公開公演自体は中止となってしまったびわこホールのGotterdammerungだが、8日、9日の二日にわたって、無観客で公演は実行された。ライブストリーミングが実施され、2日とも、パソコンに向かって、この無観客公演(午後一時から午後7時まで)を見た。

 

オペラの公演で無観客公演というのは過去に事例はあるのだろうか。今回の決定に至った経緯は不明だが、苦渋の決断であったことは想像に難くない。出演者のスケジュールの調整の観点から、延期は限りなく不可能。払戻というわけで、ホールの金銭的な損失は相当なものだろう。そして、今回がringの最後を飾るということだったわけで、出演者も相当なコミットメントをすでにしていたはずで、そのコミットメントと感情の盛り上がりを当事者は無駄にはしたくなかったはずだ。たしかに異様な状況下ではあったものの、ひとまずこのプロジェクトは完結した。

 

ライブストリーミングの画面はパソコンの画面ということになり、小さい。またカメラは一点に固定されていたようで、出演者のアップはない。というわけで、ライヴの画面と独語・日本語の対訳の画面をいったりきたりしながらの鑑賞となった。その中で、無観客というこれまた異様な緊張感の下で、二日にわたり、オケを指揮した沼尻氏、そしてそれに応えたオケの京都市交響楽団の皆さんの努力には言葉もない。芸術家というものは、いい意味でも悪い意味でも、そういう業を抱えた「人種」なのだろう。

 

そういう意味では、開催に暗雲が垂れ込めているオリンピックにも参考になったのでは。選手にとっては、やはり勝負への思いが一番であり、観客の有無それ自体は所詮二義的なものかもしれない。一方で、公演や勝負が行われる場所は共同体の場所であり、観客や聴衆の思いと参加はこれらの儀式の不可欠な要素ともいえるわけで、選手と周りとの思惑は究極的には一致しえない部分が存在することを示唆している。振り返って見れば、連合軍からの絶え間ない空襲の脅威の下でも、ドイツではクラシックやオペラのコンサートは行われていたわけで、今回のケースはそれとは異なるものの、別種の異様な状況だったというわけだ。

 

 

さて、びわこホールは4月の終わりには別の音楽祭が待ち受けているわけで、それまではコロナウイルスのピークが過ぎていることを祈るばかりだ。