テクノロジーの進化が急速に発展し、世の中は便利なシステムで溢れかえっていた。

システムを使うには毎月、同意書のサインの更新がある。

家を出るとき、改札を通るとき、会社に入るとき、コンビニで買い物をするとき、ありとあらゆるところでサインを書く。

免許証や住民票や保険証、その他もろもろの証明書は要らなくなった。

月に一度、更新所へ赴き体調の変化や、食べたものや、環境の変化なども記入する。
例えば怪我などをして利き手が使えなくなっても、なれない方の手で登録もできる。

はじめは便利だったが、更新頻度が多く、そのうちシステムの利用を放棄するものが増えた。

会社勤めの人間は会社がまとめて更新してくれるところもあるので楽だったが、自営業の人間にはなかなかの手間だった。

法律に違反してるわけではなかったので、そのうちシステムがなくても暮らせる場所へ移民する人間も増えた。




外の世界は人間であふれていた。

ものを運ぶのも、作るのも、全部人間が行っている。

以前はサインを書けば、1日が終わっていたが、こちらでは声が飛び交い、人々が自由に行き交い、やっとのことで1日が成り立っていた。


「おう、アンタ見ない顔だな。今日からこっちで暮らすのかい?」

「はい。まずは住むところを探したいのですが、どこへ行けばいいでしょうか?」

「そんなもん、その辺のやつと相談しなよ。」

相談する…とはいったいなんのことだろう?
サイン一つすれば自動的に決まっていた住居も、こちらでは相談(?)しなければならないらしい。


「すみません、ここで暮らすにはどこにサインすれば?」

アパートの前を掃き掃除しているお婆さんに聞いてみた。

「サイン?そんなもんはいらないよ。ここの2階の真ん中の部屋が空いてる。私はここの管理人。鍵は、これね。」

「サインが不要?ありがとうございます。鍵とはなんでしょう?」

「ありゃ、参ったね。アンタ生粋のサイン世代か。サインは要らないが名前を聞いとくよ。それで十分だ。名前、言えるかい?」

名前とはなんだろうか。
生まれてこの方、サインの仕方しか聞いてこなかった。サインが有ればシステムが全て僕の世話をしてくれた。

「サイン、書けるかい?」

「あ、はい。サインなら…。」

お婆さんの用意してくれた紙にペンで書く。


「ふ〜ん、いい名前じゃないか。」

僕のサインを見たお婆さんはそう言って笑った。


「これからはそれを名乗るといいよ。」


この日、僕はサインを失って、名前を手に入れた。