日本人論や日本論というものを意識的に読まなくなってから、どれだけ時間がたつのだろう。その種の作品は、日本を語るものではなく、畢竟「著者を語るものでしかない」ということに気が付いたからだろうか。そして語るものを持たない人物に書かれた作品がなんと多いことか。

 

この作品は夏に鶴岡の「suiden terrace」に泊まった際に、ホテル内の読書室に置いてあり、入浴後にどういうわけか手に取った。思った以上に面白く、その一部を読んだのだが、年末に通して全部読んでみた。

 

今回通して全部読んでみると、だいぶ印象が異なった。これは一気に全部を読む本ではなく、部分部分を気が向いた時に拾い読みをする作品なのかもしれない。著者の知識は幅広い。ただ通して読んでいると、どうもそれに幻惑されて、面白さが薄れてくるのだ。

 

とはいえ、「はじめに」で著者の一般的な考え方が提示されている。印象的な部分をいくつか抜書してみた。

 

 

「日本文化はハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂があるのです。」

 

「わかりやすさを求めればいいというものではありません。.....わかりやすくしようなどとは思わないことです。」

 

「日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。」

 

「安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます。」

 

丁度、この作品を読み終えたところで、NHKテレヴィで谷崎の「陰翳礼讃」が取り上げられていたのは、何かの偶然だろうか。