「とりあえずビールの人って、他においしいお酒のことを知らないんじゃないかと思う。」
最近ハイボールのうまさに目覚めた彼女が突然ボヤいた。
「(僕の腹を見ながら)お腹だって出てきてるし、延々ダラダラ飲むじゃない?ムダが多い気がするんだよね。」
まだ注文が通っただけで乾杯もしていないのに、ずいぶんと酔っ払いのようなことを言う。
これはビールじゃなくて僕に不満があるときの、彼女特有の言い回しだ。最近仕事が忙しくて帰りが遅いことに怒ってるのだ。
「泡ひとつとってもそうよ、やれ注ぎ方が悪いだの、注がれ方が悪いだの…ほんとムダな争いだと思う。」
ちょうど言い切ったとき、僕に瓶ビール、彼女にハイボールがやってきた。
大量の唐揚げと、たっぷりドレッシングのかかったシーザーサラダ、薄めの生地でパリパリに焼かれたマルゲリータ。
全て彼女のオーダーだ。
「乾杯!」
僕はまずグラスに注いだビールを一気に飲み干す。
今日1日どうやっても潤わなかった喉が一気に湿り気を帯びる。
彼女はハイボールを一口すすった後、1週間ぶりに獲物を得た獣の様に唐揚げにかぶりついていた。
「あなたは?食べないの?」
「うん、あとでいただくよ。」
2杯目のビールをグラスに注ぐ。
1杯目と違った泡のゆらめき、それを眺めていると潤ったと思っていた喉が少し渇いてくるような感覚が押し寄せてくる。
慌てて飲み干す。
「そんなに慌てなくてもビールは逃げないわよ。」
僕は答えない。
マルゲリータに手を伸ばす彼女を眺めながら3杯目のビールをグラスに注ぐ。
3杯目は色が薄くなったように見える。
瓶とグラスを並べてみると、師匠と弟子みたいな関係性を感じるようなコントラスト。
瓶師匠は自分が何者であるかを主張するべく堂々とラベルを貼りつけ、王冠を脱ぎ捨て完璧な角度で弟子グラスにビールを注ぐ。
弟子はその完璧なビールを受け止めて体を震わす。気泡はきめ細かく体中を立ち昇り、頭に気持ちの良い泡を乗せる。
瓶師匠を伺うと満足げに汗をかいて微笑んでいる。師匠はどんどんと痩せていく。
弟子グラスは空くことなく、注がれ続け、瓶師匠が空になるのを見届ける。
「すてきな関係だ。」
「何が?」
「なんでもないよ。」
軽く手をあげるとどこからともなく店員がやってきて、彼女が食べ切った皿を片付ける。
ついでにハイボールを頼む。
「ビールは卒業したのね。」
まだ半分も飲まれていない彼女のハイボールを眺めがら瓶師匠と弟子グラスを見送る。