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Crashed: How a Decade of Financial Crises Chang...
1,584円
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世界の姿を決めているものは?
Adam Toozeの新刊。といっても出版は約一年前、paperback版を待っていた。Adam Toozeは今人気の歴史学者。ただ彼のアプローチはいわゆるInternational History、俗な言葉を使えば、国際関係史、それも各国の政治だけではなく経済もその射程におりこんだ重厚なストーリーを展開する書き手。今回はサブタイトルに示されているように、金融に正面から取り組んだ作品だ。前作のDelugeは結論が明確でなく、失敗作と思える作品だったが、本作では彼一流のわかりにくい英語の使い方もだいぶ抑制されており、必読ともいうべき作品に仕上がっている。
本書の狙いは、2007年に発生した金融危機がその後の十年の間にどのように世界を変えたのかを探ることにある。彼はもともとは金融を専門とする学者ではないのだが、金融というtechnocraticな題材のディテールを見事に咀嚼し、金融を専門とするスペシャリストが読んでも十分満足の行く仕上がりとなっている。金融という専門領域は、著者の国際関係に関する見解の下でその政治性が抽出、整理されることにより、この十年間にどのように国際秩序の構造が変化したかについてより深い理解が得られるような仕上がりになっている。もはや金融は金融というサブシステムに閉じ込められるのではなく、世界政治の構造の決定要因として機能しているわけで、政治と金融が国際関係という枠組みの中で整理されることにより、21世紀の新しい秩序構築のダイナミクスがわかりやすく提示される。
2007年直前までの政策当事者の関心は表面の数字の分析のみを見ており、米国の財政赤字とUS Treasuryの海外(特に中国)依存が示唆するドル危機だったのだが、リーマン危機が明らかにしたのは、米ドルに決定的に依存した国際金融秩序の政治性だった。株主資本主義の影響下で不用意に極端にまでleverageを追求した欧州銀行は、結果として米ドル短期金融市場に依拠したいびつな調達構造を抱え込むことになる。そのいびつな調達構造は、究極のところで自前の与信分析能力が欠落したアメリカのhyper sensitiveな投資家(Money Market Funds)に自分の急所を握らせるような行為であり、repo市場の機能不全を引き起こした証券化市場の崩壊とユーロ危機により、もろくもその砂上の楼閣は崩れ去ったというわけだ。
そもそも米国の当事者であるFedまでもが、これに気が付かずに、リーマンを破綻させてしまった。もっともこれが世界の崩壊につながらなかったのは、ひとえにUS Fedによる新種の米ドル供給プログラムの整備と各国とのスワップ協定のおかげ。つまり国際金融秩序のgovernanceなるものは、そのjargonを脱色してしまうと、米ドルを頂点とする階層的な構造だったというわけだ。崩壊した巨大な短期金融市場の受け皿はいうまでもなく米ドルのTreasury marketしかない。財政赤字の海外依存なるものの危険性の「まやかし」と米ドル危機の論拠の薄っぺらさが明らかになったというわけだ。ここはModern Monetary Theoryの考え方とも一部かぶってくる部分だ。US Treasuryを売却してどこにお金をパークするのか?そしてUSDの外為市場での売却なんて可能なのか、という国際金融の難問なのだ。著者の叙述はMMTまで議論は進められないが、この国際金融秩序の政治性を見事に描いている。
次に著者が分析の焦点を向けるのがユーロだ。ここで明らかにされるのは、ユーロというprojectの抱えた本質的な矛盾とそこに向かい合うユーロの政策担当者の情けないまでの政治的な硬直性と知的破算なのだ。共通の財政並びに銀行規制の枠組みに欠落するユーロの下で露呈されたのは、またしても、欧州銀行のあわれなまでのリスク管理能力の欠如の下でのPIGSへの巨額の与信なのだ。「Extend and Pretend」という究極のforbearance policy(先延ばし政策)でinsolventに陥った欧州銀行をウルトラCで救い出したのは、ユーロという美名のもとで、自国の庭をきれいにしたいという究極の政治リアリズムだ。もっともこの政治リアリズムは、ユーロというシステム全体での整合性の確保という政治的決断にまでは到達できず、グロテスクなまでのドイツのordo-liberalismに首根っこを押さえられている。このBundesbankの背後にあるordo-liberalism はその背景と誕生についてはもっと深い分析が必要だろうが、このドイツ内政上の闇がもたらす影響力についてはそれなりのスペースが割かれている。しかしこのリアリズムは腐臭を漂わせている。一方ではDominique Strauss KahnやChristine Lagardeというトロイの木馬を通じてIMFを無理やりに欺瞞のGreek bail-out schemeへ引き込み、そしてnaiveを装った中での旧東欧並びにウクライナへのユーロプロジェクトの延長という無責任な冒険主義を生み出し、人権侵害には目をつむりながら「蜃気楼の」商業利益につられての対中接近というわけだ。
この混乱から最終的に生み出されたのが、brexitそしてTrumpの大統領当選というわけだ。民主政治と資本主義のtechnocraticな統治の間の矛盾は結果として巨大な不平等の拡大再生産を生み出しており、これに既存の政党システム(米国の共和党の知的破算やドイツのSPD/CDUなどの長期的な党勢衰退)はすでに対応能力を喪失しており、そこにこれらの「意外」ともいうべき政治的な選択が生じるというわけだ。最後は著者の悪い癖だろうか、唐突に1914年と現在の比較というモノローグに陥っており、どうもわかりにくい。また本書では中国という存在が一つの重要なテーマであったが、さすがに著者でも中国の話題を縦横無尽に料理するまではいかなかった。さて日本。悲しいかな、本書では米国の勢力圏の従属的な駒としての言及しかないのだ。
ところでナチの経済政策を扱った著者の処女作「The Wages of Destruction」が翻訳で近日中に出版されるようだが、こちらの方の翻訳の方が重要性が高いと思われるのだが。

