なぜいつも同じような構図に陥るのか?

 

 

 

 

 

米中関係史を概観していていつも目につくのが、いつも繰り返されるサイクルだ。アメリカ側の中国に対する一方的な思い込みとその思い込みがいつも中国の現実に裏切られるというサイクルだろうか。その代表的な例が、1949年以降に繰り広げられた「who lost china?」のキャンペーンだろう。

 

これは、もともとは、ルーズベルト政権が、日本ではなく、蒋介石の国民党政権を選び取り、そこに大量の援助を行ったことが背景にある。そこには中国国民党政権 (KMT)へのナイーヴな信仰が存在していた。日本をアジアの権力ゲームから取り除けば、米国に友好的な大国中国とのパートナーシップが築けるという認識だ。ところが、日本の降伏後、すぐに国共内戦が始まり、あっという間に、応援していたKMTは本土から追い出され、中国共産党(CCP) が中国本土を支配してしまったというわけだ。

 

 

 

 

あれれ、中国にいた宣教師から聞いていた話とはちゃうで。このショッキングな事実を前に、いったいなぜこんな失態が起きてしまったのか、いったいだれの責任なのか、という犯人捜しが始まった。犯人はだれだったのか、この問題は横において、僕に言わせれば、一番の問題は米国の対中認識なのだ。

 

今回のポンペイオ演説に代表される対中政策の修正だが、英文の発表を読んでみると、やはりそこには「裏切られた」という意識が明確に表れている。従来の政策が間違いであったという認識への到達とその正直な表明は誉めるべきであろうが、世界一の大国の政策担当者による「裏切られた」という恨み節の発露はどうも大人げない。

 

ある意味では、恋愛の対象であった中国にしても、ここまで恨み節を流されては困ってしまうだろう。かれら中国人の認識と行動ははいつも変わらない。「利用できるものは利用する」、「強きを助け、弱きをくじく」、「面従腹背」、「戦争はせずに利益で懐柔」、これらは中国の不変の行動原理だ。

 

例が悪いが、いつまでたっても洗練されずに、傍若無人にお里が出てしまうあばずれの女性みたいなもんだ。こんな女性には騙される方が悪いのだ。「子供じゃあるまいし、かまととぶるのはやめてくれ」、「私の悪さは筋金入りということはよく御存じでしょ。」というところだろうか。中国人はいつも冷めた眼で宣教師を見ている。

 

 

 

 

ところで、なぜ、いつも米国の中国認識は誤るのだろうか。

 

僕はこれを「経済版宣教師史観」ととらえている。今のみにくい姿(共産党独裁)はあくまでも一時的な仮の姿、正しい教育(米国留学)と教え(資本主義のイロハとキリスト教)の下で矯正してやれば、いくつかの段階を経てきっと真の利益と真実に目覚めるでしょというわけだ。そしてそれこそがお互いの経済的利益につながり、万々歳。

 

w.w. rostowの「経済成長の諸段階ー非共産党宣言」もその仰々しいお題目や経済学的なjargonを脱色すれば、その本質はこんなもんですわ。そこに欲に目がくらんだウオール・ストリートがからんでくる。

 

 

さて、じゃ、日本の対中認識の原型とは何か?ま、これはまた別の機会に。