さて中身なのだが、本書は狭いミステリーではないのだが、最後には仮説としてのどんでん返しともいうべき「種明かし」は存在する。その種明かしには触れずに、いくつか気になった本書の特徴を取り上げてみたい。

 

リンドバーグが大統領になるわけだが、そこには飛行機が効果的に登場する。飛行機というのは、20世紀の現代性(modernity)の象徴だ。たしかに、ファシズムとの親和性がそこには見られる。ムッソリーニにも影響を与えたイタリアの未来主義派は、飛行機に代表される機械やメカに、前の時代の桎梏からの脱出を求めていたようなのだ。ヒトラーも選挙遊説にはこの飛行機という従来までの時間と地理に拘束された時間間隔を超越する道具を積極的に利用していた。そして「british union of fascist」の党首でもあったoswald mosleyも第一次大戦ではroyal flying corpsに志願しているのだ。本書でもリンドバーグはこの飛行機で縦横無尽に選挙遊説や世論対策のためアメリカ各地を飛び回っている。ただ、本書ではリンドバーグ個人の印象は希薄なのだ。彼の一人称での会話の場面は出てこなかったような気がする。いつもリンドバーグは飛行機と共に登場し、その場面はどれも印象的なのだ。さらに電話、ラジオ放送や映画館でのニュースなども効果的に本書では使われていく。

 

本書は、10歳にも達しない主人公、philip rothの回想でつづられるているのだが、これはおそらく現代のある時点、つまりホロコースト後、からの「思い出」の視点だろう。いくら感受性が強くならざるを得ないユダヤ人とはいえ、この年齢では社会や政治の陰影は理解できない。数か所それを思わせる場面がある。一つは、本書の展開でも重要な役割を演じる実在のユダヤ系のラジオコメンテーターに関わるある重要な事象が1968年のある有名な政治家にかかわる事件と関連付けてphilip rothにより思い出されているのだ。また半ゲットーともいうべきnewarkの町のある一角が細かく描写されていくのだが、ここは日本人の読者にはそのディテールのもつ象徴性に没入できないところだろうか。

 

大統領に就任したリンドバーグは、第三帝国のヒトラーと暫定協定を結び、アメリカの欧州への戦争への参戦を阻むことに成功する。ところがリンドバーグの政策は外交・国防の分野にとどまることなく、不思議なことに国内でのユダヤ人対策(ユダヤ人青少年への同化政策と半強制的な移住)にも及んでくるのだ。戦時下でもない中(日系人の収容所への移送はあくまでも戦時中)で、はたしてこのような政策が実施可能かどうかはだいぶ疑わしいのだが、徐々に国内の雰囲気が変わり、様々な政策の余波がrothの家庭にも及んでくるのだ。家庭はこの状況への対応をめぐって分裂の兆しを示し始める。ここではユダヤ人社会の分裂も描かれている。ユダヤ人の社会も一枚岩ではない。そしてアメリカからカナダへの脱出も選択肢の中に入ってくる。さらにリンダバーグ政権の国内メディアへのコントロールもきつくなり、前述のユダヤ系のラジオコメンテーターの解雇とその後の驚くべき展開へとつながっていく。

 

1942年10月におきたある出来事をきっかけとして、アメリカに潜在的に充満している反ユダヤ主義に火がつき、ポグロム、 アメリカ版「水晶の夜」ともいうべき事件が全米各地でも発生することになるのだ。ここからが、本書で一番動きが早くなるところだろうか。アメリカの政治の急速な展開とユダヤ人が全米で置かれた状況が相互に対比され、個人的な悲劇が発生する。

 

ただそこから結末までは、いわゆる「パラノイド陰謀論」による説明だろうか。rothは最後に「奇怪」ともいうべきともいうべきストーリーを仮説として呈示するのだ。これにより、リンドバーグの半生(英雄的な偉業、子供の誘拐事件、ドイツへの宥和的な態度、ユダヤ人対策)の様々な、おさまりが悪かったpieceがうまくはめ込められるのだ。そう、リンドバーグは現代のアメリカではタブーともいうべき存在なのだ。

 

さてここから先は、種明かしに触れないでは話は進められない。というわけで、もう一回。