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12/22(土)

『音楽がロックじゃなくなったとき』

吹上@鑪ら場

open18:30/start19:00

adv¥2,000-/day¥2,500-(共に+1D¥500-)

ハルラモネル

万作theBAND

ミヤザキナツキ(砂場)

ハンカチーフス



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専業主婦生活5年。
音楽活動のみの社会生活。

仕事してる人、子育てしてる人、またはその両方
いろんな人が音楽をしてたりしてなかったりするんだけども

年をとって音楽を通じて出会う人たちの中に、たまーにセンスのない人がいる。

これは音楽的に、とかそういうことじゃなくて(そもそもそんな大層なことを言えるセンスを持ち合わせてない)
生き方、なんて言うとまた大げさかもしれないけど
「なんであんなに良い歌歌うのに、人に気を使えないんだろう?」
とか
「なんであんなにカッコいい曲作るのに着てる服がダサいんだろう?」
とか

でもそれはまだ割と許されていてるような気もして

その逆のパターンがきつい。

「気遣いも完璧で優しい!」
「衣装もオシャレで見た目超かっこいい!」
のに曲がクソダサい。

他人が作ったやつを自分なりの解釈足して焼き増ししただけのペラペラな歌を歌う(楽器を演奏する)人がいる。

その歌に感じる違和感たるや、半端ないのである。


上手とか下手とか関係ない。そもそも基準なんてどこにもない。
(うまいだけの演奏なら、それを生業にしてる人にきちんと対価を支払えばいい。)


すべてのことが繋がっていて
自己表現を自己満足で終わらせずに
楽しさ、とか喜び、とか
怒りでも悲しみでも
感情を共有できてなおかつ生きるネルギーに変換できるのがたまたま音楽で

それが手作りのご飯だったり
陶器だったり
衣類だったり

受け取る専門の人たちはそれがすごく上手で
作り手の見える世界だからこそ
知りたいところまでをしっかり押さえたうえで尊敬している。

これが大事。


ガッカリにエネルギー使いすぎると
このリスペクトエネルギーが枯れてきて

私においては
このエネルギーが切れると

全員嫌いていうか人間嫌い
という悪循環にハマります。


これがとても危険。

すぐ生きるのやめたくなっちゃうから。


自分以外の人間すべてが羨ましくて、疎ましくて
自分の存在価値がマイナスになってしまう。


センスねぇな、と思います。

そこで家に帰ると猫がいて
全力で思うわけです。
このひと(猫)生きるセンスはんぱねぇ!
ってね。

生きることにすごく素直。
一人の時間も大切にするし、甘えたい時は全身で甘えてくるし
欲しいものは全身で要求してくるんです。

もう師匠。生きる、の師匠です。

特別楽しくなくて良い。
毎日感情豊かに
悲しくても嬉しくても良いから
波を感じられる人間でありたい。

傷ついた心の治し方
単純じゃなくなってきたからこそ
きっと今より強くなる。


あの子の笑顔や
あの人の笑顔を思い出そう

怒りもエネルギーだ!
全員やったるわい!!




それでは今日も考える1日を!