まだ本棚に未読のまま鎮座している作品はいくつかある。とはいえ、その多くはなかなか手を出せない代物だ。代表的なものは、henry jamesの「Ambassadors」やnabokovの「Gift」だ。その理由は英語の問題だろう。書かれている英語が一筋縄ではいかない代物なのだ。

 

さて、どうしようか。と思って、本棚で見つけたのが、またまたロシア本。それもこのドストエフスキーの「作家の日記」だ。英訳本でvolume 1とvolume2がある。合計で1400ページの大作品だ。

 

ドストエフスキーの作品を集中的に読んだ2000年代前半に値段も手ごろだったので購入したものだ。日本語ではちくま文庫から訳が出ていたので、こちらもいくつか購入した記憶がある。ただ注は英訳の方が、邦訳より充実している。丁寧な注がなければ文中にたびたび登場する固有名詞は何も語りかけない。

 

 

購入後は、それなりに読み進めたのだが、特にVolume2は半分ほどまで読んだが、途中で試合放棄となる。その後は7,8年前にもう一度、最初から読み始めたのだが、Volume1の有名なロシア文学者gary saul morsonの「Introduction」でやはりストップ。このVolume 1は装丁が悪く、読むからに、どんどんページがはがれていくので読みにくいことこの上ない。因縁の作品ですわ。

 

今回、先月にロシア文化史の作品を読みおえ、もう一度読もうかという気になったのが、いうまでもなく、これはドストエフスキーの日常生活を記録したいわゆる「日記」ではない。「作家の日記」というタイトルの下で、彼が編集することになった雑誌に、毎月彼が載せた論稿をまとめたものなのだ。そこにはジャンルに収まりきれない様々なタイプの論稿が収められている。自叙伝風の過去の回想、政治や文学評論、彼の興味を引いた新聞の社会面(犯罪)の記事に触発された時事コラム、さらには幾つかの小品も収められている。どれも、その長さは20ページ前後。これを毎夜一つづづ読み始めた。

 

どれも農奴解放直後の変貌する1870年代のロシアの社会を背景としたいわゆる時事コラムなのだが、どれも著者一流の個性が強烈に現れている。筆致は著者が語りかけてくるような肩の荷を下ろした軽いものだが、題材の選択と論の進め方は、ドストエフスキー節だ。あてこすりや皮肉、パロディ、並びに無知の装いが頻出するのだが、はたしてどこまでが彼の真意なのかはなかなかわからない。さらには検閲を意識した限定的な言葉の使い方など、慣れるまでには時間がかかる。ただどのページにもここには生身のドストエフスキーがいる。そんな作品だ。