「獣になれない私たち」第5回感想 | 感想亭備忘録

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何を見せられたんでしょう。

なんなんでしょうこれは。

 

はっきりと、明確に。そして筆舌に尽くしがたいほどつまらない。

 

まずはラーメン屋だか何屋だかの店員、店員なのかどうかもあんまり描かれてませんが、三郎というキャラクター。

最初に言っておきますが役者さんはとても頑張っていらっしゃると思います。精一杯やってるのは伝わります。あれ以上は誰がやっても難しいと思います。

 

ですがそもそも役柄自体が邪魔です。

うるさいです。騒がしいです。笑えない上に不愉快です。

恒星が殴られた後のそれなりに重要なシーンにあのキャラクターを出す意味はなんですか。あれを出さないとあのシーンが成り立たないと言うなら、もう恒星と京谷の遭遇シーン自体カットしてくれていいです。最後の晶と恒星のキスシーンにあれが出てくる意味はなんですか。あれを出すならキスシーン自体カットでいいです。

 

クローズアップするエピソードの選択もおかしいです。晶と恒星が際どい関係になり、京谷はどうするのか、呉羽は?と気になっているこのタイミングで、京谷の母親と父親の馴れ初めなんかに誰も興味なんかありません。延々とへしこを買いに来る話を見せられても、ドキドキもワクワクも共感も感動もなんにもないです。

リアルタイム視聴に早送りがないことをこんなに腹立たしく思ったことはありません。

 

グダグダぐずぐずするんだろうとは予想していました。それは織り込み済みでした、なのにグダグダぐずぐずすら描かず、焦点をずらした中心人物でないキャラクターの恋バナを延々見せられるとは思いませんでした。あの一連を見せられた感想は「で?」しかありません。

 

そもそもあの恋バナにストーリー上のどんな意味があったんでしょう。「愛があればつらい状況も乗り越えられる実例」を見せつけられた晶が余計に追い込まれるってところなんでしょうが、状況が違いすぎます。

京谷の両親はお互いを裏切ってないじゃないですか。お互い愛情をもって信頼しあって生きてきたんでしょう。

晶と京谷の場合は京谷が元カノと同居を続けることで晶を傷つけ続け、その上、呉羽と肉体関係を持つという決定的な裏切りをしています。愛自体に疑問符がつく関係で愛があれば乗り越えられる実例なんて意味ないですよ。

 

まあ、京谷の両親は愛でつながっているのに、自分たちはそうではないことに涙したのかもしれませんが、そんなうっすい話のためにあそこまで尺を使いますか。

 

平静を装い今まで以上に仕事をこなし、明るく振る舞う晶の危うさは見ていてハラハラしました。触れたら弾けて消えてしまいそうな儚さ、燃え尽きる前の蝋燭の火のような明るさ。晶は一体どうなってしまうんだろうと気が気じゃなかったしどうなるのか続きが見たかったんです。

恒星と晶がどう関わるのかに興味があったんです。

その二人の関係性に京谷と呉羽がどう影響を与えるのかが見たかったんです。

京谷と朱里に興味ないです。それ以上に京谷の両親に興味ないんです。

 

何を見せたいのか、どう見せたいのか、迷走どころか逆走してますね。逆走ってなんなんだかわかりませんが。

 

主人公中心に見せてください。主人公たちを脇役のように橋に追いやるのはやめてください。周辺人物に必要以上にやたらと時間を割くのは物語の展開の邪魔にしかなりません。

 

いや、もうほんとに、辛いなあ。

脚本の野木さんも主演の新垣さんも大好きなんですよ。

大好きなのになあ。本当に辛いです。

 

 

と、見終わった直後に感情に任せて書き殴ったのですが、あんまりにも感情的すぎますね。後日改めて考察したいと思います。