初めはシンボルを拝んでいたのが、具体的な形をもった理由の話です。
ブッタという人は理想的人間であっても、もともとは人間で神ではありません。
その人間の理想的な姿を表したいと考えたのでしょう。
その流れによって仏像が造られました。
ブッタはもともと人間ですから理想の人を拝むということは至極もっともで
、人間を離れた超越的な存在の像を造るというのはぐあいが悪いが、
もともと人間であったブッタを拝む、そしていかなる人でも内に仏となりうる
可能性を秘めている、これを仏性といいます。
(仏となりうる性質、可能性)
昔からの言葉に、「一切衆生、悉有仏性」(いっさいしゅうじょう、しつゆう
ぶっしょう)という偉い人はもちろんのこ、どんな劣った人、悪人でも奥には
仏となりうる可能性があるといいます。
-つづくー
【今日の万葉集】
さくらだ たず な わた あゆちがた しおひ たずな わた
桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る
高市黒人
<一首の意>
桜田の方へ鶴が鳴きながら飛び渡って行く。年魚市潟(あゆちがた)では潮が
引いたらしい鶴が鳴きながら飛び渡って行く。
※旅の歌人「高市黒人(タケチノクロヒト)」の歌です。”鶴鳴き渡る”を二度繰り返して
歌にリズムを作ってますね。
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