八幡の藪知らず…≪千葉県市川市八幡にあった竹藪は、一度入ると出口が分からなくなるといわれたことから≫出口が分からないこと。また、迷うことのたとえ。八幡知らず。(大辞泉)
国道14号線(千葉街道)を東京方面から千葉へ向かって車を走らせ、本八幡駅前の信号を越え、更に少し進むと、右手に小さな竹藪が見えてくる。
この竹藪こそが、『八幡不知森(やわたしらずにもり)』、通称『八幡の藪知らず』と呼ばれる、一度入ったら出られなくなるという言い伝えがある竹藪だ。
およそ18平方m程のごく小さいその竹藪は、実際に目の当たりにみると、決して入ったとしても出られなくなるとは思えない。しかし、竹藪の四方には柵が張ってあり、現在も立ち入ることは禁じられている。
この竹藪が禁足地になった由来は諸説あり、ヤマトタケルノミコトの陣地だったとされる説。平良将の墓所説。平将門の墓所説、平将門の家臣6名が、当地で平将門の首を守り続け、そのまま泥人形になったという伝説もある。
その他に水戸黄門がこの竹藪の話を聞き、自ら藪に立ち入っていった後、出られなくなり、命からがら脱出したという話もあるらしい。
何とも興味深い話ではないか。僕はこういった類の民話が大好きで、この話を知ったとき、実際に、千葉に住んでいた友人に頼み、竹藪まで車で連れて行ってもらったことがある。国道沿いは交通量も多く、夜でも道を照らす街灯が随分と明るかったが、その竹藪の一角だけは鬱蒼と竹が空高く生い茂っており、光を飲み込んでそこだけが深い闇のように感じられた。
僕のオカルト趣味だといわれたらそれまでだけど、今現在もその伝説の効果が生きており、人々の行動に制限が加えられる(立入禁止)という事実にロマンというものすら感じるのである。
「科学とは歴史の無限の誤謬にひとつずつ終止符を打って行くものである」とブレヒトは言った。そのことに他意はない。しかし、こうした想像力に支えられた世界は、無限の誤謬に終止符を打った後更に再構築するべき世界だと僕は思う。
それはアニミズムの世界であるかも知れないし、日本的に言えば八百万の神というような世界かも知れない。僕が言いたいのは、反科学的なものを信用しろということではなく、『見よう』として科学を推し進めた結果、めくらになってしまってはだめだということである。
「人は思想をとらえようが、思想は常に人間よりも現実的である」というドストエフスキーの言葉は、そのまま思想という言葉を科学という言葉に置き換えても成り立つと思う。そのことはマルクスの社会科学が歴史に大きく悲劇を刻んだという事実からも明らかだと思うのである。
…と、ここまで書いて、話がどこへ飛んだやら。どうやらぼくの文章が八幡の藪知らずに入ってしまいそうなのでこのへんで。
