追憶

 

ソヴィエトロシアからの亡命者たちのその後というのは興味をそそるテーマです。

 

特にアメリカではなくパリに住み着いた亡命ロシア人たちは。過去にNina Nikolaevna BerberovaのTattered Cloakという短編集 を読んだことがありますが、特にナチがパリを占領するにいった1940年の状況は、ソヴィエト共産主義とナチズムという究極の「悪」との間の二者択一をある意味ではこの亡命者たちに迫ったわけで、その状況の中で書かれるにいたった作品というのは独特の緊張感と光芒を放つのです。もっともどの程度この切迫感が芸術的に昇華されて長い生命を持つ作品に結実するかは別の話なのですが。

 

ふとしたことで読むことになったこの作品集もパリに逃げ出したロシア人の女性の短編を集めたものです。作者はこれまでは聞いたことがなかったTeffiという女性です。小説家というよりは、新聞や雑誌にコラムや評論そしてfeuilleton(これがなかなか説明しにくい代物なのですが!)を発表して、「銀の時代」の革命前のロシアだけでなく亡命後もパリにおいても亡命ロシア人向けの出版物で活躍をした人物のようです。

 

本書に収められた作品は全部で10篇強ですが、そのほとんどは一部(1919年にオデッサで発表されたものもある、1919年のodessaというのも限りなく興味深いsettingなのですが)を除いては亡命後に発表されたもののようで、発表年次は1920年代から1950年にかけてのものです。つまりこの著者はロシア革命と第二次大戦を潜り抜けて戦後まで生き抜いた人物なのです。そして本書で語られる話はそのほとんどが決して執筆時点での同時代に対する語りではなく、すべてが革命前の時代への追憶の語りなのです。

 

本書のタイトルにも選ばれているRasputin, そしてトルストイやレーニン, レーピンとの邂逅を取り上げた作品は扱われた人物の巨大さとは裏腹にあまり面白くはありません。象徴主義の詩人メレゾフスキー夫妻のパリでの生活の一端をたどる作品も時代とずれてしまったこの人物のグロテスクさが肥大化されるようでどうも興味をそそるものではありません。そして革命前ロシアの生活を特徴づけていたであろう様々な宗教的な儀式がアクセントとして頻発される幼年時代の作品もこの種の言葉にはなじみが薄い私にはどうもしっくりきません。過去の事実の生起のrecollectionにはもはやこれらの事実にはなじみがない現代の読者に訴えかけるものはあまりありません。よく言われるように、ロシアの大地から強制的に切り離されてしまったロシア人にはいい意味でも悪い意味でも、もはや芸術を生み出す源泉が枯渇してしまっているのです。むしろこれらの文面の細部にふと漏らされている著者teffiの追憶感にこそ本書の核心があるのです。

 

There is a little more preserved in my memory, but even this is gradually, or even rather quickly, losing its meaning, fading, slipping away from me, wilting an dying.

 

Its sad to wander about the graveyard of my tired memory, where all hurts have been forgiven, where every sin has been more than atoned for, every riddle unriddled, and twilight quickly cloak the crosses, now no longer upright, of graves I once wept over.   

 

さて著者の他の作品はどうしましょうか。もう一つ短編集とソヴィエトロシアからの脱出行を描いた回顧録があるのですが。