マッチ擦するつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや (『寺山修司全歌集』) | 卍老人残日録

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-真剣道継承未完- 

寺山さんをだしにむつかしいことを・・・

 

寺山さんと言えば、渋谷ですれ違った姿を思い出す

生きることに全力で「力がこもった」人のように見えた

もちろん、こちらは学生で吹いたら飛ぶようなものだからあくまで個人の感想

 

 

本題

今日の稽古の帰路、運転してくれる若者と深い話になった

 

居合という究極のブドウ

相手の眼が見える距離で「斬り殺す」

 

儂にはできんな!

木刀や竹刀なら強く打つことはできるだろう、技術も発揮できるだろう、がしかし、触れれば死ぬかもしれぬ真剣で人が斬れるだろうか?

 

我々は戦闘者で、命令があれば戦うことにおいて異論はない

祖国のためというなら死にもできよう

 

しかし、その祖国の命令は正しいか?

命令する人は正しいか?

 

誤解を恐れず書き続けると

 

祖国の構成要素 領土、人民、文化歴史

 

いずれも怪しくなってきている

しかも政府という馬鹿どもは売国のみすぎ世過ぎで、大東亜線以降ひたすら保身に汲々としてきたことはみんな知っている

 

そこで、若者にこう伝えた、普段から「そのことについて自分なりに考え、腹を決めておく」

 

いざ、斬ったはった(現代では撃ったはった)の場面で躊躇することなく使命を全うするためには、その準備は必須だ

 

*ここからは私の意見

万一斬ったはったの場所で迷うことがあれば、居合者ではない。

熟考したなら、おのれを信じるしかない

 

おぼつかないが、私の見解だ

 

 

藁とか見事に斬っているような方にとって深甚な問いでもあろう