ところで、ヴォルテールは「態度を決めなければならない」(1772:Voltaire,1879d所収)という作品を最晩年に書いているが、その第十五節では、より直裁に動物の苦痛について次のように書かれている。動物の苦痛はわれわれには悪に見える。というのもわれわれも動物なのだから、もし同じような苦痛に見舞われたならきっと嘆き悲しむだろうからだ。樹木や石でさえ苦痛を感じるかもしれないが、それらはわれわれとあまり似ていないので、動物の場合ほど気にはならない。だが、動物のことは気になるはずなのだ。しかし事実上われわれは、食卓に上る運命にある動物の苦しい死さえも気に懸けなくなる。最初に雌鳥が殺されるのをみた時に涙を流すような子供でも、二度目にそれをみると、もう笑っている。肉屋や調理場の至るところで絶えず繰り返されるこのおぞましい虐殺は、われわれには悪にみえない。それどころか、われわれはこのしばしば腐臭を放つ唾棄すべきものを神の祝福のようにみなすのだ。だが、絶えず死体を食べ続けること以上にぞっとすることはあるだろうか。――この筆運びはヴォルテールの中でもずいぶん激しい文章であるといえ、ここで彼は、いまでいうならほとんどベジタリアンのような感性を露にしている。時代状況を考えるなら、またヨーロッパの肉食文化を鑑みるなら。、先のガンガリードの事例共々、そうとうに注目すべきものといっていいのではなかろうか。
ところが、この二、三年前に書かれ、先にも引用した「崇拝者たち」には、この文脈ですこし気になる文章がある(1769:Voltaire,1879d,p319)。仮に動物が機械だと言えるにしても、それは感じる機械、考える機械だと付け加えることで<動物機械論>をなし崩しにし、相変わらずそれに反感を隠さないヴォルテールなのだが、そのすぐ後に続く文章が、読者にいくぶんかの衝撃を与えるのだ。彼はこう続ける。同じ動物とはいっても互い才能にかなりの違いがあるのは周知の通りだが、それは人間同士でも同じことだ。われわれが監禁する痴呆や、食べすぎて卒中に罹り、感覚と無の中間領域で見る影もなく萎れ果て、記憶も観念もなく、愚鈍状態の中で無益な残りの人生を送り続ける老人と比べるなら、猟犬、オランウータン、秩序だった象たちの方が優秀ではないのか。生まれたばかりの新生児よりも、動物の方がずっと優れているではないか。もっといおう。われわれは自分自身との間にさえ大きな違いをもちうるのだ。例えば微分方を発明した若いニュートンと、かつて世界中をその才能で揺るがせたという事実の痕跡さえ失い、訳も分からず息絶えていく、老いさらばえたニュートンとの違いを見ればいいと。
いったい、ヴォルテールはここで生物一般に対する優しさを振りまいているのか、それとも冷淡極まりない人間観を開示しているのか、そのどちらなのだろうか。厳しい訓練に耐え、われわれの期待に応える優れたペットや家畜の優秀性。それと対比的に取り上げられる知的障害者、脳疾患による知的能力の喪失者、新生児、そして老残を晒すニュートン…。異種の動物への感受性に富んだ眼差しと、人間という同胞に対するある種の見切りと冷酷さの合体である。なんとも皮肉な構図だが、われわれは後に、この構図が現代でも繰り返されるということをみることになるだろう。
――金森 修『動物に魂はあるのか』
ところが、この二、三年前に書かれ、先にも引用した「崇拝者たち」には、この文脈ですこし気になる文章がある(1769:Voltaire,1879d,p319)。仮に動物が機械だと言えるにしても、それは感じる機械、考える機械だと付け加えることで<動物機械論>をなし崩しにし、相変わらずそれに反感を隠さないヴォルテールなのだが、そのすぐ後に続く文章が、読者にいくぶんかの衝撃を与えるのだ。彼はこう続ける。同じ動物とはいっても互い才能にかなりの違いがあるのは周知の通りだが、それは人間同士でも同じことだ。われわれが監禁する痴呆や、食べすぎて卒中に罹り、感覚と無の中間領域で見る影もなく萎れ果て、記憶も観念もなく、愚鈍状態の中で無益な残りの人生を送り続ける老人と比べるなら、猟犬、オランウータン、秩序だった象たちの方が優秀ではないのか。生まれたばかりの新生児よりも、動物の方がずっと優れているではないか。もっといおう。われわれは自分自身との間にさえ大きな違いをもちうるのだ。例えば微分方を発明した若いニュートンと、かつて世界中をその才能で揺るがせたという事実の痕跡さえ失い、訳も分からず息絶えていく、老いさらばえたニュートンとの違いを見ればいいと。
いったい、ヴォルテールはここで生物一般に対する優しさを振りまいているのか、それとも冷淡極まりない人間観を開示しているのか、そのどちらなのだろうか。厳しい訓練に耐え、われわれの期待に応える優れたペットや家畜の優秀性。それと対比的に取り上げられる知的障害者、脳疾患による知的能力の喪失者、新生児、そして老残を晒すニュートン…。異種の動物への感受性に富んだ眼差しと、人間という同胞に対するある種の見切りと冷酷さの合体である。なんとも皮肉な構図だが、われわれは後に、この構図が現代でも繰り返されるということをみることになるだろう。
――金森 修『動物に魂はあるのか』