ずっと気になっていた作品だが、ペーパーバックにもならず、値段が高くて躊躇していた。が、中古で信じられない値段がofferされ、即入手。

 

さてどんな作品かというと、金融危機についての概説書。副題は、「なぜ金融危機が起きるのか、そしてそれについて何が出来て、出来ないのか」叙述は平易で、金融の門外漢にも理解できる。とはいえ取り上げられている論点はどれも重要なもので、どれも深い思索を要求するものだ。

 

金融リスクの計量化とその本質的な不可能性、リスクと不確実性の区別、安定性の持つ不安定さ、外生的(exogenouous)なリスクと内生的(endogenuous)なリスク、銀行規制(macroprudential rule)の持つ逆説、銀行規制のトリレンマ、科学とは何か、どれもそれぞれで一冊の本が書けるほどの重要なテーマ。それぞれのテーマがわかり易く説明されていく。

 

全体として明らかにされるのは、金融という欲と疑似科学性が混じりあった世界のどうしようもないおぞましさといっていいだろう。

 

合成の誤謬が当てはまるのがこの世界なのだ。貸出、株などの個別商品のリスクの数値化を精緻にし、合算(aggregate)したところで、その数字自体は意味を持たない。「計量化可能」なリスクの計量化と低減のみを目的とした規制は、結局のところ経済成長の低下を招く。さらに外生的なリスクのみに焦点を合わせたリスク管理の銀行への一律的な強制は、時と場合によっては、外生的なリスクが激減していく中で、逆説的に市場参加者のさらなる一方方向でのリスク軽減を引き起こし、銀行破綻や経済へのダメージを引き起こす。銀行破綻は、好むと好まざるとも、政府によるbail outによって対処せざるを得ない。高いleverageを前提とした銀行業務は本質的に実に脆いのだ。

 

市場価格の消滅や市場流動性の枯渇など市場参加者の相互作用が引き起こす内生的なリスクがシステミックリスクを引き起こす一番の要因なのだが、問題はそれが本質的に測りにくい点だ。さらに本質的な問題は、「過去のデータから観察される統計上の規則性は、それがひとたび管理目的のために使われるとその規則性が失われてしまう」というgoodhartの法則が銀行規制にも当てはまる点だ。

 

つまり、金融は管理することが本質的に不可能な領域。規制の一律的な強制ではなく、多様な金融機関の存在こそが、この内生的なリスクへの対応には必要なのだが、金融に必要とされる設備投資や規制対応に伴う、いわゆる固定費用は膨大なものであり、そこでは巨大な金融機関が圧倒的に有利な立ち位置にある。basel IIIなどの近年の金融規制の「精緻化」は、コントロールしているという自己満足と幻想を振りまくだけということなのか。著者は金融と科学的社会主義に共通するポイントとして、その疑似科学性(pseudoscience)を指摘しているが、そのおぞましさは言うまでもない。

 

残念だったのは、些末な点だが、2000年代の日本の金融危機の収拾プロセスへの理解が、この著者にも欠けている点だ。著者は2000年前後に日本に長期滞在しているにもかかわらずだ。さらには鍵となる用語、riskometer, bob, などの用語が本書の中では明確に定義されておらず、索引にも出ていない点だ。