最近気が付いた身近なこと
自分の0ポイントを持たない方が大半であるという驚くべきこと
0ポイントを自覚していないのでは、比較のしようにも何を基準とするのか?
例えば「味覚」 1杯780円のかつ丼が「うまい」という方がいる、そのうまいはどんな階層であるのか知ることはたやすい
豚がかわいそうな生き物であり、食べられるために生まれ、虐待され、殺されてニンゲンの食事となる。それ自体は当たり前と思っているだろうが絶対に違う、私を含むニンゲンの罪そのものだ
また、元気な豚さんだって、広々とした牧場で「飼われ」て富裕層の食事となる。
この豚さんはとても780円では食べることはできない
そこで、皆さんキャピタルゲインを用いる
この言葉は金融では別の意味を持つが、ここでは心理学的に使用している
つまり、疾病利得を利用しようというのだ、私は目が不自由だから優先してほしいというもので、もちろん本当に目が不自由なら大切に優先しけがや不自由がないようにするのが正しい社会
しかし,賢明な方はこの社会が、我々の想念上にある「正義」と乖離しているのはご案内、そこに展開されるのは優勝劣敗理論という屁理屈の情けない現状だ。
諦めてはこの先もその大きな嘘や、市場が無限に増大するというでたらめなSDGsがまかりっ通る。
拱手してそれを眺めるも勝手、異を唱えるのも自由だが、多くの場合これではいけないと感じた人の意見は「陰謀論」となる
しかし、イエス・キリストがこうも言っていたそうだ
あなた方は見えるのにそれを見ない罪がある
私はよく家庭内で冗談を言う
「僕は知らなかったのです、それに言われたことしかしていません、奥様赦してください」
これはダーリン相手だから冗談で済むが、大人がそんなことを言ってはいけません。
つまり、階層が違い幼稚園から大学院まであるとして、ことさら自分は幼稚であるので無知はなんでも許されるという甘えた考えは近いうちに「ツケ」が回ってくる
急いで、0ポイントを見出し、その立ち位置から出発することが重要だろう、どんなこともだれでも最初は初心者だという「ゆるし」は存在するのだから