今、こうして、PCのキーボードを打っている最中、幕張では、FREEDOMMUNEが開催されているんですね!そうそうたる面子!!行きたかった!!
ただ、正直言って、Manuel Gottschingや非常階段はじめ、あれだけ超豪華なミュージシャン、DJたちが名を連ねているにも関わらず、今の私は一番トークステージに行きたかった。
津田大介や宮台信司やいとうせいこうや宇川直宏やらが何を語るのかを間近で聞きたかった。
それは、音楽が持つアナーキーな側面より、“コトバそのもの”が持つアナーキーの可能性のようなものに今の私は魅力を感じているということだということを正直に白状せねばならない。(だからってバンドを辞めたいとかはないですよ、、、)
私はここ一年、色々なことに大いに悩んだ。正直、こんなところで簡単に告白したくないくらいに悩んだ。それ以前も自分としては色々と、その時々に応じて思考を重ねてきたつもりだった。だが、それは「考える」というものの本質がどういったものなのかを全く考察していない、非常に欺瞞的な思考でしかなかったと今でははっきりと言い切ることができる。
そして、今でも大いに悩み続けているし、この悩みというか「問い」と和解点を見つけられることはこの先も無いだろうと予感はしている。
齢30を過ぎて、今の逼迫した日本という社会において、『「私」とは一体何であるのか』といった、非常に厨二病的な、ある種オーソドックスな形而上学的“問い”に正面から対峙させられるはめになるとは思ってもみなかった。
そして、そういった“問い”は当然答えはないわけですね。
よく、目にする批判で、文学とか、哲学といったものが、一体私たちの生活に何の役に立つのかという意見がある。
もしかしたら、ちょくちょくこのブログを覗いてくれている親しい友人にもそういった否定的な考察をしている人がいるかもしれない。
しかし、今の時代に、むしろ今の時代だからこそ、我々には文学や哲学が必要なんじゃないかという私の確信は日を追う毎に強まっている。
それは、自分の思考を文章として作成し、他者に読んでもらうという行為を行う際に考えなければならないロジカルな側面といった古典的リテラシーの問題や、他者の(ときには自身の)綴った文章に対し、どう接していくかといった「テクスト論」の問題といったようなもののはるか向こう側から感ぜられる確信のような気がしてならない。
そして、そうした確信を整然たる文章で今この場で綴って見せることが出来ないのが、私自身の至らなさである。
だから、今の時代における文学や哲学の必要性というか存在意義とは一体何であるのかという問いに対する、私自身のメルクマールのようなものを今年中に示せたらなと思う。「答」というのは適切じゃないんで、そもそも、「答」を示すような学問じゃないですからね。文学も哲学も。
「答」を示すようなモノじゃないってのが、どうやら大きなヒントのような気がする。
そして将来的には短編集みたいなのを出したいなあ。
こないだのFOLLOW UPの依頼でヘッタクソなショートショートみたいなのを書いてみて。やっぱり書くのは刺激的だなーと再確認した次第なんであります。
ただ、正直言って、Manuel Gottschingや非常階段はじめ、あれだけ超豪華なミュージシャン、DJたちが名を連ねているにも関わらず、今の私は一番トークステージに行きたかった。
津田大介や宮台信司やいとうせいこうや宇川直宏やらが何を語るのかを間近で聞きたかった。
それは、音楽が持つアナーキーな側面より、“コトバそのもの”が持つアナーキーの可能性のようなものに今の私は魅力を感じているということだということを正直に白状せねばならない。(だからってバンドを辞めたいとかはないですよ、、、)
私はここ一年、色々なことに大いに悩んだ。正直、こんなところで簡単に告白したくないくらいに悩んだ。それ以前も自分としては色々と、その時々に応じて思考を重ねてきたつもりだった。だが、それは「考える」というものの本質がどういったものなのかを全く考察していない、非常に欺瞞的な思考でしかなかったと今でははっきりと言い切ることができる。
そして、今でも大いに悩み続けているし、この悩みというか「問い」と和解点を見つけられることはこの先も無いだろうと予感はしている。
齢30を過ぎて、今の逼迫した日本という社会において、『「私」とは一体何であるのか』といった、非常に厨二病的な、ある種オーソドックスな形而上学的“問い”に正面から対峙させられるはめになるとは思ってもみなかった。
そして、そういった“問い”は当然答えはないわけですね。
よく、目にする批判で、文学とか、哲学といったものが、一体私たちの生活に何の役に立つのかという意見がある。
もしかしたら、ちょくちょくこのブログを覗いてくれている親しい友人にもそういった否定的な考察をしている人がいるかもしれない。
しかし、今の時代に、むしろ今の時代だからこそ、我々には文学や哲学が必要なんじゃないかという私の確信は日を追う毎に強まっている。
それは、自分の思考を文章として作成し、他者に読んでもらうという行為を行う際に考えなければならないロジカルな側面といった古典的リテラシーの問題や、他者の(ときには自身の)綴った文章に対し、どう接していくかといった「テクスト論」の問題といったようなもののはるか向こう側から感ぜられる確信のような気がしてならない。
そして、そうした確信を整然たる文章で今この場で綴って見せることが出来ないのが、私自身の至らなさである。
だから、今の時代における文学や哲学の必要性というか存在意義とは一体何であるのかという問いに対する、私自身のメルクマールのようなものを今年中に示せたらなと思う。「答」というのは適切じゃないんで、そもそも、「答」を示すような学問じゃないですからね。文学も哲学も。
「答」を示すようなモノじゃないってのが、どうやら大きなヒントのような気がする。
そして将来的には短編集みたいなのを出したいなあ。
こないだのFOLLOW UPの依頼でヘッタクソなショートショートみたいなのを書いてみて。やっぱり書くのは刺激的だなーと再確認した次第なんであります。