100%確実に死ぬことが解っている作者の言葉が心に染みていく。
オレも死を前におそらくこんなことを思うのだろう。
そんな文章を書き出してみた。
6月5日(土)
過去のことも未来のことにも目を向けず、昨日今日明日くらいのこと
しか考えなければだいぶ楽になれるのにと思いつつ、気が付くと過去の
楽しかったことや、それを失う未来のことで頭の中がいっぱいになって
苦しくなってくる。
今だけを見つめるという技は、宗教を極めた高僧のような人にしか出来
ないことなのかもしれないと思う。あとすごい職人さんとかは無意識
のうちに出来そう。
6月6日(日)
どんなにいい人生でも悪い人生でも、人は等しく死ぬ。それが早いか
遅いかだけで一人残らず誰にでも終わりはやってくる。その終わりを、
私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もなく迎えること
ができる。だから今は安らかな気持ちだ....、余命宣告されたら、
そういう気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。
死にたくない、何でもするから助けてください、とジタバタするという
のとは違うけれど、何もかも達観したアルカイックスマイルなんて浮か
べることはできない。
そんな簡単に割り切れるかボケ!と神様に言いたい気持ちがする。
7月10日(土)
思い出は売るほどあり、悔いはない。悔いはないのにもう十分だと
言えないのが、人間は矛盾しているなと思う。
7月15日(木)
会っておきたい方、会う必要のある方とは一応一通り会ったと思う。
勿論会いたい人はまだ沢山いるのだが、遠方に住んでいたり今は疎遠
になっていたりする人を呼びつけるのも変なので。
でも本当はあの人にもあの人にも会いたかったと心の中で思う。
私が突然いなくなったら、皆さん驚かせてしまうと思う。ごめんなさい。
本当はお会いしてさようならとありがとうを言いたかったです。
7月21日(水)
きらびやかなショッピングセンターを眺め、今、特に倹約も散在もして
いないんだけれど、よく考えてみれば高くて諦めていたバッグや宝石や
洋服を、今なら自分の欲を満たすために買ってもいいんだよなと思った。
でも着ていくところもなければ見せる人もいないとなると、ブランドの
高い服も鞄もあまり買う意味がない。ということは、それって自分の欲
ですらないってことだろうか。他人の欲を刺激するために高価なものって
あるのだろうか。
私はなんとなく自分の寿命を90歳くらいに設定していて、贅沢をしな
ければそのあたりまでは生きていけるお金を貯めた。
そのお金は私に安心を与えたけれど、今となってはもう少し使っても
良かったかもしれない。例えばもう仕事は最小限にして語学をやったり
体を鍛えたり、お金じゃなくて時間の方を使えば良かったのかもしれない。
9月4日(土)
自分の残り時間のことを思い、何かやりたいこと、食べたいもの、
会いたい人はいないかを考えてみたが、もうあまり思い当たらない。
たとえば毎日家で飲む、スーパーで売っているティーバッグのお茶が
普通においしければそれでいいような気がする。
9月29日(水)
人間同士の関係は男女だけでも、女同士だけでも男同士だけでもない。
恋愛だけじゃないし、親友だけでもない。ただずっと離れずに自転公転を
ゆるーくゆるーく繰り返すことができるのが豊かなことかもしれないと、
私はふんわり思っていた。