先月読んだ「Mr. Keynes' revolution」。面白いのでさっそく続編、「Mr. Keynes' Dance」を読んでみた。今回はどこまで射程をひろげるのかが興味の関心だったが、対象となる時間は1926年から1936年までとなっている。というわけで、「一般理論」の出版までがカバーされる。

 

本書のスタイルは前作と同じだ。bloomsbury groupとcityそして使用人たちとの会話が本書のトーンをなしている。そして背景となるのは1929年に始まる大恐慌。そこには、ケインズ経済学の革命のエッセンスがわかり易く織り込まれている。アルフレッドマーシャルの古典派経済学が前提とした、自由なcaliculating agentからなる市場の自律的な均衡というdogmaに疑問が提示され、財政政策の活用による有効需要の創設による流動性の罠からの脱却が主張されるのだ。

 

もちろん小説という一般読者を対象とした作品であるため、議論の深まりは求めるべくもない。むしろ焦点はケインズというパーソナリティがどのようにして、この一般理論という理論と体系にたどり着いたかというプロセスにある。ケインズを取り囲む様々な人物との交錯(dance)を通してのケインズという人物の描写こそが本書の面白さだ。

 

ある一時代を特徴づけた思想の影響は強く、なかなかそこから脱却することはできない。そて、we are dead in the long runという運命の中でどう現実と政策的なそして知的な折り合いをつけていくのか。ケインズという人物は不思議な存在だ。その辺のケインズという人格の形成の解明には、もう一度、skidelskyのkeynesの伝記、それも第一巻(Hopes Betrayed:1883-1920)の部分の再読が必要かな。

 

 

 

 

本書には、edward mosleyも登場するが、その扱いは皮相的だ。むしろ、生き生きとしているのは、vera bowen(ケインズの妻lydia lokopovaの友人でballetのchoreographer)や mary marshall (Alfred Marshalの奥さん)などの女性との会話なのだ。

 

さてケインズは1936年以降にいよいよ現実の政治の舞台に乗り出していくのだが、はたして本書には続編はあるのだろうか。