本日は中庸について述べます。長いので、もしご興味あれば、という思いです。 | 上海的!買い物的!ブロ~グ

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上海在住・ネット購入好きな♂です。アップは中国ネットで買った物が中心です。
今いる場所を愛することがモットーですから、中国生活をエンジョイしている方とつながれたらハッピーですね。

 今日の投稿は、いつもとは趣を異にした、やや堅めのトピックを書いていきます。

 

A=B」、この世界一単純であると思われる式には大きな誤解の種が含まれています。

これだけでは訳が分からないと思うので具体化していきます。

秘密のケンミンSHOW」という番組をご存知でしょうか。

日本全国の各都道府県にスポットを当て、その地域独特の文化を

紹介するバラエティー番組です。

他県について興味深く視聴していたのですが、自分の故郷である

石川県の番が来た時、

本当にそうだろうか」という疑問が浮かびました。

というのも、石川県では

この「とり野菜みそ」で鍋を作るというような内容だったと思います。

しかし、我が家ではほとんど鍋物をしないせいか、食べたことがありません

知人に聞いてみたこともありますが、「食べない」もしくは「あまり…」、という回答でした。

更に、私の好きな場所、沖縄へ赴いた時にも

沖縄ではツナ缶を箱買いする

という情報の真偽を地元の人に伺ったところ、しっかり肯定する方に

出会えなかった経験があります。

(逆説が連続するのは良くない文ですが)でも、このようにメディアで

言い切ると

「石川県人=とり野菜みそを食べる」「沖縄県人=ツナ缶箱買い」

というような固定観念が一般に定着しないでしょうか。

 

つまり、上述の「A=B」の考え方で、もちろんこれは不正確な情報

です。

ましてや、国家レベルだったら…。

私が今住んでいる中国について書いたブログはたくさんあり、

その中で

日本は~、日本人は~、日本製品は~

中国は~、中国人は~、中国製品は~

という件を見ることがあります。

よく考えてみましょう。その短い言葉の中に含まれる事物の多さを。

本当にそれ正しいですか。

本当に全部同一傾向、同じでしょうか。

ある時、日系スーパーで日本企業の超有名な某カレールーの

日本直輸入品と中国の現地生産品が並んでいるのを見て、悲しくなりました。

と言いますのも、たぶんこれは「日本製品=安心、中国製品=危険をはらむ」

という固定化された考えなんだろうと。

 

ここまでいろいろ書いていますので、もう主張は察して頂けると思いますが、

日本製品は問題が起きていない?

中国製品を食している中国の方は?

ということです。

これは中国に駐在するある日系の新聞社の方とのやりとりなのですが、

 

私「なぜ他国を貶めるような記事を書くのでしょうか」

記者「ノーマルなことを書いても売り上げが上がらないからと編集長に却下される」

 

これは一例ですから、記者とはこうだと一般化することができません。

しかし、その他の人々がこうして売り上げやただ面白さのために書かれた記事を拡大解釈し、

それを自分の常識にしてしまっているとしたら・・・。

 

 もう下火になりつつあるという爆買いもそうです。

中国国内で日系企業が炊飯器を製造しています。

(以前、学校の寮の備品の、ある国産メーカーのものから上記のものに変えた瞬間、コメを変えたのかというくらい味が激変しおいしくなりました。ただ、炊飯時間は長くなりました)

中国国内でいい炊飯器が手に入るのに、わざわざ日本へ行って戻ってくるときにご大層にもプレゼントに箔をつけるためか炊飯器の箱を手に下げています。

 

「いい炊飯器=日本で」「中国の炊飯器=ダメ」?

 

(他人のことばかり言っていますが、実は実妹も思考がほぼテレビの受け売りで、お恥ずかしい限りではあります)

 

 ここでちょっと回り道。

私、実は今年前半まで教師をしておりまして、卒論指導も行っておりました。

そこで真っ先にすること、それはテーマを決めること。

次にすること。そのテーマをぶち壊す。いや、正確に言えば、小さくするということです。

大概の学生は始めに「中日の文化」とか「日本料理」という風にとんでもなくフィールドの広く、

専門家が一生かかっても仕上げられないようなテーマに決めようとします。

ですから、責任の持てぬことはしない

我々が完全に内容を保証できることなんてほんの僅かしかないんだということも教えます。

この論文的思考、日常生活に十分生かせると思います。

例えば「人」はどうでしょう。

 

「あいつはだめだ」・・・本当にあいつの全部を知っている?

      知らないところで、ボランティア、寄付をたくさんしていたら?

 

「(知らぬ人に対し)私は(会社名)の(役職名)だ」・・・

同じ社長でも、同じ課長でも実態が伴っているかは分かりません。

有名企業であってもあなたが大きくしたのでしょうか。

ラベルなしで勝負できませんか。

 

「私は元(会社名・役職・職業)」・・・

年配の方に多い昔話自慢。キャリアは分かりましたが、現在関係がないなら現在の実態を伴わぬ言葉。

ヴェブレン効果よろしく自分の付加価値を上げるための道具を見せつけられても。

 

つまり言葉で全てを表せないのです。

このような思考回路があったため、以前職業を聞かれたら「日本語を教えています」とだけ答えていました。

「大学の教師です」と言うと無条件に「すごいですね」と言う人もいますが、自身の近辺の実情を知っている身としてはただ自分をいい方向にラベリングしているようで虚しくなるので上のように答えていた訳です。

(この記事では論文指導のことを書く必要があったので明かしました)

 

 今はスピード化時代で何でも瞬時に判断しようとします。それが極論化につながっているのだと思います。

大前研一氏曰く、

「極論」、「0か100か」というのは思考停止である

、と(大意であり語句はそのままではありません)。

おそらくこの考えに私は影響を受けているのでしょう。

 

面倒でもいちいちケースバイケースで考えていくこと。

何でもかんでもアイコン化して中身を軽視しないようにすること。

「A=B」の「B」の範囲を相当広げ、「こういう場合もああいう場合もある」と柔軟に中庸に考えていくことで、最適な結論を生み出せるでしょうし、我々の思考回路も思想も高度にし得るのではないでしょうか。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。