Long Goodbye 1981

日々思ったことをひっそりと


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オウム真理教をめぐる騒動の最中、ぼくは彼らが決定的に欠いているのは<歴史>であるという意味のことを書いた。彼らは<歴史>と彼ら自身の繋がりをあらかじめ見失っており、オウムはサブカルチャーの無秩序な引用からなるハルマゲドンの物語を<正史>として信徒たちに与えたのである。
そこで顕わになったのは、戦後の日本社会がそもそも<正史>を欠いているという事実である。おそらくは多くの信徒たちにとって麻原彰晃が彼らに初めて<正史>を説いてくれた人物であり、それゆえに彼らはあまりに無防備にオウムに崩れていったのである。
(…)
戦後社会が<歴史>を欠いてきた、というぼくの凡庸な批判が仮に妥当だとすれば、それはつまりはこの社会が<歴史>から学ぶという行為を怠ってきたからであり、戦後史に登場したオウムもまた歴史的所産である以上、やはりぼくたちはこの目の前に投げ出された<歴史>から、いくばくかのことを学ぶことが可能であるはずだ。
そのような手続きを欠いたままでもし語られる<正史>があったとしても、それは麻原の語った<正史>の域を出ることは決して無いだろう。
(…)
ぼくは、オウム騒動をきっかけに書いた文章のいくつかに、<正史>というそれまでぼくが用いることのなかったことばをあえて用いた。一つには、<正史>さえ語れない保守論壇の人々への皮肉があったが、もう一つは<正史>という語のもつ危うさこそが、オウム騒動の最中で確実に像を結びつつあるように思えたある感情を、もっとも正確にトレースするように思えたからだ。
その感情こそが、歴史への飢え、あるいはノスタルジーとでも表現すべきもので、騒動の中で書かれたぼくの文章もまた、どこかで<正史>への焦燥に突き動かされていたものであったことを否定しない。だが、<正史>への焦燥は、繰り返すが、オウムの人々が麻原の語る<正史>に崩れ落ちていくきっかけとなった感情である。
 とすれば<正史>の回復を早急に主張する前に、ぼくたちのこの<正史>への焦燥のあり方について検討しておく必要がある。なぜなら、この焦燥こそが、<歴史>とぼくたちの繋がりを歪め、<正史>を暴走せしめるきっかけに他ならないからである。

―大塚英志『<ぼく>と国家とねじまき島の呪い』(文庫版・「彼女たちの連合赤軍」より)
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