出版された時に書店で手に取り、その時は興味深く思ったが購入は控えた。最近は新刊本の購入は最小限に抑えているからだ。図書館ではなかなか順番が回ってこなかったが、このたびやっと読了。急いで購入するほどの作品ではなかったというのが正直な読後感。

 

日本人の99%以上はキリスト教を信じていない。この疑問が本書の発端である。これをどう解明するのか。著者は、「複雑でわかりにくい教義や思想よりも、なまなましい矛盾と限界」に注目したと書いている。その矛盾と限界が時代を遡りながら、語られるのだが、どれも既知の内容であり、新鮮味はない。たしかに本書で問われた論点は非常に重要なものなのだが、著者はそのほとんどに自分自身の答えを明示的には呈示していない。

 

様々な先行研究のメッセージが両論併記という形で注意深く提示される。これは、素人にとっては非常に親切なスタイルなのだが、その両論併記では読者をひきつけることはできない。ただこのような両論併記を続けていくの果てに、浮かび上がるのが、根源的な問い、つまり宗教、信仰とは何かという問題なのだ。第六章、特にその後半はラジカルな問いへの思いが凝縮されている。でもこの種の議論に関心がない読者には感情が移入できない部分だ。本書の結語も、以下の通り、実にnon-committalなものだ。結局は、「問い」の作品ということになる。

 

「結局、信仰とは何なのか。

宗教は、人間による人間ならではの営みである。宗教の謎はつまり人間の謎であるが、その人間というものが、私たち人間には理解し尽くせない。

.....このいかんともしがたい矛盾と限界を見つめ続ければ、いつか、何かに気づくことができるだろうか。」

 

つまるところ、日本人の大多数は、別に詳細な説明を受けずとも、無意識のうちに、キリスト教の矛盾と限界、つまりいかがわしさと厄介さ、を的確に把握していたと理解したほうがいいのかもしれない。

 

参考になるのは巻末に掲げられた参考図書案内だ。これを一つ一つ読んでいくのがいいかもしれない。