Sean Mcmeekin の「Ottoman Endgame」を4月に読んだのだが、そこにこのDavid Fromkinの「A Peace to End All Peace」が注に何度も出てきた。懐かしかった。実はこの「A Peace to End All Peace」は、だいぶ昔に読み始めて、半分ほど読んだ後で、結局は積読になってしまったいわくつきの作品だ。というわけで、30年ぶり(購入したのは1991年3月)に、もう一度丁寧に読み直してみた。

 

副題の「The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Modern Middle East」が示す通り、この作品はMcmeekinの作品と同じように、オスマントルコ帝国の崩壊を扱ったものだ。両者の違いは、mcmeekinの作品が、トルコの資料を基にトルコが関わった中東やコーカサスでの戦争がより詳しく扱われている点だろうか。Fromkinの作品はトルコの戦争の詳細にはあまり触れずに、もっぱら英国の対外政策の観点から、このオスマントルコ帝国の分割が詳しく分析されている。そこで中心となるのは、英国の政治家、チャーチルや首相のロイド・ジョージ(DLG)さらには、英国の植民地行政に関わった英国のいわゆるアラビスト(アラビア専門家)たちだ。アラビアのローレンスも登場する。

 

本書は非常に読みやすく、欧米列強が関わった最後の植民地分割競争が生々しく扱われている。戦勝国が戦利品として、敗戦国の領土を分割するのはこの時代の当然の常識だ。それぞれの国が、この戦利品の分割にあやかろうとして、この第一大戦に関わってくる。そしてどの国もその国なりの特有の理由を持ち出してくる。ロシアやギリシアにとってのコンスタンチノープルの「回復」がその代表例だ。英国にとっては、インドへのルートに他の列強(ロシアやフランス)の侵入を避けることがその眼目だ。その中で、戦後の領土分割計画のたたき台となったのが、有名なサイクス・ピコ協定だ。

 

しかしながら英仏露の合意だけでは物事は進まない。中東の部族政治の実態は紙の上で合意された分割計画の実施を妨げる。そこにユダヤ人の自治区を作ろうとする、シオニズム運動も絡んでくる。もっとも決定的だったのは、戦勝国による領土の分割を是としない、米国の参戦とロシア革命によるロシアの戦線離脱だろう。この両国もそれぞれの国家利害に動かされるという意味では、他の列強と変わりはないが、そこにはこれまでにはないスローガンが前面に出てくるのだ。民族自決と秘密条約の否定、無賠償・領土の無併合という建前だ。

 

この建前はどの国も無視できない。まして、米国は協商国側の戦費調達の金融上のスポンサーでもある。そこで出てきたのが、委任統治領という考え方だ。建前としては将来の独立を射程にいれながらも、当面は列強が保護国として支配する。このような考え方が交錯して、トランスヨルダン、シリア、イラク、パレスチナ、という政治単位が人為的に誕生することになる。そこでは、今話題のクルドやアルメニアは相当な人口を抱えるものの、漏れてしまう。一方でこれらの領土を割譲されてしまったオスマントルコは、第一次大戦終結後のギリシアとの戦いとその後始末としての大規模な人為的な「人口交換」を経て、アナトリア地域を中心とした民族国家として、再生することになる。結局のところ戦場での勝敗がすべてを決定するのだ。

 

こうして1920年代前半に中東に出来上がった新しい政治秩序は基本的にはその構図を現在も残したままだ。それまでのカリフ体制に基づくオスマントルコという帝国秩序が崩壊した中で、どうやって新しい政治的な正統性を作り出していくか。これにはいまだに答えは出ていない。イスラム教という聖俗の分離を原理的に許さない宗教の存在は、世俗的な民族国家の併存という国際政治のルールとはいまだに軋轢を生み出しているのだ。

 

本書は扱われている話題が多岐(シオンの議定書やパルビュスの暗躍なども)にわたる中で、実にうまくまとめられている。邦訳も出ているようだ。