先月、ロシアの対外諜報機関KGBを扱った、約700ページにも及ぶミトロヒン文書に関する作品を読んで、次には未読のソルジェニッイーンの「収容所群島」の第三巻を読むつもりだったが、どういうわけか海外の業者から到着しなかった。このような経験は珍しい。さて次はと悩んだ。本棚を眺めて気が付いたのが、この作品だった。なんでロシア関係の作品にいつも目がいいてしまうのかな。

 

1998年にoregonのbordersで購入したようだ。2000年前後に通勤前の日比谷のドトールで毎日読んだ記憶がある。が、350ページほど読んで、中断したようだ。今回最初から読み直してみたのだが、この作品、やはりすごい作品だ。本文は600ページ、注だけで160ページ。その注もロシア語の資料だけでなく独仏語の資料まで多岐にわたる。それも30代半ばのアメリカ人学者が書いた作品なのに。素人に毛が生えたディレッタントもどきが論評するような作品ではない。

 

初版は1966年、私の持っているのは1970年のreprint版。これだけ出版時から時間がたっている作品、普通なら時間の経過に耐えられずに、もはや読むに堪えない中身の作品も多い。副題は「ある一つのロシア文化の解釈史」となっているように、ロシアの文化を規定しているモチーフをイコンと斧という二つのシンボルに集約し、ロシアの10世紀以降の歴史をたどっているのだ。そこに追加として、サンペテルブルクとモスクワ、さらには西欧派とスラブ派の対比が重層的に重なってくるのだ。

 

扱われる題材は多岐にわたる。宗教に始まり、文学、政治、音楽(ムソグルスキーや国民学派)、絵画(repinやvrubel)にまで多岐にわたる。総合的な文化史を扱いながらも、それぞれのテーマについてもかなり突っ込んだ議論が、見事な名文で展開される。僕の四半世紀前の知識では、この議論についていけなかったのは仕方がなかったのかも。

 

とはいえ、ロシアの宗教を特徴づける大分裂や分離派については、本書読了後も、まだまだその全体像を把握できたとはいえないな。ロシア正教とカソリックとの因縁はなかなか意味深だ。さらに、生の意味ではなく、生きることの行為自体を称賛したドストエフスキーの解釈もなかなかユニーク。

 

さらには、なかなか類書では、様々な理由から、うまくまとめられていないというか、粗っぽく扱われている「銀の時代(革命前の四半世紀)」をprometeanism (プロメテウス主義)、Apocalyticism (黙示録主義), sensualism (官能主義)の観点から説明した部分は非常に参考になった。単独ではなかなか理解できないソロヴィエフなどの哲学もこの作品の構図の中では何となくわかり易くなったような気がする。この銀の時代の影響は、文化面では、ロシア革命後の20年代まで続いているというのだ。

 

本書で、若干の時代性を感じさせたのは、最後のフルシュチョフ時代の雪解けを扱った時代の部分だろうか。どうしても、人間は同時代の変化への思い込みが強くなってしまう。

 

さて、ロシア関係の作品はどうしていつも長い生命力を持つのだろうか。情報量の少なさもあるのだろうが、その一番大きな理由は、ロシアの行動は、その外面上の新奇さが目立つことはあっても、いつもそこには過去の歴史(西欧コンプレックスとロシアの独自性へのプライド)がその姿をのぞかせるのだ。

 

アマゾンにreviewを載せようとしたら、驚いたことに、この作品邦訳が出ていたのだ。