問題は対外的なものばかりにやあらず、国内にも存在するのである。
関西におけるそれの筆頭に挙げられるのは、何と言っても「尼崎問題」であろう。ここが兵庫県であること、すなわち神戸や芦屋や西宮と同列に扱うことに違和感を覚える人は、当の尼っ子にさえも少なからず存在し、とりわけJR神戸線より南においてはその傾向が顕著である。最大の根拠は、兵庫県でありながら、電話番号の市外局番が大阪市と同じ「06」である点にある。これを以て、「尼崎は大阪の植民地」と声高に唱える向きが少なくない。「植民地」などと言うと穏やかではなく、そのうち尼崎の威信に懸けて、大阪相手に独立戦争が勃発するのではないかという懸念が沸いてくるが、JRの新快速に乗れば大阪までわずか1駅5分。県庁所在地の神戸より大阪の方が余程結びつきが強いのであって、よしんば大阪府への割譲が提案されても、賛成多数で可決されるかもしれない。
さすれば、大阪府と兵庫県の府県境を、神崎川や猪名川から武庫川に移すことになるが、その流れで行くと、伊丹市や川西市も大阪府に編入することになる。そこまでやるとさすがに異議が噴出しそうであるが、これにはこれで合理的な理屈が成立する。まず、大阪国際空港のことを「伊丹空港」と通称するが、落ち着いて考えればこれは「うどん風ラーメン」と呼ぶくらいの大変な撞着であり二律背反である。大阪の空港の通り名に兵庫県の地名を用いることは何としてもおかしいと、誰も声を上げないのが不思議でならない。しかし、伊丹市を大阪府に編入してしまえば、この不条理も忽ちに解決するのである。川西市にも同じような不条理があって、例えばJRの「川西池田駅」である。川西のど真ん中にありながら、なぜ川向こうの、しかも大阪府の地名を合成するという奇天烈なことをやるのであろうか。また、大阪府に所在する豊能町や能勢町の住民が、能勢電車を利用して梅田に出ようとするとき、一旦兵庫県に出ることを強いられる。逆に、川西市の住民が、阪急電車を利用して県都である神戸に出るとき、宝塚と西宮北口で2度も乗り継ぐという酔狂なことを考えない限り、一度大阪の十三まで出ねばならぬのだが、そういう屈辱も味わわなくて済む。
こんな話をしていると、「余所者は、甲子園球場は大阪にあると思い込んでますから、この際西宮も大阪に入れちゃいましょう」などと言ってくる者がいるが、いわゆる「西宮七園」あたりの風景を見て、これが大阪だと言う者など誰もいないし、そんなことを言えばお屋敷街にお住まいの皆さまが憤怒の声を上げることは必定である。そんな訳知り顔に語る者こそ余所者なのであって、どうしてもと言うのなら、「甲子園周辺は大阪府の飛び地」とするのが妥当であろう。
大阪府による兵庫県の実効支配についてばかり述べてしまったが、兵庫県による他県の支配話もある。中でも、淡路島がもともと徳島県であったことは、知る人ぞ知る歴史的なエピソードである。当時の徳島藩の内輪揉めである「庚午事変(稲田騒動)」が原因で、政府の意向によって淡路島は徳島から切り離され兵庫県へ編入となったのであるが、こうした歴史的経緯から、淡路島は兵庫県のものであるか徳島県のものであるかという論争が今もなおあるらしい。淡路島の「淡」は徳島県の旧国名である「阿波」を表し、「阿波への路」ということで「淡路」と呼ぶのだから、淡路島は徳島県に属するのが正しい、という尤もらしい意見もある。一方で、徳島弁は関西の訛りが入っていること、また、地デジ化以前は関西の民放各局の番組を普通に視聴できたことに加え、明石海峡大橋や大鳴門橋の開通により、淡路島を介して本州と徳島県が密接につながったことから、「淡路島はおろか、徳島県すらも兵庫県の支配下にある」と唱える者まで出てくる始末である。このような侃々諤々の議論がなされる中で、しかし最後にはこの言葉で必ず決着がついてしまう。すなわち、「淡路島は、上沼恵美子のものである」。
何となれば府内にも領有権争いが存在する。有名なのは、「生駒山は誰のものか」という議論であろう。東大阪市と大東市による、骨肉の争いなのだが、お互いが相容れない根本的な背景として、どちらも「大阪市の東」を市名として名乗っていることが挙げられる。どちらが、大阪を守る東の砦であるか、という諍いなのだろう。東大阪市は人口50万、大阪・堺という2大政令指定都市に次ぐ府下第3位の人口を誇る。方や大東市は人口12万。「高々4分の1の人口で東大阪に楯突こうとは如何にも不遜である」と大東市は罵られるのであるが、大東市も透かさず、「人口50万て言うたかて、布施・河内・枚岡の3市が合併してできた寄せ集めやないかい!」と反論する。すると東大阪市は「自前で警察署も持たんと四條畷の脛齧ってる分際で何言うてけつかるねん」と捲し立てる。黙っていられぬ大東市は「やかましいわい! 四條畷警察を名乗ってるけど、建ってる場所は大東市内や言うねん! ついでに言うたら、JRの四条畷駅も、私立の四條畷学園も、皆場所は大東市やっちゅうねん! 四條畷はワシら大東の属国や!」とがなり立て、生駒山を巡る東大阪VS大東の扞格だったはずが、大東による四條畷の領土支配に話が飛んでしまい、収拾がつかない。そうこうしているうちに、山の向こうの生駒市がぼそっと呟く。「生駒山は、生駒市のものです」。
その他、泉北郡忠岡町や、泉南郡熊取町や田尻町を、周辺の泉大津市や岸和田市、泉佐野市などが虎視眈々と狙っているとかいないとか、そんな話も耳目にするが、狙っている各市の財政状況が厳しく、特に泉佐野に至ってはネーミングライツで市名を売りに出すという世も末なことをやっているくらいだから、この辺は当面、領地安堵というところであろう。
まあ、これらはいずれも外野の下らぬ反駁であり悶着であるのだが、こうした論戦を、当地の人たちはどんな風に見ているのであろうか。その土地にはそこに固有のアイデンティティがあるのだから、そうした孤高を持して、民衆自らの手による平和的解決を切に願うばかりである。