その方は、大きな商家に生まれ、何不自由なく育った
やがて、その経済力を受け継ぎ、お茶、お花、,俳諧、歌、ありとあらゆる習い事も収め、妾も囲った。
また、お付き合いや、自分の楽しみのため、贅沢なお茶屋遊びも盛んに行っていたという。お金を湯水のように使っていた。
あるひ、旦那さんは、商家の庭にでると、丁稚が荒縄を燃やしていた。
旦那さんは問いかける
「まさどん(丁稚の名前)その縄はいかがして燃やしてござる」
「はい、旦那様 きれ端でございます、番頭さんがもやしておくれと申されました」
「はい、左様ですか、まさどん、番頭さんを呼んでおくれでないか」
番頭来たりて
「旦那様、お呼びによりまして、参上いたしました」
「番頭さん、これはいかがなことでしょう、荒縄の端を燃やしては、「国家の損失」いかようにも始末の程もありましょう」
「旦那様、これは迂闊でありました、ほんにこれは燃やすわけにはいけませぬ、夜さりごとの手遊びに短い縄なりとできました」
「はい、番頭さん、ありがとう、銭はなんぼでも儲けて使うとよろしい、自分の稼ぎです、しかしながら、この縄は誰かのお役に立つかもしれない大事なお国の財産です、よろしいか、燃やしてはあきまへんで」
お大尽のこの商家は大変栄えたそうな・・・・
註 荒縄とは、むかしわらで編んだロープ、荷物を縛った、当時は商いが大きいと藁屑や端が大量に出たようだ。
一方、愛媛では先祖代々の土地をお金になるからと言って、あるいは自分が耕せないからと言って、シナの資本に売ることが始まっている、もう二度と西条の人々に帰ってこない暴挙です。
旦那さんはでてこないのかなあ~~~~~
我々は、西条の寸土たりともを守りたいと行動を起こしました
小田でしめ縄づくりをして感じたこと、わらが縄になる、わずかでも活かせるものがある
昔言葉は私の創作ですので、お目溢しいただきたくお願いします
業務連絡、今朝ヒトマル以降JGSDF機が松山空港に到着したかもしれません