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ヘンリー四世 第1部
918円
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Henry IV (Oxford School Shakespeare)
1,057円
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最近始めたシェークスピア読書の二冊目。最初に読んだRichard IIが想像以上に読みやすかったため、また翻訳の「ヘンリー四世:第一部」をすでに翻訳で購入済みのため、これ(Oxford School Shakespeare)のシリーズを読み進めることに。これはシェークスピアの歴史物の四部作の一つであり、「Richard II」, 「Henry IV part1」,「 Henry IV part II」, 「Henry V」の二番目となる。というわけで、話は前作のRichard IIの続編となる。
歴史物はイギリスの王朝興亡史となるため、あまり日本人にはなじみのないテーマだ。それも現王室のWindsor朝のだいぶ前ということになるさらに基礎知識がない領域だ。もちろん現実の歴史とシェークスピアの作品を混同してはいけないのだが、基本的な事実のsequenceという骨格の部分の間には大きなかい離はない。読めばわかるのだが、シェークスピアの関心を引くほどのテーマがそこには内在しているのだ。
ストーリーは二つの領域で進行する。一つは王と貴族の登場する舞台だ。もう一つは平民が登場する舞台だ。これは主に飲み屋の世界だ。それぞれはそれぞれのロジックと言葉が支配する世界だ。端的にいうと前者は建前で、後者は本音。この二つの領域を移動するのがハル王子とfalstaffだ。この二つの異なる領域を自由自在に交差する二人の人物の掛け合いこそがこの作品の面白さということになる。言葉の掛け合いということになると、洒落と言葉の悪罵のヴァリエーションということになる。特に飲み屋での言葉の応酬となると、こりゃ酒を飲まなくても酔っぱらってしまう。
英語での悪罵の掛け合いを楽しむのは非ネイティヴにはほぼ不可能だろう。解説と注釈の助けを借り、拙い頭を総動員して、やっとこの「楽しさ」を解読するということになる。楽しさを解読(de-code)するなんて言う作業は、まさにその字句通り、contadiction-in-termsの極致みたいな作業なんだな。そして一番セリフが多いのがこのfalstaffというわけで、セリフの数からいうとfalstaffが主人公なんだ。印象として強く残るのは、英語というのも悪罵や罵りのヴァリエーションが非常に豊富な言語なんだなという単純で何の変哲もない感想の再確認だ。そしてこの言葉の操作の達人というのがfalstaffなのだ。このfalstaffというのはおそらく日本人には一番理解しにくいパーソナリティだろう。english maverickという類型があるのだが、それともかなり異なるパーソナリティだろう。というのはそこには建設的な貢献はなにもないからだ。むしろ基本的なストーリが見もふたもなく残酷なため、このような道化を必要としたのだろう。falstaffというのは、残酷なほど徹頭徹尾本音と利害で生きている人間なのだ。騎士という仮面と肥満は、その醜悪な本音を言葉の遊びとユーモラスな外見で包むことを可能にしているだけなのだ。そしてこのユーモアはもはやpolitically correctの空気が充満している現代では古典という建前がない限りはおそらく許されない。
となるといったいなんでシェークスピアなんて読むんだという基本的な疑問がわきあがってくる。この基本的な場所というと僕にとっては政治における権威の役割ということだろうか。暴力だけで政治秩序は維持できない。そこにはどうしても権威が必要となる。権威は天から降ってくるというか、神から与えられたものだという考え方がある。それが王権神授説だ。国王は能力でもなければ暴力でもなく、ましてや選挙で選ばれるものではない。その権威は神から与えられたものだという仮説だ。もちろんこれはfictionだ。Fictionであることは、「Richard II」ですでに露骨に暴露されている。王様(Richard II)が退位させられるだけでなく、殺されているのだ。正当な継承ではなく、ヘンリー4世の権力への意志と暴力が最終的にはこの継承を可能ならしめているからだ。問題はこの継承がはたして正当なものかどうかとうことだ。生々しい血を流して行われた王位の継承はいかにその過程に正当化を与えても、その王位簒奪の行為自体が権威への次の挑戦を準備しているのだ。そしていうまでもなく、ヘンリー4世の権力基盤は脆弱だし、彼による王位の簒奪には深刻な疑問が残るのだ。
ヘンリー4世はすでに手を汚しているため、このいわば原罪から逃れることはできない。となるとこのサイクルから現王室を離脱させる役割はその長子、皇太子ハルが担うこととなる。そう、このヘンリ4世二部作は、political education of 皇太子ハル、別な言葉でいえばbildungsromanという隠れたテーマを持つ作品なのだ。ここに関わるのが俗の世界の相棒falstaffであり、まだまみえぬ反乱軍のHotspurなのだ。そして肉親の裏切りさえも示唆している政治状況の中で道理と情熱はその完遂を妨げられるというわけだ。有名は作品とは言え、筋をあまり明らかにするのはやめておこう。
今回も小田島訳を横においての読書となったが、今回はさらに松岡訳も時々参照してみた。小田島訳は時々「悪乗り」が見受けられる。シェークスピアのユーモアの精神は受け継ぎながらも、その表現はあくまでも日本語の世界となっている部分があるのだ。まったく注釈のない小田島訳に比べて松岡訳はけっして多くはないが適宜注釈がある。


