john grayの近著「The new leviathan」を読んでいたら、ザミャーチンの「われら」が取り上げられていた。この作品自体は知る人ぞ知る作品。ただ原作を読んだ人は少ないようだ。僕も作品の存在自体はかなり昔から知っていたにもかかわらず、これまで未読。原文のロシア語は読めないので、英語で読もうかと思ったが、この種のSF物はかなり読みにくいという先入観があったため、やはり詳しい解説や注があったほうがいいかなと思い、日本語で読んでみた。最新訳の光文社の版だ。
先入観は杞憂だったようだ。想像していた以上に読みやすい。wikipediaで英文全文が読めるので、そちらと併用する形で、読み進めたのだが、英文の方は、日本語以上に、リズミカルで、短い文章が続く。これは一人称での一種の日記なのだ。
本書で登場する様々な小道具も、空中自動車は別としてスマフォの機能進化など現代では実現されたものが多く、そういう意味でも違和感はない。
この作品が書かれたのは,1920年から1921年というから、革命直後の熾烈な内戦の時期だ。戦時共産主義の時代とはいえ、まだスターリンの独裁体制が成立する前で、反革命側への苛烈な対応は別として、左派の内部、特に文化・芸術の領域では、極端な思考も含めて、様々な実験がまだ許容されていた時期。その時期に、その後の共産主義体制のたどる道だけでなく、啓蒙主義と進歩にドライヴされた合理主義の行きつく先、その先に待ち構えていた全体主義体制をここまで描写できたのは作者の慧眼だろうか。
全編を通して漂うのは、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」で取り上げられたクリスタルパレスの硬質な雰囲気だろうか。主人公が宇宙船の設計技師と設定されているためであろうか、「地下生活者の手記」で繰り出される独白ほどの難解さはないが、合理主義と科学主義に基づく全体主義体制のもたらす圧迫感が描かれていく。また様々なキリスト教への暗示や当時の文化状況への言及がなされているようだが、ここは専門家の解説がなければお手上げだ。
単一国(英文では単数のunited state)での生活は、元は工場での効率性追求を狙いとしたはずのテイラー主義が生活のすべての面に適用され、国民の幸福を目的として計算されて設計されてい。食事、仕事、睡眠、運動は決められたスケジュールに乗っ取って行われ、わずか一時間ほどの自由な時間が部屋のブラインドを下ろすことにより確保されている。全国民は名前ではなく、ロシア文字と数字の組み合わせによって区別されている。当時全盛をきわめたプロレトクリトの理想は、機械に代表される合理主義とその貫徹こそが新しい美と人間を創造する(engineers of soul: 魂の設計者)というグロテスクなものだ。本書では、ドストエフスキーの「大審問官」と似たようなシーンも登場し、自由と幸福のディレンマが対峙され、この単一国では、予想通り、自由という重荷を取り除くことにより、数字と数学の支配の下での「平和と幸福」が実現されているというわけだ。
ここには、独裁者と人間をモニターする秘密警察も存在する。単一国を囲む「緑の壁」の外には、まだ過去の遺物が残っており、数字で表象される人間とはいえ、過去の人間の非合理的な側面(愛や宗教)を完全には根絶できておらず、この単一国でもときおり反乱がおきる。ここから先はネタバレになってしまう。最終的には、体制側により「魂の設計」を狙いとした究極的で大規模な解決策が導入されて行くのだ。
ソヴィエト共産主義体制がその頂点に達する前に、描かれたこのディストピアは、現代への警告というよりは、現代の描写と捉えた方がいいかも。独裁者の存在やグランドデザインの不在を除くと、「われら」で描かれた世界はほぼ実現したというか、もしくは技術的には実現可能の段階に来ている。
この「われら」と対極にあると思われるのが、ボグダーノフの「赤い星」だが、これは読むほどの価値はあるのかな。

