だいぶ前から気になっていた作品だが、原著は値段が高いので、放っておいたら、いつの間にか邦訳が出ていた。

 

アメリカの日本政治研究者による日本のインテリジェンスの歴史を扱った作品だ。射程は広く、明治から最近の特定機密法の制定までを扱っている。ジャーナリストの作品ではないので、インテリジェンスの枠組みを踏まえて、ドライな議論が展開されている。ただ、気になったのは、翻訳のわかり難さだ。今回は原文は読んでいないのだが、おそらく原文の英語自体が、相当凝った皮肉な英文で書かれているのだろう。その部分がわかり易く翻訳には変換されていない感がした。

 

今さらだが、やはり本書でも強調されているのは、日本における官僚政治の強固さだ。外務省、防衛省、そして警察の三つどもえで、インテリジェンスの収集、分析と統合がなされていない現状が淡々とつづられている。新しい地域戦略環境とテクノロジーの進展が、新たな挑戦を日本のインテリジェンスに突き付けているのは其の通りだが、これまでの歴史をかんがみると、おそらくこの官僚機構間の縄張り争いの問題が解決されることはないだろうとの感を新たにした。そこには、本書では指摘されていないが、緊縮財政を金科玉条とする財務省までが実はかかわってくるのだ。

  

世論は変わったが、おそらく中国発の危機的な状況が突きつけられない限り、この仕組みに効果的な変化が出てくる兆候はない。変化を引き起こすのに欠かせないのは政治の想像力と意志なのだが、最後に3つのシナリオが提示されている3つシナリオの中から、三番目の米国から中国への乗り換えすら真顔で提唱されるかもしれないのが、脳天気な日本の政治とメディアの現状だ。