会話が盛り上がらない人の特徴

自己開示しない人、好奇心のない人、
良く言えば真面目な人、悪く言えば会話反射神経の鈍い人
致命的なのが、話す気がない人。


そういう人に限って、
自分から話すことといえば、

共通の知人の近況、時事ネタ、負の感情テーマが多い。

悲しいのが、男30を過ぎて、
大学の友人がこうなってきた。

ストレス多いのかな。


そうなると、久々に会っても、

総量が決まった思い出から引き算の会話しか生まれない。
つまらないし退屈で、脳が萎縮する。

俺は、あなたの「今」を知りたいのだ。
あなたのアップデートを知りたいのだ。
因みに誘ったのはあなただよ。

と言いたいことも多々あるが我慢。

前兆はあったので、

対策として、
自分こんなことあったけど、○○はどう?
的なパターンの繰り返し。

しかし、弾まない。返しが鈍い。

おねむの時間かなと思って
時計を見るけど、そんな時間でもない。

自分の情報を提供すれば、
連想で経験に照らして話すキッカケを思いつくかもしれないし、
内容に興味や疑問があれば、質問もしやすくなるだろう。
そんな考えでそうしてるのだが、

やはり、弾まない。返しが鈍い。

放っておくと、yahooニュースTOP5を
順番に話すんじゃないかと思うくらい
自分からはどうでもいい話しかしてこない。

誰とでもこんな感じなのかな、なんて思ってましたが、


知らぬ間に、風の噂で、
こういう人たちが得意な既出の「共通の知人トーク」で、

自分が、

「自分のことばかり話す人、空気が読めない人」

という烙印を押されて、
自分と話す以上に盛り上がってるとか、聞きました。


なんだ、やれば出来るんじゃん。



ノラジョーンズ@武道館に行ってきた。

誰かいるだろうとチケット2枚買って、
誰か誘うの面倒になって、
結局、隣の席は荷物置き場になりにしか。

その隣の女子が、
「なに荷物置いてんの、お前の席かよ!」
みたいな顔で何度も睨まれたが、
ここで告白させてもらおう。

「残念ながら俺の席なんだよ、それが!」

女性は自分と関係ない他人には結構露骨な顔をする。

それにしてもUDO音楽事務所は席が悪い。
体でいうところの「おへそ」にステージが
あるとすると、いつも肩から上だよ。
S席でそれなんだから、何を期待すればいいのやら。

「お前、とりあえず端に座っとけ」のSかしら。

去年もエアロスミスの東京ドーム、
アリーナでS席だったけど、
フライでレフトが思いっきり走ってやっと
捕れるようなとこに席が所狭しと並んでて、
スティーブンタイラーが親指の陰に隠れたよ。

でも、歌より何より、
スティーブンがギタリストのジョーペリーを
ミスター ジョー ファッキン ペリーって
紹介するとこをみたいなんて目的で来てるとは、
想像だにしないだろう。

まあ、一昨年に
ラスベガスでタイタニックのテーマ曲
セリーヌ ディオンの
『マイハートウィルゴーオン』を聞いたので、
大好きな映画『アルマゲドン』の主題歌も聞けば、
とりあえず生歌は当分いいぞ、、というような
気持ちもなかったわけではないが。

で、久々に、今回は、
なぜか I dont know why しか聞き取れず、
その理由もI dont know why な、
ノラが8年ぶりかなんだかで来るらしく、
チケットを速攻でポチってしまった。

映画『ストロベリーナイト』とかの、
可愛らしい外人の典型的な顔というイメージ
だったが、本人登場での第一印象は、
失礼を承知で言わせて頂くなら、
「ガタイが良い、ガタイが大変よろしい」
これまた、外人の女の子に多い
典型的な体型と言いましょうか、それでも
ギリギリのところでハーモニーを保っておりまして
さすが音楽をやる人だな、、という印象でした。

笑顔と歌い終わった後に言う「ありがと」は
大変可愛らしかった。

で、後から気づいた衝撃的な事実が、
私と彼女はタメでした。もう少し適切に言うと、
私と彼女は同じ年の生まれでほぼ同じ長さの
時間を過ごしてきて、ようやく33という
ぞろ目イヤーを迎えたという訳です。
今宵はショッキングブルーナイトでもありました。

さらに、衝撃的なのが、
双眼鏡でたまにたまにステージを覗いてたのだが、
しばらく見てると、キュートなノラが、
たまに丸刈りにしたあたりの頃のブリトニーに
たまにたまに見えてきて、レンズから目を離して
気持ちを落ち着けなければいけない瞬間が
4、5回ありました。

ブリトニーだけに、、ウーップスです。


つらつら書いて参りましたが、
素直な感想を言わせてもらうと、
ノラの曲はラウンジのふかふかのソファーに
深く腰を掛けてワインでも片手に聞きたいもので、

武道館の背もたれのない固い椅子の上で
聞くような曲ではないなーという感想です。



あと、そろそろ冬服も本格的になりまして、
2階席から見下ろしていたら、、
所狭しと並べられたアリーナ席は
秋冬色に染まっておりまして、

それはまるで、
中国は広州駅の長距離列車の待ち合い室のような
光景でして、懐かしくもほろ苦い、
それでいてノラの美しくも力強い歌声の余韻。

これらを受け止めて整理するのは、
心ではなく、脳だという事実。

それだけは忘れないでいたいと思う。














Facebook

本名はもちろん、
出自から現住所まで登録してる人なんかいて、
流行りとはいえとても信じられないんだが、

まあ、始まりが交際相手探しなわけで、
来るとこまで来たという感じ。

ネットリテラシー的にありえなくとも、
マナー的には偽名でとりあえず登録なんて方が、
完全にありえないことらしく、

短期的には、マナーを優先した方が
楽しいネットサービスの住人になることができるが、

長期的には、リテラシーを優先した方が
正しかったってことになると当然の帰結を確信してるわけで、

でも匿名の悪意を恐れて何もしない不幸もあるというから
結構考えさせられるサービスであるなぁ。

で、やることと言ったら、
交流を広げる、恋人探し、もあるだろうけど、
ほとんど昔の知り合いの監視だよね、これ。

でも、そんなことはどうでもよくて、

先日、昔の印象とはずいぶん変わってしまった
知り合いとの出会いがあったので書いておこう。

中学の同窓会をしてFacebookの輪が広がり、
その友人の友達の友達くらいに、その人はいたんだけど、
昔は勉強もできる方じゃなかったし、
少しグレることがかっこいい、、、
というようなよくあるケースで
本当の性格を考えるほどの交流はなかったけど、
見かけ通りの印象で、いわゆる不良グループの1人だった。

※彼の名誉の為に、暴力行為を目的とするというよりは、
主流を外れるファッションとしての不良ね。

そんな彼だが、Facebokで日記的なものを書いていて、
その内容になぜか泣きそうになった。

彼のお父さんは、数年前脳梗塞を患ったらしく、
半身不随で痴呆が入り要介護状態に、、、

そこを下の世話からすべて自分でやると決心して、
日々の記録もかねて心情を綴っていたのだが、

例えば、ある日には、、
当たり前のことができない父に声を荒げてしまって、
そんなの分かりきったことなのに責め立てたと、
自己嫌悪に陥って反省したり、
それでも、ポジティブに気持ちを入れ替えて、
父とこれからも向き合っていく、
俺を育ててくれたおやじだから、的なことを書いてあって、

なんだろう、すごい精神的に成長している感じがして、
同じ月日が2人の間に流れたのに、
荒波を泳ぎきる覚悟がちがうなぁ、、と思い知らされた。
自分の方が甘いと認めざるおえないね。

多分、いい大学とか、いい仕事しているとか、
自分が遠回りしてるときに
彼は自分や取り巻く環境と向き合ってきたんだろう。

自分も同じ状況になったら
彼と同じような気持ちで向き合えるだろうかと、
しばし、自問自答。考える。


Facebook

顔は見えないけど、強い親子の絆を見た気がした。

あなどれないサービスだぞ、と思う。


今週末、新宿二丁目は

ハロウィーン祭りでいつもより賑やかだった。

そこを苦い顔で通り過ぎるだけの、自分。


小学四年生のとき、
ハロウィーンパーティに呼ばれた。

埼玉で平凡な日常を送っていた自分には、
最初の異国文化に触れた経験かもしれない。

クリスマスとか、
サンタがトナカイに乗って世界中の子供達に、、
的な話って物理的にありえないし、
とりあえずプレゼントさえ手に入れば、
それはもうどうでもよかった。

駅で売ってる、
ステラおばさんが焼いたクッキーも
日本中に売ってるクッキーをおばさん1人で
焼けるわけない的な発想と近い。

で、ハロウィーンだが、
どうやら参加者は変装して家々を巡るらしい。

トリック オアー トリート

「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」

子供の癖に、急に押し掛けて、
大人に二者択一を迫る、
それ自体いたずらとしか言いようがない
恐ろしいイベントだ。

それでも、どうするってことで、
家中、大慌てで思案した挙げ句、
変装することになったのは、

母親の使わなくなった
昭和の匂いのする私服を着て、
つばの広い帽子をかぶって、
お化粧をすると言うもの。

小4の少年ボーイにである。

で、会う人会う人に言い張りました。

これは、キュリー夫人の変装だと。

頭の右後ろあたりに見え隠れする
「???」を必死に見ないようにしましたよ。

今思えば、なかなかの目のつけどころだし、
少年らしからぬ色白の頬に化粧もはえて、
おばさま達には受けもよく、

と言いたいところだが、

当時は、いざとなったら、
もう貧乏臭くて、嫌で嫌で、
文字通り箪笥の奥から引っ張りだしてきた服なので
防虫剤臭くて、体から発する匂いも、
沸々と沸き上がる怒りも相まって、
それはもうぷんぷんで、

もう一回言うことが許されるなら、

それはもうぷんぷんで、

友達が着てる、
ホームセンターで売ってるようなマントと杖でさえ
かっこ良く見えて憧れを抱いた、苦い思い出しかない。

だが、月日は経って、

俺は、負けてない。

誰にも負けてない。

気持ちだけは負けてない。

そう思うしかないじゃないか。


だって、

キュリー夫人って、

未だに、正直、

何やった人かも、

どんな服装の人だったかも、

よくわかりませんよ。


つまり、

よく知らない人になりきってたんですよ。


よく知らない人についてっちゃだめよ、、、

とは言われましたが、

よく知らない人になりきっちゃだめよ、、、

とは、言われなかったもの。




今日は静かに眠ろうと思う。













園子温監督『冷たい熱帯魚』の
ベースにされた事件と勘違いして読み始めた、、、

『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』

実際は、『埼玉県愛犬家連続殺人事件』なんだけど、
尼崎で起こってる事件ともそれぞれ類似点が多々あり、
タイムリーにして、久々に考える読書。

因に、園子温監督は『愛のむきだし』という作品が好きです。

『消された・・・』は、主犯格の松永という男、
口達者で頭の回転が速い(実際成績も飛び抜けて優秀)で
人当たりもよく、初対面で好印象を抱かせ、取り込むと豹変し、
通電と暴力、脅迫によりマインドコントロールし、
自分の手を汚さずに殺人事件を実行し、遺体は切り刻み、
ミンチにして海に流すなど、完全犯罪を繰り返した。

そして、彼の考えを実行に移す共犯者が内縁の妻、純子。
彼女もマインドコントロールを受けている。

で、ノンフィクションで、裁判の証言、取材などから
繰り返された殺人事件の経過を再構築しているんだが、

まず、
共犯者の純子は、彼の圧倒的な暴力の前で、逆らう余地なく、
無思考、心身薄弱状態で殺人をしていたことは明らかなのに、
共犯者として主犯の松永と同様に一審で死刑求刑されてる
判決のおかしさ。

逮捕後、松永の呪縛から逃れて純子が徐々に回復し、
自分の過ちを悔い改めて死刑を覚悟の上での自白証言が
語られるのだが、それが無批判で受け入れられ、
信じられていくおかしさ。懺悔は真実なのか?

完全黙秘から自白や捜査協力で刑は軽くなるし、
自分可愛さから改心した演技はいくらでもできると考えるのは
疑い過ぎかもしれないが、本当に彼女の証言が真実なのか?

だって、普通の人間でも、泣きながらごめんなさい、
といいながら全く反省してない経験ってあるでしょ。ないかな。
謝れば許すとか、形骸化した謝罪に慣らされて、
本質的な解決策がとられないことって多々ある。
また、謝るというカタチだけとれば許されるという
被害者からすればずいぶん都合のよい勘違いも生まれる。

で、松永の証言なのだが、
純子の死刑を覚悟し改心した(自分は演技と考えている)前提での
証言が信じすぎられて彼女の方が正しいとバイアスがかけられてるのに、
登場人物の心理状態、論理展開からすれば松永の方が理路整然と
していて、意外にこっちの方が正解なのかも思わせられる達者加減。

松永のサービス精神で盛られた話に裁判では笑いも起こったとか。
でも、最後は空しい笑いに終止したとか書いてるけど、
事件の深刻さとは別に
そこで笑えてしまえる一部傍聴人の人ごとな感じ感、、、はリアル。

結局、松永の死刑はかわらず、純子は死刑から無期懲役に減刑。
真実は闇の中、松永の人格形成には触れられず、
俺が取材したから、この展開になったみたいな
純子との交流や改心の変遷を懐かしく回顧。終わり。


こわいぞ、なにか、こわいぞ、

これって何も誰も、解決してないんじゃなかろうか。





会話が続かない人との接し方

基本的に自分は話す方だと思います。

会話の中にあるキーワードをキッカケに、
考えたり、質問したり、膨らましたり、
小ボケを挟んでみたり、突っ込んでみたり、
会話の瞬間、瞬間に
新しいことを考えたり発見するのが好きと言えます。
それが醍醐味ともいえるでしょう。

会話のキャッチボールと言われるだけあって、
変化球投げてみたり、新しい球種を投げてみたり、
強弱を付けてみたり、時にはボークみたいなこともしますし、
逆に、相手からされれば、
そこに投げられても余裕で捕れますよ、
時には、イチローよろしく背面キャッチしてみたり、
すごい球がきたら、「おお、いい球」と素直に、
賞賛をもって投げ返します。

理想は面白おかしくキャッチボールしながら、
相手の感情や思考を探ったり、知見を広めたり、

まあ、文字にすると堅苦しくなりますが、
どんな風に考えるんだろう、
どんな風に感じているんだろう、
ああ、そんな考え方や世界もあるのか、、、
程度のことを会話を通して知るのが面白いと思う訳です。

これは、会話に対する姿勢であって、
恋愛や下ネタを話すと楽しいといった
テーマを言っているのではありません。


なので、同じような姿勢を持ち合わせていて、
知識が豊富で回転が早く独特な視点を
持った人との会話はとても楽しく、時間も忘れてしまいます。


ところが、世の中には会話が続かない人がいます。
これは、続くからいいとか、悪いとかではなく、
私から言わせると会話における苦痛な存在です。

しかし、厄介なのは、
そういう人に限って、よく誘ってくるし、
会えば会ったで長くいたがる人が多いのです。

さらに、厄介なのが、
沈黙が気にならない、もしくは、沈黙できる時間ほど、
気心知れた友情の証みたいに考えてる人です。

ごめんなさい、、、と言いたい。

分かります。
移動してる時、何かを一緒にしてる時、遊園地の待ち時間、
こんな時までべちゃくちゃ話して間を埋める必要はありません。

しかし、例えば、数ヶ月ぶりに自分から誘っておいて、
居酒屋でさしで面と向かい合ってるのに、
ボソボソと挨拶程度を呟いた後、
おしぼりでのんんびり手を拭きながら、タバコを吸いながら、
ぼーっと何話すでもなく、くつろいでいる人、

どういうつもりなんですか。

で、まあ近況あたりから振ってみるのですが、
膨らませる気もないのか一言、二言で、また沈黙。

こうしたタイプの人をいけないと言っている訳ではなく、
確実に存在するんです、こういうタイプ。
で、似たような人同士でうまくやってくれれればいいのですが、
こっちのよく話す人の領域に入って来るんです。

まあ、2人だとこんな風で、
よく話す人がいると、僕とその人でずっと盛り上がってしまって、
端で聞き役に徹してる訳ですが、
まんざら居心地が悪そうでもない。

てんで、わかりません。

愚痴っぽくなってしまいましたが、
批判めいたことをさらに展開することもできるのですが、
それが目的ではありません。

そういう人とは距離を置けばいいということに気づいたのですが、

なんでしょう、
適当な理由をつけて断る時のあの後ろめたさ。

なんでしょう、
何事もなかったようにまた誘ってくるチャレンジ精神。

あっぱれです。


沈黙は、金。

お金にならない方の、金。

ママでも、金。

ロンドンでも、金。

顔と政治家としては初戦敗退だけど、

人生においては、上位入賞。

黙ってられない訳がある。

JUST DO IT !!

NIKE

自分に正直に生きることを実践しようとしたら、

一日も持たないことに気づいて驚愕する。


本音で話したらいけないことを話したり、

どうでもいいことを早々に切り上げようとしたら、

続かないよね、、、、色々、もろもろ。

逆に、

適当な内容の会話を適当に繕って維持する関係って、

本当に必要なのか?、続ける必要あるのか、とも思う。


孤独に強い俺は、社交性なんて気にしないぞ。

どうでもいい関係を続けて何も残らない方が虚しい。

理屈ではそう。


でも、屁理屈言うと、

同じ弾でも数打ちゃ当たる的発想で、

高度な適当の中から、本当の関係も生まれる訳で、


社交の奥深さを思い知らされて、

少し内向きな自分を反省したりする。


つまるところ、

おれは社交にそこまで興味がない。

来る者は拒まないが、好き好んで広げるつもりもない。


幸せとは、かたい握手をもって迎えたい。

WELCOME HAPPINESS!!








「トイレ」


レストランなどでは「お手洗い」というと
お上品な雰囲気満載でどこか異国情緒さえ漂う
響きにならない今日この頃、みなさんいかがお過ごし。


ただ今、結婚した高校の友人に、
いやらしい声で「奥さん」って言う練習を何度もしてる
独身男でございます。


話を戻して、

おトイレはだいたいどこの国も、
入口あたりに俺を忘れてくれるなよってな感じで
水洗い場が存在してるわけですが、


ふつうは用を足して、
汚れた(穢れた)手を洗ってキレイさっぱりな状態で
おトイレを後にするわけです。


キレイ、汚いは想像力の問題で、
同じ液体や固形物が、なぜ体内から体外へ出た瞬間、
それはそれは耐え難い汚いモノへと変容してしまうのか、、

それはもう想像力の問題としか言えません。


あいつらはいつだって、何を言われようと、
主義主張をかえない意固地な奴らでした。


それに触れて、汚い、穢れたといって

あたふたと騒いでるのは、
いつだって想像力豊かな人間たちでした。


それほど変わらないものと変わりやすいものには、
強さと弱さが潜んでいるのです。


人間は弱い。悲しいかな、弱い。


それを通学途中で踏んでしまった日には、
その月はずっと「うん●野郎」呼ばわりです。


これが、厳然と存在する穢れの精神です。



ところが、先日、用を足したくてじゃなく、
ペンキで汚れた手をとにかくきれいにしたくて、
おトイレの水道で、それはもう手の皮膚が
もう止めてって言うのが聞こえるくらい
こすりまくってやったわけですが、
その甲斐あって、元通り美白のエレガントな手に
戻ったわけです。


そしたら、しばらくそんなことやってたわけで、
尿意を催し始めまして、ハンケチで手をふき、
用を足したわけです。


そこで水道に戻ってはたと僕は思いました。


おれは、手を洗うほど今の作業で汚れたのか、

それとも、キレイになった手で股間のあたりを
清めてしまって、もはや気にするレベルでは
ないくらいに清め上げてしまったのではないか、、


と袋小路にまよいこみそうなすんでのところで、
見事に考えることを止めたのでかろうじて
今があるわけですが、


清めと穢れ意識の衝突すると、どちらが強いのか。


てんで、見当がつきませんが、
おそらくどんな清らかな手をお持ちであろうと、
用を足して手を洗わないのは不潔なことであるという
共通認識の中で暮らしているわけで、


どうしもて、自分の主張を通したければ、
手を洗わない、それを誰にも言わない。

これがどうやら正解のようであります。


いや、正解はどこにもないのかもしれません。


乱文にて失礼。

推敲せず思いつくままに書いたので、
こいつ頭大丈夫か、、と疑いたくなるような
体裁の文章でございますが、
東京で頑張って生きています。


あなたの許容範囲の中に
そっとあたしを置いておいてください。


以上。


追伸、


スタバでipad片手に何時間もゲームしてる外人


なんか素敵やん。


平和な日本まで来ないと、


腰を据えてゲームもできないとさ。


























『海猿』を鑑賞。

久々に映画の感想。

通販番組で言うところの、

「でも、お高いんでしょう!?」

改め、、、

「でも、助かるんでしょう!?」

を不謹慎にも連発してる自分と何度も出会い、

で、実際どうなの?、と問われたならば、

助かるんです!!!

もう、ひっちゃかめっちゃかで、

最後に一言言わせて頂けるなら、

お前ら、不死身か?と、、、。


もう少し冷静に見つめ直してみると、

海の中で熱い男達が奮闘してる訳ですが、

取りあえず、事故に遭った人の関係者が、
先に、結婚やら出産やらを控えていて、
ここで死ねないぞってイベント大放出セールで、

安売りし過ぎなんじゃない?

あんなことも、こんなことも、

さらにこれも入れてそのお値段で、

さらに分割手数料まで、、、、

という至れり尽くせりのサービスで、

最後、全員生還、やったね☆ってお話でした。


1800円でお腹いっぱいです。

このシリーズ好きな人が好みそうなメニューが

ぎっしり詰まっていて、肉厚、ジューシーな展開、

乙女、パスタに感動です。

食べてみて損はしないと思います。


何の感想だ、これ。俺は知らない。