われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法、
黒船の加比丹(かぴたん)を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂い鋭(と)きあんじゃべいいる、
南蛮の桟留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)、珍陀(ちんだ)の酒を。
目見(まみ)青きドミニカ人は陀羅尼(だらに)誦(づ)し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔 (くるす)、
芥子粒を林檎のごとく見すという欺罔(けれん)の器(うつは)、
波羅葦僧(はらいそ)の空をも覗(のぞ)く伸び縮む奇なる眼鏡を。
[北原白秋---邪宗門秘曲]より
この詩を初めて読んだときのショック。
こうもキリスト教のイメージを異国風に表現しきった作家はいるのだろうか。
黒魔術の魔女が現れ、墓場から死人がよみがえる光景さえ想像できる。
地元作家の室生犀星も白州の影響を受けている。
なかなか詩を読んで何を意味するのかわからない。イメージが意味より選考して、言葉の選択が創作されている。
高橋源一郎先生に言わすと現代詩文庫だけ読んでいれば小説が書けるという。言葉が新鮮。短い記事にストーリーが読めるものがあるためだろうか。
言葉の選択にこれほど気を遣う詩作は、普段から見知らぬ言葉を探すアンテナを持つ必要がある。
詩の世界はメルヘンの世界。新しい詩は命を感じ、心臓のどきんどきんが聞こえてきそう。