ここ数年読み続けている、ソルジェニツィンのロシア革命シリーズの「March 1917: Node III」のBook 4を読了した。出版は2024年だが、paperbackになるのを一年ほど待っていた。が、なかなか出てこない。昨年の末には、この後の「April 1917: Node IV, Book 1」がリリースされて、とうとう我慢ができなくなり、今年の1月にhardcoverで入手することに決定。
今回は、3月23日から3月31日までの一週間が舞台となる。この一週間という凝縮された時間が500ページ以上ものスペースを費やして語られる。この時期は、皇帝ニコライが退位して一週間が過ぎ、いよいよ臨時政府とソヴィエトとの間の対立が様々な面で表面化してくる。戦争継続への対応、ニコライや軍の取り扱いなどの様々な側面で表面化してくる。この二重権力状況の下で右往左往する臨時政府の姿が描写されていく。
軍の一部の反乱とその後に続いた「命令一号」の発令により、軍隊の秩序はあっというまに崩壊しており、政府を支える軍事警察機構は機能不全に陥っている。臨時政府にはこのリアルな認識が欠落している。一方で、ソヴィエトは、その代表の正統性には大きな疑問がつくものの、そこに「自発的」に集結した多数の参加者と局地的な暴力の独占により、臨時政府の動きを制約している。結果として、この臨時政府は、「政府」と言いながら、実は統治していないのだ。
当初はミリューコフやグチョコフなどの「立憲民主党」のリベラリストが主導権をとると思われていたのだが、混乱する状況に飲み込まれてしまい、革命という夢の実現に幻惑されており、存在もしない「反革命」の幻影に怯え、ソヴィエトの顔色を窺いながら、必要とされる動きが取れない。さらなる軍の命令機構や秩序崩壊に自ら乗り出してしまっている始末なのだ。厄介なことに、メディアの無責任な報道に洗脳された、大衆も「革命」という自らのドグマに酔ってしまっている。
一方で、ソヴィエトも一枚岩ではない。もともと自発的に生まれたこのソヴィエトは、権力と権威へのリアルな認識に欠け、統一性がなく、ただ反革命への懸念とロマンチシズムの下での群集心理だけがそれを結び付けている始末だ。臨時政府や戦争継続への対応をめぐり、左派(defeatist)と右派(defencist)の間の見解が分かれており、最左派のボリシェビキの間ですら、革命の内乱への転化を目指すグループと二段階革命という図式に執着する、流刑地から戻ってきたグループとの間で意見が分裂しているのだ。混乱は労働者の労働忌避やサボタージュを実際のところ引き起こしており、戦争継続のための物資生産や食料の供給に大きな支障を引き起こし始めている。
このカオスな状況が、様々な登場人物の動きを通して描かれている。歴史上の人物と架空の人物がこの状況の中で交錯するのだが、これこそがこの文学作品の肝だろう。あるものは無様な醜態をさらし、ある人物は可能な中で、秩序回復へ向けて行動をとり始めるのだが、全面的に秩序が崩壊する中で、なかなか楔を打ち込むことができない。この役割を決定的に果たすことになるのが、レーニンなのだが、ドイツの参謀本部の斡旋により、封印列車の準備に成功し、いよいよ、この革命の混乱の現場に戻ってくることになる。

