いまどきロシア文学というタイトルの作品が発表されるというのは珍しいな。作者は1982年生まれ、ロシアの大学を卒業した人らしい。眺めてみると、ネクラーソフとガルシンを除いて、ほとんどの作品は既読のものだ。期待して手に取ったのだが、あれ、だいぶ思っていたのとは、違う。読み進めるのが苦しい。何とか最後まで読み終えたが、残ったのは当惑と大きな失望だ。

 

なぜこんなに面白くないのだろう。これは読み手の問題なのだろうか。

 

たしかにワテのロシア文学へのアプローチは、そこに革命運動とインテリゲンチャの不毛な自意識が生み出した虚無を常に探そうとする特異なものかもしれない。そういう観点から見ると、本書で選択された個別の作品自体がかなり凝ったもののように感じる。ドストエフスキーの「白夜」がその典型かもしれない。しかし多数の問題作を差し置いて、なぜまたこの作品を。さらには、ソヴィエトの本質を強制収容所と喝破したソルジェニツイーンの作品は一つも選ばれていないし、言及もされていない。

 

本書の語りにはホフマン流のいかにも曖昧模糊とした現実と幻想が混じった雰囲気が充満している。登場する学生たちの会話には現実感が感じられず、さらには教室の先生の解説も、昔の岩波のロシア文学解説本と同じで、結局のところは陳腐だ。みんな幼いのだ。これが今の文学部なのか。

 

もしかすると、これはロシア文学についての作品ではなく、現代の日本の大学の「ロシア文学の教室」という特異な場所に集まった人物たちを題材とした小説なのかもしれない。それなら、面白くないのも理解できる。