売れない弾き語り♂が、いじめ問題をぶった斬る!! | Shunsuke Ohara*s Blog
さてさて、これを読んでいる皆様に問題です。
「いじめの原因」はどちらにあるでしょうか?

いじめられる側? いじめる側?

結論で言えば「100%いじめる側にある」が大正解だ。
ここで「いじめられる側にも原因があるじゃないか!」と思ったあなた、
それはいじめの原因を履き違えているからに他ならない。
今回はギターなんか放り投げてそれを解り易く説明することとする。題して、

「売れない弾き語り♂が、いじめ問題をぶった斬る!!」

いじめを社会から無くしたいと思うあなた。
いじめは無くならないと諦めているあなた。
これは大事なことでありますので、
特に子育て中の方、
将来子育てをする意向の方、
教育機関にお勤めの方は最後まで読んで頂きたいと私は願う。

上記の答えを解りやすく説明する。
ここに「大原君」と「俊介君」という6歳の児童2名がいるとします。
「大原君」が「俊介君」に悪口を言いました。
その後「俊介君」が「大原君」をいじめるようになりました。
ここで明らかにしておくことは、「悪口の原因」は「大原君」にあり、
「いじめの原因」は「俊介君」にあるということです。
悪口を言ったのは大原君が悪く、いじめたのは俊介君が悪い。
この二つを分けて考えなければなりません。
「悪口の原因」と「いじめの原因」という全く違う二つのものを混同して考えるから、
あいつが悪いんだ!俺は悪くない!という原因の擦り付け合いに終始するのです。

もう少し踏み込みます。
大原君をいじめた事に対し俊介君が、

「大原に悪口を言われたのが嫌だったのでいじめた次第でございます、
だから大原が悪いのでございます」

という「6歳児ならぬ弁解」をしたとしよう。
しかし、大原君に悪口を言われた後、
数ある選択肢の中から「いじめる」という意思決定を下したのは俊介君なので、
俊介君が悪いのです。
悪口を言われた俊介君には選択肢があったのです。
「気にしない」「注意をしよう」「先生に相談しよう」「母ちゃんに言いつけてやる!」などなど。
「いじめる」以外に大原君の悪口を解決する方法は他にもあるのです。
そして悪口によって不快を感じる基準というのは個々によって様々です。
例えば「馬鹿」と言われて気にする人もいれば、気にしない人もいるのです。
「馬鹿」という発言をどう受け止めるのかは個人の解釈の問題。
よって悪口を言われて不快に思うのは俊介君の固定観念によるものであり自己責任です。
また6歳の俊介君が、

「いじめられる大原にはいじめられる要素があるからいじめても良いんだもんね!
だって大原キモいんだもん!」

という「要素とかそんな言葉どこで覚えて来たんだ?発言」をしたとしよう。この場合も
「何がいじめられる要素なのかは個々の観念によって違う」
という事と、
「いじめ行為をするかどうかはやはり俊介君自身が決める事」
というこの二つを明確に示さなければならない。
俊介君が例え何をされようが何を言われようが、
いじめという人権侵害をして良いという免罪符にはなりません。

それでは、いじめをなくす為には具体的にどうしたら良いのかを考えていきます。

「簡単だよ!キモい人間を排除すればいいんじゃね?そうすればいじめは起こらない!」

これは間違いです。
他人を排除することでいじめ問題を解決しようというのは、
いじめをする人間の根本的な考え方です。

「被害者が弱いからいけないんだ!強くなれば良い!目には目を!
やられたらやり返してやれば良い!そうすればいじめは解決する!」

これは脳が幼稚なまま大人になってしまった人が良く陥りがちな間違った考えで、
逆にいじめの加害者に「自分は悪くないんだ」という勘違いをさせてしまうので、
大変危険な思想です。報復に報復というエンドレスが続きます。
そんなこと絶対に子供に教え込まないで下さい。いるんです本当にこういう親。

「だったらいじめをする人間を排除すれば良いじゃないか!」

これも間違いです。
上記と同様、他人を排除しようというのはいじめをする人間と同じ考え方であり、
単にいじめる人間を排除してもいじめ問題は絶対に解決しません。
あらゆる犯罪に置き換えても同じ事が言えます。
殺人犯をただ取っ捕まえても殺人は世の中から無くなりません。
殺人犯を捕まえるから殺人が減るのではなく、
正しい教育が社会の隅々まで行き届いた結果、
殺人が減り、やがて無くなるのです。
いじめ問題を無くすには、加害者のいじめ行動の裏に潜む心理を探り、
学校や家庭が根拠に基づく正しい教育で子供を導き矯正してゆく必要があります。
そもそもいじめ行為は脅威に対する自己防衛反応であり、
「弱いものいじめ」と良く言いますが、
むしろ弱いのは被害者ではなく加害者の方だと気づかなくてはなりません。
いじめるという暴挙に出る人間は、包容力、免疫力、表現力、
想像力の未発達、行動選択肢の乏しさ、
何より多様性を受け入れるという概念の欠如を自ら暴露している事になります。
いじめを幼児虐待に置き換えても同じです。

「子供が言う事を聞かないから殴った」

これは自分の表現力が乏しいことの現れであり、
「言う事を聞かないから殴った」のではなく、

「自分の説明能力、指導力の無さに腹を立て思考停止し、
殴って済ませようとした結果」が正しいです。

このように、物事の原因を正しく掴む能力が私たち大人にはまず求められます。
そして加害者は同時に被害者だという認識を持ちましょう。
いじめ加害者は指導能力の無い親や教育機関の第一次被害者であり、
よっていじめの被害者は第二次被害者と言えます。
加害者は日常のどこかにストレスを感じ、貯め混んでおり、
それが正常な精神発達を妨げている可能性が高いです。
いじめを働いている張本人が、実は親から虐待を受けているなんてのは解りやすい例です。
子供がストレスを感じている原因を大人が逸早く発見、解消し、愛で包んであげる努力をし、
愛を感じる体験を実際に積ませてあげなければいじめはなくなりませんし、

「いじめは悪い事です」
「嫌がらせはやめなさい」
「みんなと仲良くやりなさい」

と、ただ漠然とした理想論ばかり言って聞かせる教育なんか何の効果もありません!
無能な大人程そのような無意味な指導まがいに走るんだ!

「いじめは悪い事です」ではなく、

「何故いじめが悪い事なのか、してはいけないのか」をしっかり論理に基づいた説明で理解させ、

「いじめる以外の対処法」を覚えさせ行動の選択肢を増やしてあげなさい!

「嫌がらせはやめなさい」ではなく、

「他人が傷つかない話し方、言葉選び、行動、立ち振る舞い」を、
具体的に教えてあげなければ意味無し!子供はその術を知らないと心得よ!

「みんなと仲良くやりなさい」ではなく、

「仲良くなる方法」「仲直りをする方法」「謝り方」
「相手を許すという考え方」を大人がまず正しく理解して、
自らが模範となり子供に伝授しなさい!

上述したこと全てを知って生まれてくる子供なんてこの世にいないんだよ!
解るまで指導し続けなさい!それが教育というものだ!

「私は放置教育主義です!子供は自分で学ぶもの!」なんてものは、

「子供に何を教えたら良いのか解りません!」と言って、
投げ出しているのと同じ立派な教育放棄!

もちろん子供の自主性を引き出すのは大事だが順序が逆なんだよ!
親や教師がこの素晴らしい世界で体得した正しく生きる術を、
先に出し惜しみせず子供に教えてあげなさい!自主性を育てるのはその後だ!

もういじめは無くならないと諦めるのも教育放棄!
いじめの事実を隠して無かった事にするのも教育放棄!

気軽に相談し合えるよう「いじめ問題」の間違った認識を、
家族側も学校側もお互いに正さなくてはいけないの!
どんな駄目な親でも親になれてしまう以上、
正しい知識は必要なの!自己流は危険がいっぱいなの!

子供は人格が成熟していないのだからいじめはあって当然なの!隠す必要は無いの!
子供のいじめは異常じゃないの!むしろ正常なの!
人格が成熟しているはずの大人がいじめをしている社会が異常なの!

子供の犯罪は異常じゃないの!
良い事と悪い事の区別がまだしっかりできていないから過ちを犯すの!
それは大人の指導力不足の現れなの!
むしろ成人より未成年の方が高い犯罪率で構わないの!
それは社会の秩序が正常に保たれている確たる証拠なの!

「どうして人を殺してはいけないの?」と疑問を持つ子供は異常じゃないの!
大人がそれを正しく理解して答えられないのが異常なの!
遂には勢いに任せて大人が殺人するからふざけんななの!

良い歳した大人が犯罪を犯しているこの世界こそが異常なんだよ!!!!

この現実に大人全員が早く気づき社会全体で子供の教育支援をしていかなければ、
いじめは絶対に無くなりません。

いじめが無くならないという事は、殺人も強盗もレイプも無くなりません。
罪を平気で犯す大人がいなくなる日は残念ながら訪れません。

自分には関係ないという他人事で毎日を過ごしているうちは。。

こんな言葉を最後に綴って今回はこの辺で終わろうと思う。


「罪は誰もが犯すわけではない、だが現状の社会では、誰が罪を犯してもおかしくない」


おわり。