昨年出版直後にすぐ読了したが、ここにきてもう一度読み直した。最近二度読みする作品が多いのだが、読解力が衰えてきたのだろうか。この作品はロシアの専門家ではない著者によるロシア本なのだが、当事国のディテールに目が集中してしまうロシア本とは違った視角で参考になった。

 

また「第一章の入門」の部分は歴史成立の前提としての、時間の観念、時間を管理する技術、文字という記録の技術、そして因果関係の思想という4つをわかり易く提示しており、モンゴルという存在を世界史という考えの成立の触媒とする。

 

さて、本書の肝は、82ページにわかり易くまとめられている。

  • スカンジナヴィアからの外来民族ルーシが東スラブに侵入
  • ルーシは東ローマ帝国のキリスト教を導入
  • モンゴル帝国が、ルーシと東スラブを400年支配
  • モンゴル支配のモスクワでツアーリが力をつける
  • ツアーリはルーシ、モンゴル人、スラブ人と替わり、モンゴル帝国の影響から脱却
  • スラブ人のピョートル1世は地中海文明の歴史文化を導入するが、うまくいかず
  • ロシア革命が起き、すべての歴史が否定される。
  • ソ連崩壊により、マルクス主義も否定され、歴史もイデオロギーも失われた。

 

つまり、ここには民族国家のスキームが当てはまる素地はもともとない。ロシアという国を作ったのは、スカンジナビアから来たノルマン人という外国人であったという事実は居心地がよくない。あるのはさまざまな部族の利害の対立だけ。東スラブ人=ロシア人という概念が確立したのも、16世紀以降。西欧への進出を企てるが、これはうまくいかない。残ったのは、武力による東方への止めどもない拡大だけ。これがロシアにおける西欧派とスラブ派の対立という理念型の源流となっている。しかし、ロシアの中心には何もないのだ。空虚、これがファンタジーともいうべきユーラシアニズムという観念のハイブリッドを生み出している。


神話がなければ、社会は存在できない。プーチンが語る歴史観もその強面のjargonを取り去って一皮むけば、そこにあるのは、ルサンチマンと劣等感が作り出した奇妙な現代の混合物なのだ。