感染症の蔓延で世間(世界)がザワつき始めた頃
ああ、やっと
“死ぬかもしれない”
“死なれたら悲しい”が
世界共通で語れる日がきたんだな
と
心が少し楽になった。
不謹慎っていう言葉がある。
意味も、キチンと把握してるわけではないけど分かる。
志村けんさんが亡くなったとき
周りの知人・友人が一斉に悲しんでいて
「大切な人をなくした感覚」について
やっと語り合えるんだ…と不思議な安心感を得たのだ。
『コロナ?大丈夫…!
俺はそういうの、かからないから!』
片桐さんが生きてたら、そう言い放って大きく口を開けて笑うんだろうな。
全然美味しくないラークのクラシックをパカパカ吸って、ライブがなくなって暇だからとか言ってバイクをいじりだすんだろうな。
曲も作ったりしてくれたかもな。
そっちに、いかりや長介さんと、最近、志村けんさんがいきましたよ。
茶さんのかわりにドラム任されてそうだな。
たくさんいるミュージシャンとフェスでも開いてそうだな。
想像しながら楽しくなって、少ししたら寂しくなって、やっぱり泣いちゃうんだよな。
生き切ったら会えるかな。
お父さんとビールで乾杯してみたいし
片桐さんとまたバンドがやりたい。
じいちゃんとばあちゃんにもライブ見てほしいなあ。
中学を卒業した頃に癌でなくなった美術の先生とも、もっと話してみたいことがある。
死んじゃったあとの予定がどんどん増えてて
私の命で世界が救えるってなったら迷わず挙手してしまいそうだ。
そんな伝説的な力がないからとどまってるけど。
また笑って会える日が、きますように。