はたして、人間は寒いから衣服をまとったのか。恐らくはそうではあるまい。逆に衣服をまとったために寒さを覚えるようになったのではないだろうか、ちょうど私たちが歯をみがいたために自浄力を失って歯が悪くなったように。
それでは、何故衣服をまとったのか。羞恥心の故である。その羞恥心は何故生まれたか。コトバによる<非存の現前>としての関係が樹立され、自他意識が生じたからである。
それでは、何故コトバは生まれたか。そして何故そのような<空の世界>を存在せしめたか。また、そうして生じた関係の世界が、何故物象化し、実体化されるのか。
私たちが問わねばならないのは、そうしたゲネシスの問題である。そして、このゲネシスとは<起源 Ursprung>ではなく<由来 Herkunft>であり、<生起・現出 Entsteehung>であり、「さまざまな力の登場の舞台」(F・ニーチェ)であることは言うまでもない。
――丸山圭三郎『文化のフェティシズム』
それでは、何故衣服をまとったのか。羞恥心の故である。その羞恥心は何故生まれたか。コトバによる<非存の現前>としての関係が樹立され、自他意識が生じたからである。
それでは、何故コトバは生まれたか。そして何故そのような<空の世界>を存在せしめたか。また、そうして生じた関係の世界が、何故物象化し、実体化されるのか。
私たちが問わねばならないのは、そうしたゲネシスの問題である。そして、このゲネシスとは<起源 Ursprung>ではなく<由来 Herkunft>であり、<生起・現出 Entsteehung>であり、「さまざまな力の登場の舞台」(F・ニーチェ)であることは言うまでもない。
――丸山圭三郎『文化のフェティシズム』