「事物そのものに先立って事物と事物のあいだの関係が存在し、その関係がこれらの事物を決定する役割を果す(…)いかなる事物も、いかなる対象も、一瞬たりとも即時的(アン・ソワ)には与えられていない」
――フェルディナン・ド・ソシュール
講談社学術文庫より、文庫化し発売された、丸山圭三郎の名著と誉れ高い『ソシュールを読む』を購入した。ここ最近はありがたいことに、友人から本をプレゼントされたり、探していた本に、相場よりずっと安い値段で出会うことが出来たりと、大分読むべき本は、たまっているのだが、この『ソシュールを読む』だけはスルーできないと思い、迷わず購入した。
後の構造主義、またはポスト構造主義思想の基盤を作ったとされ、「近代言語学の父」と呼ばれる、言語哲学者・フェルディナン・ド・ソシュールだが、彼は存命中、一冊の著書も出さなかった。ソシュールが晩年、ジュネーブ大学で3度に渡って行った講義を、後に彼の弟子が纏めたものが、有名な『一般言語学講義』であるが、丸山圭三郎によれば、この書は、彼の弟子たちが、勝手な解釈を加え、ソシュールの思想を歪曲したものだという。
私は、正直に白状すると、『一般言語学講義』は読んでいない。ソシュールの言語記号学を解説した本も過去に読んだことがあるのだが、「シニフィアン」と「シニフィエ」や「ランガーシュ」と「ラング」、「パロール」など普段耳にすることの無いキーワードが次々と出てきて、学の無い私はすっかり混乱してしまい、自分の中で、それらの概念と判然と理解できぬまま、苦痛のような心持でその本を読み終えた記憶がある。
そんなあるとき、丸山圭三郎の「言葉とは何か」という本に出会った。この本は、日本における、ソシュール研究の第一人者でありながら、ソシュールの言語哲学を基盤に独自の思想を展開してゆく丸山圭三郎が、ソシュールの思想を基に、「言葉とはどういうものであるか」を出来るだけ易しい言葉で、身近な例を挿みながら解いてみせてくれる書である。
私はこの本を読んだとき、先に述べた、ソシュールの解説本を読んだときのもやもやが、みるみるうちに晴れて行き、ずっと視界が広がったような感覚を覚えた。なんだ、そういうことだったのかと納得しっぱなしの一冊であった。「言葉とは何か」でもっていかれた私は、次第に興味はソシュールそのものから丸山圭三郎に移り、続けて『言葉・狂気・エロス』や『文化のフェティシズム』などの本を読み、丸山の哲学にどっぷりとハマっていった。その過程で、私は構造主義というものを学んで行った気がするし、逆に構造主義の限界というか、弱点も学んだ気がする。構造主義的思考の弱点を見抜き、それを超えてゆくためにはどうしたらよいかということが、丸山圭三郎が提唱する「動きつつあるゲシュタルト」という言葉だったんではないだろうか。
以前、とある精神分析家の方のブログを拝見していたら、その方が、「所謂構造主義系の人は“主体性や、意識を規定する社会構造の分析”だけを提示したものに終始してしまっていて、私たちの日常的なあり方、実存に対して冷厳なところがあるが、丸山圭三郎は共同幻想としての社会や文化の構造を浮かび上がらせるだけではなく、その先に人間のあり方における、生の悦びの可能性を見せてくれる」というような旨のことを綴っていた。私が丸山圭三郎に惹かれ、今でも私淑している理由はここにあったのでないかと気付かせてくれた一節であった。
そんな丸山圭三郎の思想の原点でもあるソシュールの思想を丸山圭三郎が纏めた一冊である。この本を読んだ後にもう一度、『言葉・狂気・エロス』や『文化のフェティシズム』を読み直すと、更なる発見があるかも知れない。
なにはともあれ、文庫化してくれた、講談社学術文庫さん感謝です!!
