今朝のMetro紙に昔のミリオネア(億万長者)の生活をするためには現在だと3milポンド(=6億円)必要だということが書いてあった。Trillionaireという新語もできたらしい。


為替のスクリーンを見ていると日本円は桁が大きくてちょっとみっともないような感じがするときもある。イタリアリラなき今、先進国の通貨では数字が目だって大きい。1ドル360円だった昔に比べるとましなのだろうが。


スクリーンを凝視している私に向かって、同僚が「ところでWho wants to be a millionaire?はアメリカでもやってるけど、日本でもやってるの?」と聞いてきたことがあった。そうだと答えると「どういう名前でやってるの?」と聞く。みのもんたの顔は浮かんだものの、とっさに番組名を思い出せなくて、「多分英語のままだとおもうよ。」と答えると「違うと思うね。だってmillion yenじゃ少なすぎるでしょう」という。

大して面白くないジョークだが、考えてみるとたしかにそうだ。”Who wants to be a millionaire”はもともとイギリスの番組だが、そのままの名前でアメリカ→日本と渡るうちに確かにミリオンの価値がどんどん少なくなってしまっている。2億円相当だったのがアメリカに行くと1億円相当。日本に行くと100万円になってしまう。


今の1ドル≒110円というのは便利な水準で、$1million≒1.1億円となり、日本語での「億円」という響きのもたらす感覚と英語での「million Dollar」という響きがもたらす感覚を頭の中でざっくりシンクロできる。すなわちアメリカでの"millionaire"="億万長者"だ。購買力平価が成り立つかどうかは別として。

その点ポンドの1ポンド≒2ドル≒200円ということを考えると、イギリスでの"millionair"は="2億万長者"となってしまい逐語訳が成り立たなくなってしまう。まあ今朝のMetroによれば"millionair"には3mil必要だとのことであるが。

億といえば、英語の表現では万という単位や億という単位はないことに気が付いた。英語の桁区切りは千であがるのに対し、日本語では万であがる。英語だとゼロが3つでthousand、6つでmillion、9つでbillion、日本語ではゼロが4つで万、8つで億、12個で兆というように。


今日はどうも話が飛びすぎるからこの辺で寝ることにする。



Picture in Untitled Message.gif 今日は昔の会社の先輩がロンドンに出張してきているとのことで、一緒にランチをする。St. Paulで待ち合わせをしてタクシーにのりLehdenhall Marketにあるイタリアンへ。残念ながらというかやはりというか食事はいまひとつ。お互いの近況報告と、他の人が今どこでなにをしているかでしばし花が咲く。先月大手商社に転職した彼は、コモディティデリバティブセールスの東京のヘッドとしてほぼ立ち上げに近い事をやっているそうだ。五番町(!)にマンションも買い、家族ともども順調そのもののようである。

私が新入社員として某証券会社の仕組債デスクに入社した時、いわゆるメンターのような人だったのがその先輩で、当時はとにかくえらい怖かった。非常に切れる人で、なにも分からない学生あがりの私に仕事の厳しさを教えてくれた人である。何事も初めが肝心というのはまさにその通りで、初めに甘やかされた人はその時はいいが、その後苦労する。当時は優しい先輩に当たった他の同期を羨ましく思うこともあったが、厳しく接してくれた彼には今では大変感謝している。


新入社員といえば、久しぶりに昔の先輩に会って社会人初出勤の日の朝会の風景を思いだした。当時のオフィスは隅田川沿いにあり、会議室の窓から見える川に朝陽が反射してきらきら光るなか、聞きなれた大企業の起債の話やロンドンやNYからのマーケット報告を聞いて、とても気分が高揚したのを覚えている。こうして時々初心に帰るのは非常にいいことだと思う。

その夜は社内のイベントでパブクイズに行く。ワインレストランの一室を借り切りチームに分かれてクイズをするというものだ。もともと昼に会った先輩とディナーの予定でいたので欠席するつもりだったのだが、予定変更で突然参加することにする。クイズの内容はセレブリティのプライベート写真から彼らの名前を当てるものや、古いアニメに関するもの、スコットランドのサッカーチームの名前など、私には難しすぎるものばかり。殆どノーアイデアで、分かったものといえばイントロクイズでOASISのChampaign supernovaを答えられた位だ。同じチームになったフランス人のアナリストもイギリス人じゃないと難しいとこぼしていた。私が貢献したのはチーム名だけで、その名も“Ichiban”。でも結果は最下位とジョークのネタにはなったようだ。

eurostar 今日はパリのクライアントのところに日帰り出張である。朝6時半、タクシーでウォータールーに到着。同僚と落ち合いチェックインと入国審査を済ませ、ベーグルとコーヒーを朝刊を買い込む。同僚は昨日時間が取れなくてオフィスに行けず、今朝3時半にオフィスに行き自分の分のプレゼンのチェックをしていたという。タフな奴だ。7時発のユーロスターに乗り込み、ベーグルにかぶりつき、コーヒーを飲みながら新聞を読む。土曜にCH11申請したデルファイの話などしながら、パリを目指す。


クライアントのビルはDeffenceというちょうどカナリーウォーフのような新興のオフィス地区にある。RERを乗り継ぎなんとかたどり着く。結局乗り換えに手間取り30分以上かかり、これじゃタクシーの方が早かったという話になった。午前の部を終え、近くのレストランでランチを取りながらミーティングを続ける。話に夢中で残念ながら味のほうはあまり印象に残らなかった。ワインは軽めの赤を飲む。レストランでたっぷり2時間ミーティングすると先方はすっかり満足したようでこれにて終了ということになった。メデタシメデタシ。


同僚が6時にロンドンに戻りたいというので、4時のユーロスターを目指し再び、より早いと思われる、RERでパリ北駅へ。ところがまたもや乗り換え等々に手間取りぎりぎりアウト。今日のパリは暑く、走りに走った二人とも汗だくになってしまった。仕方なく次の5時の電車で帰ることにする。あまった時間でワインをお土産に買い、再びロンドンへ。帰りはランチのワインの後のエクササイズが利いて少しウトウトしてしまう。ロンドンには7時に到着。そのまま帰宅することにする。同僚もオフィスに戻るのはあきらめて今日は家に帰るという。いやはやお疲れ様でした。

country house 今週末はウェークエンドアウェイ。要は社員旅行である。基本的には郊外のカントリーハウスを借りきり飲みまくるという企画である。今年はエマージングマーケットチームも参加し、ロンドンのFixed Incomeチームのメンバーほぼ全員が参加することになった。


金曜の仕事を早々に切り上げ、数名ずつに車に分乗しカンタベリー近くのKnowltonというところを目指す。我々は酒買出し班ということで途中Majesticに立ち寄りSpitfireというビール48本、Becks24本、ワイン8本、シャンパン1本を買い込む。少々遅れをとった我々は直接ハウス近くのパブに到着。パブでディナーとなる。今年はイカのサラダとフィレステーキを食べる。中々美味しかった。

weekend away

食事の後は宿にて恒例のPictionaryゲーム大会。2チームに分かれてするすごろくのようなもので、代表が順番にカードを引き、そこにあるお題を模造紙に描く、それをヒントにチームメイトがお題を当てるというゲームである。Non-nativeにはたまに難しい単語があるので、今年は万全を期して電子辞書を持参。(残念ながら)かなり役にたつ。初参加のエマージングマーケットチームのアンドレッサとナターシャはそれぞれスペイン、ロシア出身なので何問かに苦労していた。来年は彼女たちも辞書を持参するに違いない(笑)。


Pictionaryのあとはジェスチャーあてゲーム。2チームに分かれいくつかのお題を用意し、相手チームにランダムに選ばせ、それを当てさせるというものである。この頃になると皆酒が回ってきて品の無いお題ばかりになってしまう。女性に「Like a virgin」をジェスチャーであてろというのは酷である。


翌日はSandwithcという小さな街に行き、Scavenger Huntingをする。これまたいくつかのチームに分かれてあらかじめ用意されたいくつかの指令をいくつクリアできるか競うというものだ。電話ボックスにチーム全員ではいって写真を撮れとかいう簡単なものもあれば、期限切れの牛乳を探せとか、双子の写真を撮れとか、ランボルギーニに乗ってる写真を撮れとか難しいものもある。途中パブランチを挟み、半日以上かけてゲームをする。途中の店で他のチームにその店最後のラバーダックを買われたことが分かり皆で大笑いする。また本物の双子を見つけて写真を撮れたことには驚いた。結局エルビスの写真というお題に、私が貸衣装やでエルビスの格好をして写真をとるという悪ふざけをやった我々のチームが優勝した。


その後家に戻ってイングランドvsオーストリアのサッカー観戦。ベッカムが二度も故無きイエローをもらい退場となってしまったが、イングランドが1-0で辛くも逃げ切り皆大いに盛り上がる。


その後手分けしてティナーの準備。我々の担当はメイン前の料理。Pancake Duckを作る。ほとんど相方のJohnが作り、私は延々ときゅうりを刻んだだけったが、なかなかの出来映えであった。その夜は今度はHangmanという単語当てゲームや、トランプを延々と夜中までやりながら、くだらないことを延々と語りあう。


翌日は早々と退散。10時にはハウスを後にする。家には近所に住んでいるジェインの車で送ってもらい12時には無事到着。長い週末だった。日本では社員旅行はなくなりつつあるというが、チームの親睦を深めるにはとても良い機会だと思った。

木曜日はブローカーとNYからの出張者とでOld Billingsgate旧魚市場でのオクトーバーフェストに行く。もともとはミュンヘンのお祭りだそうだが、ドイツ風のお姉ちゃん(やお兄ちゃん)に囲まれて、ダンスをしながらとにかくビールを飲みまくるというイベントである。なぜか我がオフィスではこのイベントが毎年異常に盛り上がっていて、ブローカーが今年の10月の予定を去年の11月には入れてきたというシロモノである。スタインのビアグラスはとても重く翌日は腕が痛くなってしまった。スタインは2パイントくらいらしいが、ビールをあまり飲めない私は4スタインでギブアップ。同僚たちの声援に応えて、張り切って盛り上がってみたが、やはり物理的に入らないです。。。。ツカレタ。


oktoberfest

今日はふと思いついて、仕事帰りにOdeonに立ち寄り映画「Crash」を観る。今朝のメトロの映画欄エディターズチョイス第二位にランキングされていたものだ。第一位に挙げられていたものはアート映画のような感じがしたが、Crashの方はキャストにマット・ディロン、サンドラ・ブロックとあり、おそらくより気楽なアクション映画かコメディであろうと思い足を運ぶ。ところが実際はそんな気楽なものではなく、人種の坩堝LAで繰り広げられる日常を描く、どちらかというとシリアスなものであった。気軽なものを見たいという期待は裏切られたが、期待以上に面白かった。一見バラバラに見える様々な登場人物はそれぞれがステレオタイプでなく、多面性を持った複雑な人間としてうまく描き出されていた。脚本も非常にうまくできており、プロットも楽しめた。人種差別や銃、貧困、移民など、現代アメリカが持つさまざまな問題点を否定も肯定もせず、それらをすべてひっくるめた「現実」の中にある総体としての人々の営みの美しさを器用に表現していると感じた。久しぶりに見たいい映画であった。


paris restaurant

家内の妹が2週間の予定で夏休みに来ていて、日曜日は皆で日帰りパリ旅行をした。


ウォータールー9時発のユーロスターに乗り、現地時間1時にパリ北駅に到着。オペラ座やコンコルド広場などを抜け、パリの街を散策しながらセーヌ川南岸7区にあるLa Fontaine de Marsというレストランを目指す。


途中までは快適に街歩きを楽しんでいたのだが、店にたどり着く最終段階で若干苦労した。ヨーロッパの住所はストリートの名前とストリート番号で場所を特定するのだが、ストリート番号が載っていない地図ではその通りのどこにその場所があるのか分からない。パリの駅で購入した地図を元に、Rue St.Dominiqueには難なくたどり着く。 目指す住所は129 Rue St. Dominiqueである。大きい数字であることを祈りながらストリート番号を見ると、マーフィーの法則どおりにそこの番号は1。ここからほぼストリートの反対端の129までたどり着くのに30分近く要してしまう。途中で店に電話を入れ、遅れる旨を告げるとやや冷たい対応。予約がキャンセルにならないことを祈りながらやっとの思いでたどり着く。


しかしながら実際店につくとそんな不安は一掃された。ギャルソンの対応は非常にフレンドリーで、ワインも料理も素晴らしいものであった。デザートにクリームブリュレととポートワインまでオーダーし、満足して店を後にする。


店を出て腹ごなしにグランパレまで歩く。グランパレの美術館を一通り見学した後、オルセーに向おうとしたが、閉館時間が近づいていたので今回はあきらめて次の機会に回すことにする。美術館を出てグランパレ駅からメトロを乗り継ぎ、終点のPorte de Clignancourt 駅で下車、Saint-Ouenマーケットに行く。ロンドンのカムデンマーケットを彷彿とさせるところで、パリの中心の上品な感じとは違う庶民的な雰囲気であった。定番のエッフェル塔の置物以外は特に「おフランス」や「パリジェンヌ」らしいものは見当たらず、スポーツシューズや革ジャンなどを安く売っていた。どこかにアンティークのマーケットがあるらしいのだが、残念ながら見つけられなかった。


一通りマーケットを見学し、通りのバーでビールを飲んだ後再びメトロに乗り込んで北駅に向かう。北駅の中の土産店では店員に薦められるままにシャトーマルゴーとサラミを買う。その後駅の外のカフェで休憩しパラフェを飲みながら帰りの電車の時間を待つ。妹は9時近くだというのに昼のように明るいことに改めて驚いていた。


のろのろとユーロスターのチェックインに向かうとすでに長い列が出来ている。我々は殆ど最後尾であった。発車予定時刻を過ぎても長い列は解消されず、発車はいつになることかなどと考えながらフランス出国およびイギリス入国審査をしてあたりを見回すと、いつの間にか誰もいない。よもや置いていかれることはあるまいと思いながらも、あわててホームに駆け下り電車に滑り込む。それまでのろのろと進んでいた入国審査のあの発車直前の最後の追い込みはいったいどうなっているのであろう。


3時間かけてロンドン時間11:30にウォータールーに到着。タクシーに乗ったのは12時を回ってしまった。非常にあわただしい旅行であったが、なかなか楽しめた。でも次は一泊くらいはしたいと思った旅行であった。

日曜は会社の同僚が家に遊びに来て英国を代表するスポーツ、クリケットのイングランド対オーストラリア戦を見に行く。アパートの目と鼻の先にグラウンドがあるのに、中に入るのは始めてである。14、5歳の頃から夏になれば毎週通っていたという同僚の案内でスタジアムをぐるりと一周する。天気はあいにくの雨で試合開始が危ぶまれる。


競技場内は緑が多く、屋外にバーができていたりして、ピクニックができるようになっている。クーラーボックスにシャンパン、ワインなどを入れて持ってきている人達があちこちにいる。国際試合のサッカー場や野球場が時折見せる殺気だった勝負の雰囲気はほとんど感じられずみんなどこか優雅である。スタッフの数も無駄といえるほどの十分な余裕があり観客への対応は大変に丁寧である。


優雅といえば、クリケットの試合のペースはすごくゆっくりしていて、攻守4イニングをゆっくりゆっくり5日間かけてやる。間には選手とともにランチタイムやティータイムまであるのだ。


また、ここのチケットのシステムがどうも理解できなかったのだが、まず競技場の入り口では普通どおりチケットをもぎる。競技場に入りスタンドに上がる入り口でチケットの半券を提示すると、また別のスタンド用チケットを渡される。スタンドはいくつかに別れているのだが、席を替えようと一旦スタンドをでて別のスタンドに入るとまたそこでもそこのスタンド用のチケットを受け取る。これを何回も繰り返せば何枚ものスタンド用チケットを受け取ることになる。一体何のためにこういうシステムになっているのかと同僚に聞くと、「オレもおかしいと思うけど昔からこうなんだよ」という。一応スタンドに入る人数の上限をコントロールしているらしいのだが、紙の無駄だし、いかにも非効率である。


クリケットは紳士のスポーツだと言われるらしい。ルールが分かると奥が深くて面白そうだ。しかし野球やサッカーに慣れているとどうもペースがゆっくりしすぎていると感じてしまうし、効率的な会場運営に慣れていると昔からの運営にどうしても違和感を覚えてしまう。


ただ一見非効率であったり、のろのろしているように見えてもそれが「味」になれば心地よく感じられるのかもしれない。イギリスに人をひきつける何かがあるとすればそれはこういった非効率と裏返しの優雅さなのだろう。


結局天気が優れず中止となると踏んだ同僚は家で家内の作った和食ランチを食べた後帰ってしまった。しかし数時間遅れで試合開始し、一人でグランドに戻り観戦する。イングランドは負けてしまったが、ゲームはなかなか楽しめた。また機会があれば行こうということになった。

仕事帰りに同僚10人ほどでオフィス近くのパブに行く。テレビ番組の話になり「おーところでトキーシーキャッスルってすごい面白いよな」と誰かが言い出すと、「そうそう、トキーシーキャッスル最高。あれは日本の番組でしょ?」という。怪訝な顔をしていると「知らない?トキーシーキャッスル。妙なお城で石に跳び乗って川を越えたり、でかいアメリカ人が邪魔したり、くるくる回るでかいドラム缶の上を渡ったりして頂上を目指すやつ。最後まで行くやつオレ見たことないんだよね。」という。『風雲たけし城』のことを言っているのだと気づくのに数秒かかった。「あータケシキャッスルね。あれは日本で15年くらい前に流行ったんだけど、もうやってないよ。」と苦笑気味にいうと「ただのスプラッターだけどすごく面白いのよね」別の同僚もこう言い出す。ケーブルテレビを入れてないので知らなかったが、妙な番組が人気を博しているようだ。映画監督の北野武が作ったのだと教えると一様に驚いた顔をしていた。今イギリスでもアメリカでも、そしてもちろん日本でも、素人が出演するリアル感にあふれる番組が流行っているようだ。所詮はテレビ番組であるからして、自分で経験するのではなく、ある意味覗き見趣味的な、擬似リアルであることがポイントである。今思えばたけし城などはその走りだったのだと思う。「ビッグブラザー」にせよ「セレブリティー」にせよ同様である。


リアル感あふれるといえば、先日のテロ事件の際のテレビニュースはまさにリアルそのものであった。いつも使っていた駅が爆発により封鎖されている映像や、 乗りなれたバスの二階が大破しむき出しになった黄色い手すりの映像、はたまた事件後から現場周辺に張られている写真つきの尋ね人の張り紙を見るにつけ、手に取るようなリアルさを感じざるを得ない。一方で亡くなった方の冥福を祈る時は、どこか遠い国の出来事のようにも感じる。この不思議な感覚は現代人が求めている「あいまいなリアルさ」に他ならないと---不謹慎ながら---そう感じた。

ロンドンに来て一年が過ぎてしまった。環境にはなんとか慣れてきたたが、なにか大きなものをを得たかというと疑問府が付く気がする。少なくともその実感はない。誰かが言っていたがキャリアなり経験というのは髪の毛の伸びるのと同じく目に見えないほどのゆっくりした速度で変化するもので、振り返って初めて気づくものだという。本当なのだろうか。たとえそうだとしても、時間が過ぎることで失うものは多いように感じる。それはつまり機会費用であったり、人生のリスク許容度であったり。それに見合うなにかを手に入れることができればいいのだが、なかなか難しい。これらが非常に感覚的なもので、うまく測定できない故であろう。こうした愚考している間にも時間は過ぎてゆく。人間は目隠しして歩き続けるといつの間にか同じところに戻って来てしまうらしい。一度立ち止まって人生を俯瞰する必要があると感じている。


今日はテロから一週間ということで正午から2分間オフィスの外に出て犠牲者に黙祷をささげる。街の活動のすべてが止まり、大勢の人が道端で黙って立つ光景は荘厳であると同時になにか恐ろしい物を感じた。団結した市民の無言の抗議に見えたからだ。これは単なる思い付きの暴力ではなく、テロと反テロという形でのイデオロギーの対立であり、これからしばらくの間世界はこれらと共存せざるを得ない。我々市民はプライバシーという犠牲を払うことになるのだろう。黙祷しながらそんなことを思う。


夜はブローカーとのディナー。ハッカサンという中華に行く。中々の味だった。