amazonを見ていて、発見したRuth Prawer Jhabvala(RPJ)の新作。もっともRPJは2013年に亡くなっているので、新作ではない。副題が「Rediscovered Stories」となっているので、再発見された未収録の作品のアンソロジーと思い、相当な値段にもかかわらず、即購入。RPJの作品は、アメリカが舞台となっている作品を除いては、過去三十年にわたって各種のアンソロジーも含めてほぼすべて読んできた。ただアンソロジーにも含まれず、各種の雑誌に掲載されたままの作品が多数存在することは十分想像されていたので、楽しみに読み始めた。

 

本書の肝は、「Introduction」として最初に収められた1979年の講演だろう。ここには、珍しく、一人称でのRPJの語りが素晴らしい英文で収録されているのだ。私の記憶する限り、RPJの作品には一人称のものがない。すべての作品は三人称の語りで統一されている。その彼女が一人称で、それも自分のこれまでの人生について語っているのだ。そして、このIntroductionには「Disinheritance」という副題がついている。Disinheritanceは勘当、遺産資格の剥奪などの意味が当てはまるが、むしろ本書での意味は文化的伝統の中断や断絶という意味が当てはまるだろう。

 

彼女の断絶は2つある。ユダヤ人として10歳ごろ(1936年)のドイツのケルンからの英国への移住、さらに20代半ば(1951年)でのインド人のパーシ教徒との結婚によるインドへの移住による欧州との断絶だ。本来血肉の一部として相続すべきであったユダヤ教、中欧ドイツのブルジョア階級、さらには英国の文化の束を十分に咀嚼する前に、その場から物理的に退去させられてしまったという経験だ。そこに残るのは、二重三重の根無し草としての意識と英国での教育により身に着けた英語という表現道具のみなのだ。

 

本書でのRPJの回想によると、当初はインド人でないのに、インド人を装って(pretend)して作品を書き始めていたようだ。そこでは、インドの気候や風物、強烈なスパイスの食事、そしてパワフルで官能的な女性に圧倒されたRPJの姿が見受けられる。しかしその時期は1960年代前半に終わりを告げる。その後に続いたのが幻滅の時期だ。インドのspritualityにひかれて60年代にインドに殺到した欧米人の姿を横目で見ながら、RPJは欧州に対するホームシックの感情を抱くようになる。そして彼女の活動も、1975年以降はインドを扱う作家としてではなく、Ivory Merchantの映画作品の脚本家としての仕事に集中するようになる。E.M. フォースターやヘンリー・ジェイムス、さらにはイシグロ・カズオの作品との対話だ。しかしながら、70年代後半にRPJが次の住みかとして見出したのは、欧州ではなくアメリカそれもニューヨークだったのだ。この矛盾に満ちた選択に潜む背後の事情もこの「Introduction」で詳しく語られている。

 

さて読み進むうちに気が付いたのだが、実は過去に別のアンソロジーに収められた作品も多数本書には収められているのに気が付いた。全編17のうち以下の6篇がすでに別のアンソロジーに収められている。参考のために以下に記してみた。

 

Lekka:    Like Birds, Like Fishesに収録

Sixth Child:   Like Birds, Like Fishesに収録

The Old Child:   Like Birds, Like Fishesに収録

A Birthday in London:   Like Birds, Like Fishesに収録

In Love with A Beautiful Girl:  Stronger Climateに収録

An Indian Citizen:   Stronger Climateに収録

 

本書の後半部には、アメリカそれもニューヨークを舞台とした2つの作品が収められている。どちらも欧米から来たユダヤ人の家族にかかわる話がそこでは展開されているが、どちらも現実感が希薄な淡い不思議なストーリーが明確な結末も提示されることなく語られている。結局のところ、RPJはこのニューヨークにも確固たる足場を見つけることはできなかったのだろうか。永遠のdiaspora、これがRPJの運命であったというわけか。

 

本書の最期をかざるのは2011年発表のAphodisiacだ。「媚薬」と題されたこの作品だが、舞台はインドのニューデリー、時代は明示されていないが、90年代以降と思われる。この作品も不思議な作品だ。チェーホフを思わせる初期の短編とは異なり、明確なストーリーラインは存在せず時間だけが経過し、最後に残るのはいつも変わらぬインド女性の強烈な存在だというのは意味深だ。

 

さて、今回のアンソロジーを最後として、RPJの作品が出版されることはもうないような気がする。彼女の作品の邦訳はないようだが、興味のある方はサイトをご覧いただきたい。