名作です。

 

最近読み始めたシェークスピア。どういうわけかここまでは歴史ものをある程度読んできた。ただ歴史ものはひとまず封印。というのは悲喜劇のいわゆる有名どころがお恥ずかしいことににまだ未読なのだ。日本語で読むことも考えたのだが、本棚にひとつだけ未読のものがまだ残っていた。リア王だ。10年以上前に購入し、福田訳と照らし合わせて読み始めたのだが、あまりもの違和感にすぐgive upしたいわくつきの作品だ。シェークスピアの文体にも若干慣れたので、これを読むことに決定。版はこれまで読んできたのと同じ、「Oxford School Shakespear)だ。虎の巻として松岡版を横に。

 

今回は無事に読了。これはたしかに名作だ。読み終えてその感を強くした。舞台は今回確認したのだが、イングランドの神話時代つまりキリスト教がブリテン島に来る前の話なのだ。そしてテーマの選択がドラマティックで永遠の問題性を現代の読者にも投げかける。「歴史もの」はどうしてもそういう意味では同時代性に欠けてしまう。

 

そして登場人物が個性的だ。もっとも悪の個性が際立つのだが。そしてストーリーの構成がよく練られている。二つの主と副のプロットが登場人物を通して密接に絡み合っているのだ。主と副がお互いに絡み合い、相互に影響を与えながら全体の筋は展開され、結末へと至る。現代の老人問題と絡めてこの作品を読むのもありなのだが、むしろ「悪」というテーマこそが本書を貫くテーマなのだ。その「悪」を象徴するものとして取り扱われているのが「女性」だろうか。悪を象徴しないCordeliaの存在は全編を通して薄く、GonerilやRegan以外の女性はまったく登場しないし言及もされない。セリフの数では誰が一番多いのだろうか?Edmundという男性の悪も登場するのだが、途中からはこのGonerilやReganに操られているようだと言ってしまうと言い過ぎだろうか。シェークスピアのセリフも時によってはっかなり露骨だ。そして登場した女性は最後にはみな消えてしまう。そういう意味では、このリア王や「ヴェニスの商人」というのは、今後は演出上の「ひねり」をきかさずには、上演されるのが難しくなる作品なのかもしれない。最後の結末は悲劇らしく、逃げ場はない。殺伐とした荒野か。「能」やparsifalじゃないけど、これは上演後に拍手をする芸術ではない。