教養がその人の行動なり、言説と関係している
当たり前ですね
ブドウに関して私のガリガリの視点を開陳
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マスクして居合するバカ 論外
ありもしないはやり病に騙されるようではね、ちくりんしたなどは臍かんでください
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状況を把握しないバカ
ウク支援だとか、虎が悪いとか、まともな情報に触れていない世界情報音痴、音痴がピアノ教師が務まらないように (闘戦経由来)ブドウは世界基準で孫氏に並ぶ兵法でもある
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ゲイジュツに無関心なバカ
究極はブンガクに行きつくような世上に、本も読めないようでは、見込み無し
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平気で毒なものを食べ、それをUPするバカ
今やトサツ場となった日本、世界最高度の農薬、添加物をたっぷり、ラーメンには必ずあれが入っている、脳がスポンジになるか、腐ってくるか・・・そんなことも知らないものが何をやりたいのやら
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病気を逃げ口上にするバカ
それはあんたがモノを知らないからだ、そうなったのは自分のせい
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縦軸を貫く文化に触れたいという決意を持ったなら
なぜにブドウを修するかという原初の問いに明確な回答が欲しい
はずだ。
ただ何となくというのでは心もとない
ある日マッチョな方に質問した
「筋肉を鍛えるのは大変でしょう」
「はい、努力してます」
「それでその筋肉は何に活用されますか」
「いや、夏が近いので半袖になるもんですから」
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こういう方の趣味はとやかく言うべきではないが、日本武道の有段者たるものは、身に着けた修行成果を何に活用するべきか
はらにためておく必要を感じる。
段が欲しいので稽古する、仲間が欲しいので稽古に参加する、優勝したいので研鑽するという考えは、平面上にある地点が広がるだけでそこからから出ることはない。
縦軸(文化)と交差し初めて立体となる。
その立体を何に向かわしむかが「プロトコル命題」じゃなかろうか
口が悪くてごめんなさい(ぺこり)