今年の3月と5月に熊野に出かけてきた。

 

3月の子辺路踏破の時に現地でガイドの方に説明を受けたが、なかなかこの熊野三山の成り立ちと歴史が理解できずに、帰宅後、見つけたのがこの本。ただこの本は取っつき難く、5月の中辺路(大雲取越、小雲取)踏破の後に、もう一度読み返すことになった。

 

最初に比べると少しは理解が深まったが、この本は、素人向けの作品ではないな。

 

世界遺産というcatch phraseはさておき、熊野という地域は理解が難しい。仏教伝来前の土俗信仰、記紀神話、仏教伝来後の神仏習合(修験)、さらには中世以降の浄土阿弥陀信仰が重層的に重なっており、そこに明治政府の神仏分離政策と修験道禁止が最後に加わり、もはや現代の日本人には一筋縄では理解できない存在。現地のトレッキングで山で出会う人々はその半数以上が、外国人それもいわゆる白人が圧倒的に多いのだ。それらの外国人に、「権現」や「本地垂迹説」などをわかり易く説明できる一般人なんてもはやいない。そういう意味では、熊野は遠くなりきや。

 

五来氏のこの作品もこの変貌の流れをわかり易く解説した作品ではない。熊野理解には欠かせない、いくつかのキーワードをベースとして、この存在の持つ特徴をハイライトした作品。そのキーワードは、死者の国の鳥(八咫烏)、補陀落渡海、一遍聖絵、小栗街道、熊野別当、熊野御幸などだ。ただそれぞれは、個別のエピソードのように扱われ、全体としてそれらが有機的に位置付けられた作品とは言い難い。丁寧に読み返したが、熊野という存在の手強さのその一端に触れることが出来たくらいか。

 

というわけで、熊野詣に出かける方に勧められる作品ではない。むしろ下山後に読む作品だろう。