邪宗門 | 卍老人残日録

卍老人残日録

-真剣道継承未完- 

邪宗門 (youtube.com)

 

 

高橋和己は長編「邪宗門」を書き、全共闘世代から支持されたようだ。

 

埴谷雄高が「死霊」を書き、私はそれを観念小説と唱えていたのを同時期に体験した。

 

モノを読むということは、架空体験にシンクロするということなんだろうか

 

 

「路地から出てきた」中上健次が都はるみを熊野に誘って彼女のカムバックの手伝いをしたというエピソードと

その曲の歌詞を道浦母都子が書いたという、このような人の交差をなんと思えばいいのだろう

 

この曲を聞いた途端、俗な言い方で申し訳ないが 「私は魂を撃たれた」

 

題名は芥川ではなく高橋の「邪宗」に接近するものだろう

そういえば、高橋は「邪宗門」執筆中はおかしくなっていたという

脱稿後数年で世を去ったのは、あまりに精神の消耗が激しかったためではないかと思う

 

私も祖父が成長の家と縁があったといういきさつ、高橋の父が関係があったPL教団(松山が出発点)など

いわゆる新興宗教に興味があった。

加えて、武道に惹かれてからは合気の存在が妙に気になり、ついに大本にたどり着いたのは40歳を過ぎた遅い時期だったので

世俗にまみれ、旧価値観の重荷につぶれてしまっていた。

しかし転機は来る

 

全共闘と三島由紀夫の対談(安田講堂)を外側から眺めていた部外者としての無責任な感想は恥じるところだが、

現在はあらゆる接点が表面化して多くの人の知るところとなった

 

日月神示などが人口に膾炙しさらにその奥に亀岡や綾部があることを薄々知る人も増えたようだ

もっと言えば邪宗は原日本の復帰(狂気じみた)を願う人たちに感応されるものだろうという思いだ

 

60年~70年に至る新サヨク運動は共産主義という姿に仮託した日本回帰の抵抗だったのではないだろうか

ナショナリズムとぐろーばりずむが争点となった今、その感が強い

 

私はいまや茶番政治に関心はない、人々が伏せられた(隠匿され、削除された)無名の先人たちの声に関心を寄せ

「わがこと」のように考える時期であるとだけが必要だろうかと思う

 

はしなくも今朝、ネット上に都はるみ公式チャンネルをみて、キーをたたいた