ちょっと滅入ったテーマの作品の読書が続いたが、今回はちょっと目鼻を変えてみた。
タイトルを見てほしい。「Europeans: three lives and the making of a cosmopolitan culture」。未読だがヘンリー・ジェームスに同名の作品がある。
本書は簡単に解き明かすと、19世紀に活躍した3人の人物の生涯を通してみた欧州コスモポリタン文化の形成。この三人とはだれなのだろう。ロシアの有名な文学者、ツルゲーネフ (1818-1883)、知る人ぞ知るオペラ歌手、Pauline Viardot (Pauline: 1821-1910)とその夫のlouis Viardot (LV: 1800-1883)。この三人は不思議な三角関係を数十年にわたってフランスとドイツで続けた。この三人の三角関係は知る人ぞ知る不思議な関係なのだが、これまで読んだツルゲーネフの伝記ではあまり深堀はされて
おらず、本書では書簡をベースとしてその実態に相当接近している。
この三人の生涯が時系列でたどられるのだが、それが縦軸とすると、横軸は、文学、音楽そして絵画によって特徴づけられる「芸術」の世界。この両者がそれまでに見ないスケールで交錯しあい、ヨーロッパ文化ともいうべき「実体」が形成されるには、科学技術の発達が大きな役割を果たしている。端的に言うと、鉄道と印刷技術の発展だ。もっと一般化すると資本主義の発展だろう。これによりそれまでには考えにくかったスケールでの人的な交流と芸術の大衆化が可能となったいうわけだ。
特筆すべきは、本書におけるきらびやかというまでの登場人物の多彩さだ。音楽関係に限っても、ロッシーニ、ベルリオーズ、ショパン、クララ・シューマン、グノー、サンサーンス、フォーレ、マイヤービア、オッフェンバッハ、チャイコフスキー、限られてはいるもののワーグナーまでが、これら三人との個人的な関わりの中で登場するのだ。
文学関係では、ツルゲーネフはもちろんロシア文学の両巨頭(トルストイ、ドストエフスキー)だけでなく、フランスのユーゴ―、ゾラ、フローベル、サンド、そしてヘンリー・ジェームス。
絵画では、バルビゾン派、クールベ、モネ、マネ。これらの国籍が異なる人物の軌跡が交錯し、コスモポリタン的な「ヨーロッパ文化」を創り出したいうのだ。どの人物も最低でも二か国語、特にフランス語を自由に操る人物たちだからこそ、成立したともいえる。
作品は全体で、480ページ。驚くべきなのは、注だ。英、独、仏、露の様々な文献が本書の叙述を支えているのだ。著者の作品はだいぶ前に、ロシアを扱ったもの(Natasha's Dance) を読んだことがあるのだが、
本書でも実にわかりやすい英語で、いわゆる「International History」のアプローチで、この対象を描いていく。International Histroyというアプローチは、様々な国や領域を一括して、あるテーマの下でパノラマのように取り扱うという大胆なアプローチ。個別領域を専門とする人々から見るとちょっと深堀が足りない、あるいは粗っぽいとも思われかねない側面は否定できないのだが、著者の力量と語学力により、ある美しい一つの時代がここには描かれた。
個別の論点をみても、資本主義の進化を背景としての、翻訳の興隆と著作権保護、オペラ興業や海外巡業と音楽の輸出、音楽産業のeconomicsの変貌、印象派の登場とマーケティング、そして海外旅行の大衆化などの細かい論点にもそれなりにスペースが割かれ、どれも現代の広い意味での「文化産業」につながる論点でもある。また近年ではトルストイやドストエフスキーの陰に隠れがちなツルーゲーネフという稀代の国際人の不思議な軌跡が、彼の文学作品との絡めて描かれている作品でもある。
もちろんこのコスモポリタン文化の陰画としては、ナショナリズムの問題がある。19世紀はイタリアとドイツが民族国家として成立した時代でもあるのだ。その関連で、国民教育の進展や標準化、独仏の境に位置した国際都市baden-badenの変質や普仏戦争などが、この三人の軌跡に与えた影響からも取り上げられている。最後は20世紀初頭にディアギレフが率いるバレーリュスがパリに現れたところで話は閉じられることになる。




