許氏の作品を久々に読む。ちょっと前まではよく読んだものだ。「最高に贅沢なクラシック」、「コンヴィチュニー、オペラを超えるオペラ」、「生きていくためのクラシック」、「絶対!クラシックのキモ」、だけでなく、一時期は彼の新刊をいつも楽しみにしていたものだった。海外へのオペラハウスに頻繁に通うこともなくなったせいだろうか、ここ数年はすっかり御無沙汰していたが、久しぶりに手に取ってみた。

 

同氏特有の悪の強さはだいぶ緩和され、オブラートにつつまれている。さすがに「悪童」も熟成してきたのだろうか。同氏にはオペラを題材にした作品は過去にいくつかあるのだが、今回はタイトルからして、いやにおとなしめなのだ。だいたい「オペラ入門」なんてタイトルはほかにもいくつもあるじゃないか。過去の同氏のオペラ関係の作品のタイトルは、「オペラ大爆発」「オペラに連れてって」などというぶっ飛んだものが多かったのだが。

 

さて中身はどうだろうか。本書の叙述はオーソドックスに歴史的な時系列をたどっている。モンテベルディから語りは始められている。というわけで、このジャンルの歴史をたどることは、必然的に西欧近代の歴史をたどることになるのだ。音楽、オペラの貴族階級の玩具から新興ブルジョア階級へのアクセサリーへの変質がたどられていく。わかりやすい。T-1が存在してTが存在し、T+1が生まれてくる。この時間軸の基本的な流れがしっかりと押さえられている。

 

選ばれた作曲家や演目もバラエティに富んでいる。グランドオペラやオペレッタ、ブリテン!やグラス、アダムスまで紹介されているのだ。アダムスの「原爆博士」は初めて知った。またプッチーニへの高い評価やリヒアルト・シュトラウスの的確な位置づけ、そこに同氏の好みがしっかりと反映されている。ただ一点、イタリアのヴェリズモの代表作、特に2019年の映画「飛んで埼玉」の最後に流されていた「カヴァレリアルスティカーナ」が含まれていないのはどうしてだろうか。

 

でもやはりときおり、それも後半になるとおさえきれずにところどころ噴き出てくるのが、いわゆる「許」節だ。この許節が日本の一部のクラシックファンには癇に障るのだろう。過去には、許氏が微笑まざるを得ないような「コメント」がアマゾンのレヴュー欄にも続出していたようだ。今回も抑えられているが、それなりのサーヴィス精神で後半には「許」節が現れてきます。「最後に」はその許節の凝縮された部分だろうか。こうご期待。