居合とは、座しているときあるいは歩行中、何ならトイレでまた風呂で「思いもかけない襲撃に対応する」
こういうことは、おバカな剣道連盟居合道部でもちゃんと知っている
司馬遼太郎の描く「坂本龍馬」の中でおりょうさんは、近づく敵の気配に 入浴中にも関わらず、一糸まとわぬ姿で愛する人に急を知らせたと書かれている。(それが事実でも虚構でも構わない)
あらかじめ説明を受け、そのための準備が整い、心身共に万全なら、その事柄に向き合えると固く信じている方には別の世界のことです
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その月日はあったのだろうか?
母は、そのために身を削ってくれた
その覚悟こそ、母なる偉大な存在の「強さ」だったのだろう
表面だけをなぞり、あるいは言葉だけを飾り、世を過ぎる
私たちは時間を区切られた存在
いずれ去ってゆく身だのに
対応に準備がいるとは私には理解不可能
なんでも手ごろなものを利用し、「しなければ離れてしまうこと」に向き合うべきだろう
準備とはいろいろなことが起きる前にしておくべきで、その心構えのことだと思う。
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どいつもこいつも 常識の次元が違う
今流行している常識は愚民の常識だ、嘘だと思うならGHQが施した「日本統治計画」を少し調べればいい
その根底にあるものは流砂で底なしだ
★ なんちゃってを見破るのは実に簡単
①端正な姿を心掛けているか、特に「靴」清潔が一番です
②マスクはNG わくわくした人もNG
③おかしなものが「うまい」などと言ってSNSに投稿アホ
④他愛もない連中とつるんでいる
世間体に振り回されず、自らを主体として「ただいまこの時を生きる」
居合っている事柄は自分に来た「いま解決するべき贈り物」である次は無い!
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私はその流砂に飲み込まれないために居合を修している
katana を振り回すのが居合ではない、息をするのも居合だと思っている
思いもよらぬことに直面して、すなわち果断し振り返らず、後悔など毛頭ない、とすましているのが「居合者」かもしれない
その骨を強靭に保とう
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写真は過ぎし日の猫たち