途切れる記憶に悩んでいる
そんなに脳は使ってないのに、いや使ってないからいかんのだろうか?
まあいいや、明日死ぬと思う心で何事かする
明日の朝死ぬのなら、今夜の夕食は実においしいはずですよね、実際おいしかったし、ありがたかった。
インゲンがおいしかった
簡素ながらありがたい夕食
*
意をのせて物事をやると、それが食事であれ、呼吸であれ、トイレであれ、〇〇Xであれ、睡眠であれ(あれ?)稽古であれ
手ごたえというものが違います
人の生は有限であり、長い短いという時間的なものがあり、その内容も人によって違うとは言うものの、大方、「作業」にしている方の多い事。
不思議なのは自分のやっていることに無関心な場合がある
継続は力なりでずっと同じことなら安心みたいです
物事を知らずにやっても無意味だと今日の武衛會ラインでいいました。
例としては、昨夜の松山武衛會稽古でやった「居合形」の1本を取り上げました
「拳取」
稽古では打ちは逆手で相手の手首を取り利かせます、相手は崩れて、剣先をつけて勝ち
1段階
手首を取り利かせるようになることをします
2段階
中指を手首にかけて利かせます、その他の指は相手の掌中にと書いてあります
3段階
口伝があり、あっと驚く効きよう、それならこの業は、なるほど「拳取」だという具合
まあ、居合形は骨法だとか體術だとかに流れていった部分が色濃く残るように大江先生は工夫されたのでしょう
むろん英信流は長谷川流体術が今も活動されているので、体術がベースであることは異論がないと思います。
ちなみに西条は 「古式劍體術西条武衛會」として運営していこうと考えています
松山武衛會の会員は初心者が多いので、「手首をつかんで拳取」という語義の違いに気が付かなかったようです。
多層構造の古流にはぶっ飛んだ秘密が潜んでいてカルチャーショックを楽しめますね