《いじめられている君へ》 西原理恵子さん | Long Goodbye 1981

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日々思ったことをひっそりと

これは名文ですね。


《いじめられている君へ》 西原理恵子さん
http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY201208040635.html


大人はよく、「純粋だった子供の頃に戻りたい」とか簡単に言うけど、子供には子供の社会性があって、色々と面倒くさいなあと思いながら過していたけどなあ。

その、ごく狭い範囲での社会性が、ときに、今現在大人である私が日々感じている<それ>よりよっぽど大きな閉塞感となって、当時子供であった私を苦しめたことも少なからずあったように思える。

私の場合、兎に角早く大人になりたかった。こんなところから速く抜け出したかった。

今ではそういった当時の私の願望も随分と軽はずみな考えだったなとも思う。

だけど、子供の頃に戻れるよって言われても、遠慮するかな、私は。

今のほうが全然楽しい。


だから、そっから先ですよね、人生は。

今現在、いじめにあったり、人間関係で苦しんでいる小、中学生の子らは、実際、出口の無いような孤独感を味わっていて、生きていることがこの上なく辛いと思う。だから、そういった場合は西原さんの言っているように学校なんて行かなくて良いと思う。

学校が、「国語」や「数学」といった科目を教える場であるとともに、「社会」というものを学んでゆく場なんだとしたら、弱冠14.、15歳の子が(場合によってはもっと若い子供が)、生きることに絶望して、自ら命を絶つという「社会」は異常なんであって、何もそんな「社会」には無理して参加しなくて良いよと言ってあげたくなる。

「国語」とか「数学」なら学校以外でもいくらでも学べるしね。


まあ、残念ながら、このブログをみてる小~中学生は皆無だろうけど(苦笑)。


あと、たまにネットで見かける、「社会人になったら、もっと酷いいじめや差別が待っているんだから云々」といった言説は本質を見誤っている!

仮にその言説に有る程度の正当性があるならば、むしろ、正当性があればあるほど、人を傷つけ、貶めることで成り立っている現代社会を認めているということになり、そういった非人間的なシステムで構成される社会に参加し、生活して行くために、人を傷つけ、傷つけられるということに“鈍感になる”ことを教わる場としての学校というものを肯定しているということになるのではないか。

私たちが真に問題にすべきはこの点にあり、そのことを考えてゆかなければならないと思う。