小学生のときの自由研究は毎年セミの観察にしていた。1年生のときはカゴにいれて毎日、眺めてはスケッチし、2年生のときは数を増やしてみたり、3年生のときは鳴き声について研究したり。
女の子なのに珍しいわね、と担任教師から言われたことを(今思えば嫌味だったかもしれない)都合よく勘違いし、翌年は標本を作り、その翌年はカゴの中での観察ではなく毎日学校へ通い自然体のセミを観察し続けた。
6年生にあがるころには大体、個体を見分けられるようにまでなっていた。



セミの寿命は7日間とよくいわれているが、アレは違う。クラスの男子にも「1週間で終わる研究、楽でいいよな」なんて言われて腹が立ったこともあったが(そいつの研究が「飼い猫の1日」だと知って受け流した)、実はセミの寿命はまだ分かっていない。

カゴで飼っていたときは個体差はあったものの確かに7〜10日ほどで死んでしまった。
自由に羽をバタつかせることもできず、1人でけたたましく鳴いても仲間はやって来ない。
そりゃあ死にたくもなるだろう。

5年生のとき、自然体のセミを見ていたらあることに気がついた。

夏休みが終わる頃、鳴き声もまばらになっていき、ある一本の桜の木のセミを数えていたときだった。

まさに今、力尽き地面に落ちそうになっているセミを見つけて駆け寄ると、姿を消していた。
瞬きをした瞬間に飛んでいってしまったのだろうか?
いや、そんなはずはない。しかし木の根元にも落ちていない。

もう一度そのセミがいた場所に目をやると、すっかり幹の色になじんだセミが、そこに、いた。

鳴くこともせず、目の艶を殺し、力尽きそうだった足をしっかりと木肌に食い込ませ、セミは木の一部になった。

世紀の大発見だ。

その年の2学期、この目で見た研究の成果を発表するとクラス中から大爆笑を浴びせられた。
担任教師からは
「研究よりも創作のほうが向いてるね。SF作家を目指したらどうだい?」
と割と本気で進められたりもした。

世紀の大発見なのだ、大人が発表するならまだしも私はまだ11歳かそこらで、こんな見ただけの研究結果では誰もそのことを信じられない。

そして6年生の夏がやってきた。

地面を掘り起こすことはできないのでサナギからの観察になる。
(大人になったら桜の木ごとガラスケースにいれて観察できる設備を作る!)
大体、深夜から朝方にかけてゆっくりと羽化をする。
ここでも一つ分かったことがある。
今までは太陽の光を浴びて完成するのだと思っていたが、朝方よりも深夜のうちから殻を破りだすほうが成虫になるのが早い。
どうやら月と関係しているみたいだった。
朝方にやっと殻を破りだすものは、そのまま枝にぶら下がり、葉っぱになった。
死ぬ間際以外にも木の一部になるものもいるらしい。

次々と羽化しては静かに鳴きだすセミたち。

すぐにパートナーができるもの、鳴き方の要領がイマイチつかめないもの、鳴くことをしないもの、本当に様々なセミがいる。
天敵である鳥も、3日ほどでセミに飽きるのか、狙いにもこなくなる。

樹液だと思っていたのはセミの涙だった。
鳴いても鳴いても、やってこない運命の人(セミ)。
命の尽きる前に木の幹に逆さまに張り付く。
そうすると今まで吸っていた樹液が目から溢れ出すのだ。
その樹液は普通の樹液よりもおいしいらしく、カブトムシやクワガタもたくさんきていた。

地面に落ちたセミは色とりどりの草花になった。
どうしてこんなところに、花が咲いてるんだろう?と思う場所にあるものは鳥や蜜蜂のおかげではなく、セミなのだ。
セミが幼虫からため込んだ木の根からの歴史、記憶を咲かせていたのだ。

物凄い数のセミが1週間で一斉に死んでしまったら、足の踏み場もないほど、死骸だらけになりそうなものなのに、草花や木の幹や樹液になり、夏の暑い日々に彩りをあたえてくれていた。


私は結局、その年の研究成果は発表しなかった。

ただ研究への情熱はよりいっそう燃え上がり、大学を卒業するころにはプロとして食えるほどになっていた。




「先生、今度の新作はどんなお話なんですか?どうしてそんなにネタが尽きないんですか?」

「私ね、子供のころ、生物学者になりたかったの。」

「それは何度も聞いてますよ。でもそれとこれとは全く関係ないでしょう?」


あることをそのまま書いているだけなんだけど、と言うまでがいつもの流れだが、やめた。
分からない人には分からない。
私の世界で起きてることは大抵の人には起きていないようだったし、そういった研究機関も無かった。

6年生のとき、研究成果を原稿用紙にしたため発表するなり大絶賛を浴び、そのまま文学の世界へ進んだのだ。